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【12話】せめてウサギは逆しまに【ディストピアSF小説】
「…………も、もう大丈夫だよ、ネコ」
ネコの胸に口を押し付け、声を殺して泣いていた。
時間にすれば大した長さではなかったが、人生としては大きな刻だった。
しかし、いつまでも腑抜けてはいられない。
曇っていた視界は晴れ、心は軽く。ならば、後は走り抜けるだけだ。
「お、復活したか?」
「うん!頑張ってくる」
遊沙は泣き腫らした目のまま鼻水を啜る。
そして通信機を使い、どこかに連絡をした。
「ネコ、通信は傍受されてる?」
「おそらくな。使うと位置もバレルと思うぞ」
「じゃあ、通信機持ってて。折を見て、どっかで捨てて」
「はいよ」
「で、フクロウにこう伝えて!」
「はいはい」
「『トラウマを超えて、私は飛ぶ』って!」
「分かった。意味分かんないけど」
ネコは笑うと、遊沙の頭を撫でた。
「頼んだぞ」
「もう!子供じゃないって言ってるでしょ!」
「悪い悪い、ついな」
名も知らぬ二人、笑い合う銃声の死地。
決別する数秒前の僅かな緩み。
行くが地獄か、残るが地獄か。
分からぬままに人は動いていく。
この世界に、答えなど無い事を願って。
「帰ってきたら、もっかい頭撫でてやるよ」
「うん」
ネコの銃撃に合わせて、遊沙は車の陰から飛び出した。
分かれ様、銃声に掻き消されつつも言葉は交わされる。
「……ずるいよ。全部吹っ切って走るのが私なのに、全部引き付けて走らないといけなくなった!」
これもそれもネコのせいだ。帰ったら文句言ってやる!と。
叶う筈ない恨みを、友達になりたいと、初めて願った人にぶつけた。
「よし!」
全てを視界に入れ、全部を認識から外していく。
エンジン全開、アクセル全力、サーキット過剰旋回。
―――頭に思い描くは全力稼働の世界だけ。
「行くよ!相棒!」
足も砕けよ、心臓も張り裂けろと。
遊沙は叫び、戦場を駆ける稲妻となった。
走る。走る。走る。
「は…は…は…」
筋肉の軋み、骨の湾曲に抵抗する。
光彩を侵してくる高速の映像。
靴や手袋を伝う地面や壁の振動。
脳も体も心も精神も、気を抜けば拉げてしまいそうな重力加速。
網膜に過去、肌に未来を張り付けて、生存を辿っていく。
どう動けば、死神を振り切れるのかと選別を続ける。
先にどのルートを選べば、死を免れるのか考え続ける。
前方はあらゆるモノが不確定で、後方に流れた景色で世界が決まっていく。
倒錯した高速世界。
恍惚に似た毒で世界が溶けていく。
処理が間に合わず、脳が熱を生み出していく。
普段使わぬ死滅部分を開放して、なお足りぬ触覚。
吹き飛ぶ世界に体が消える。
情報の氾濫に溺れそうになる。
「来たぞ!」
向かう先に、敵が三人待ち構えていた。向けられた銃口は小刻みに揺れている。
三人が震えている訳ではなく、左右にステップを踏む私を捉え切れていないのだ。
銃弾を避けるのは難しい事ではない。攻撃の起こりを避ければいい。結局パンチを回避するのと一緒だ。最初に動くのが、パンチの場合は脚で、銃の場合は指という違いでしかない。
「遅いよ!」
「――!」
横に飛ぶ。
三人が私を見失ったのか、血相を変える。
「消えた!?」
「ちが……アッチだ!」
最低で時速七十キロ。少しギアを上げれば百キロは出せる。一秒で三十メートルを踏破する速度。小さな鉄砲玉を中てれると考える方がおかしい。
息を吸って筋肉に酸素を与えると、一気に加速した。
「うお……」
私を襲撃する筈だった男達から、感嘆が漏れる。
車道の真ん中から電柱に飛び、ライトを蹴って下方に加速、着地、その衝撃を変換して反対側のビルに移り、数秒間壁を走り、地面に戻った時には男達は遥か後ろ。
「青い稲妻……」
「見えねぇよ…」
反対側のビルに飛んだ辺りで、男達は私を目で追うことを諦めたらしい。
私が男達を置き去りしたのに気が付いたのも、しばらく経った後だったようだ。
「足が…熱い……」
私の靴は特別性で、爪先に鉄板を仕込み、他の部分はラバーになっている。普段は爪先で走り、壁を走る時や急な方向転換をする時は、ラバー部分を吸着させて行う。
この靴を使っても壁走りなど、数秒出来ればいい方のびっくり技でしかないが、パッシブワンダーを使えば、その数秒で十分過ぎる効果を得られてしまう。
「いたぞ!追え!」
「こちら九班!目標発見、B40地点から、B45地点へと移動中」
「わっ!」
大きなビルを過ぎた時、ビルの影から浮遊ボートが飛び出してきた。
浮遊ボートとはジェットエンジンのついた平べったい飛行装置で、数人を載せて地面から数メートル程度の飛行が可能な代物だ。
「やっぱりそうなるよね!どれだけ大規模な追跡陣形とってたの!」
浮遊ボートの上には、外部装置を付けた男達が乗っている。
その半分が外部装置を起動し、もう半分が拳銃を構えた。
「上級街外核を逃げるのは限界かな……わっ!とと……」
左右にステップ踏んで、浮遊ボートからの銃撃を回避する。
相当速度に差はないとはいえ、不安定な浮遊ボート上からの射撃は怖くない。
しかし浮遊ボートの持続力は脅威。ぴったりと着けられては、そう長くも回避を続けられない。
「なら、大型機の入れない、狭い道を行くだけ!」
大きくステップを踏むと、路地裏に飛び込んだ。
「逃がすな!追え!」
「目標、予想通り、スラムへの進路を取った。以降、対応は作戦通りに!」
狭い道に入ると、浮遊ボートは上空へと上がっていった。浮遊ボートに乗っていた男達は上昇前に飛び降り、加速装置で追い掛けてくる。
彼らが使ってるのはフローターやらスケーターやら豪華な装置ばかり。最高速では、こちらより速いだろう。
「敵さん、装備も人数もおかしいよ!絶対、フクロウに報酬いっぱい貰うから!」
状況の過酷さに頭に来つつ、走り抜ける。市街地とスラムの境界の橋はもうすぐ。
まあ、普通に考えれば、二つの町の出入り口で待ち伏せをされると一溜りもない。しかし、この貧民街に関わる以上それは出来ないのである。
『入り口付近は不戦の地域』
それがスラムの暗黙のルールであるからだ。
「来たぞ!」
「無粋な奴ら……」
しかし、厳密にどこまでが緩衝地帯かは決められていない。スラムの入り口付近には青い光の構成員は配置されていないが、橋を渡る私に狙撃の銃弾が飛んできた。
肝が冷えたが、狙撃のポイントは限られている。それを回避するように曲がり、連続する銃弾の薄い部分を駆け抜ける。
一発の弾丸が頬を掠めて、うっすらと痛みを放つ。飛び交う弾丸のラインを掻い潜れるルートが、一発掠るそこしかなかったので仕方がない。
「……体力残したいのに……」
息を深く吸い、酸素を血管に行き渡らせる。
一瞬速度を緩めて動きを短調にし、即座に加速した。
先程まで私が居た場所に、3人分の狙撃弾が着弾する。
「……」
首を傾け、残る1つの弾丸を回避。
後は一気に橋を駆け抜けた。
「スラムに入った……もう狙撃はない」
走りながら、冷却スプレーを足に掛ける。
冷却と薬により僅かに回復した…というよりは、ネコから元気を貰った気がした。
「よし!」
私の体は、スラムの地形はだいたい覚えている。どの道が狭くて、どの道が危険で、どの道が待ち伏せに適して、どう敵を追い詰めればいいのかが如実に分かる。
先程の狙撃手達の配置から敵全体の配置を割り出し、走るルートを決めればいい訳だ。
しかし、さすがにこの規模で追跡されたのは初めてだ。しかも、今は味方の助けが期待できない。
一発だ。一発撃たれたら私の命は終わる。一撃で死なぬとも、走れぬ怪我を負えばそれで致命傷。
だからこそ、細心の注意を払わねばならない。
だからこそ、最大稼働で駆抜けねばなるまい。
体力の消耗値をどう計算しても、合流地点までは持ちはしない。
けど、泣き事なんて言ってられない。
私の目的はなんだ?
それを忘れぬ限り、この脚は動き続ける。
「いける……行けるよね?相棒」
筋肉も灼熱のまま震え、まだ走れると主張した。
「なんだこいつ!嘘だろ……げは!?」
曲がり角を曲がり様、地面を蹴って壁へ接地。壁から壁へ跳ねて立体的に距離を詰め、通路の先で銃を構えていた男の顔面に着地した。
ゴキリと嫌な音が鳴り、男は立ったまま気絶する。
「よくも仲間を……がは!」
気絶した男の顔を支点にして回転し、隣の男の後頭部を爪先で穿つ。そして、男の頭の上でしゃがんだまま、後方にエアシューターを打った。
「ぐわ!」
「攻撃が来た!止まれ!止まれ!」
細いスラムの曲がり角に雪崩れてきた追手達が、空気の爆発に隊列を乱す。
「あつつ……お、おい、目標は止まってるぞ、撃て!外すなよ!」
「待て!目標は味方の顔に乗ってるぞ!」
「うらやま……ええい!構わん!味方に中てないように撃て!」
「無茶言うな!」
相手は一々間誤付いて、数秒の猶予を与えてくれる。
能力が低いと言うよりは、変わった行動をとるターゲットに不慣れという印象受けた。
「居たぞ!」
「逃がすな!」
そうしている内に、逆の曲がり角から別の追手が出てきた。
教科書通りの行動を取ってくれることに、頬が緩む。
「いいタイミング!そう来るってことは、上には居ないね」
私を囲む全員が構え終わり、引き金に掛かる指の筋肉が絞られていく。お節介にもその全てが、スローモーションで脳味噌に入ってくる。
明鏡止水。滝を落ちる水の一滴一滴が見える状態を言うらしい。
滝なんて見た事ないけど、空気を舞う塵の一つ一つまで認識できてしまう気色の悪いこの世界には慣れっこだ。
「全てが遅いよ!」
追手達の銃口から赤い光が生まれ、レーザーサイトのように弾道が宙に描かれる。脳の痛みを覚えながら、弾丸を掻い潜るルートと、そのルートを通るための筋肉の動きを算出する。
「撃てえ!」
「何を撃つの?」
「消えたっ!?」
「違う、上だ!」
引き金を引く動作に合わせて跳び、壁を蹴って昇っていく。追手達は慌てて上方に銃を撃つが、その軌道では中らない。
「三角跳びで屋根まで行く気か!?……あいつは何なんだ!」
「知るか!……って、撃ってき……ぐわあ!」
「怯むな!敵が使ってるのは、エアシューターだ!殺されはしな……ぎゃああ!実弾だ!!」
私は屋根の上に上がると、最後に残っていた弾丸で騒がしい男の肩を打ち抜いた。
騒ぐ男達の声を下に聞きながら、弾の切れた拳銃を捨てる。
「切りがないよ…」
追手はフローターを起動させて屋根に上ってくる。
奴らは戦闘の錬度は高くないが、連携の精度は高い。超感覚の弾道予測によって皮一枚で危機をすり抜けているが、既に脳はかなり疲弊してきている。
「……嫌な夜。それでも生き残るしかない」
雨混じりの空気を一つ吸い、向かうは合流地点。
ゴールではないが、到達必須の通過地点だ。