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【6話】せめてウサギは逆しまに【ディストピアSF小説】

スラムの片隅に、遊沙の行きつけのコンビニが建っている。小さなバラック小屋がひしめき合うこの地域では珍しく、ある程度大きな建物である。
といっても、他よりよい物件という訳ではない。他の人が住処を建てたがらない堤防の上に建っているから、土地を広めに確保できているだけだ。

店内では棚の代わりに壊れた脚立が並べられ、種類豊富な商品が陳列されている。といっても、商品はどこかから拾ってきたようなガラクタばかり。錆びた工具から、使用済みの弾丸、子供のおもちゃまで置いている。弁当に関しては全て賞味期限が切れているが、防腐剤がたっぷり使われているので腹は壊さないと思われる。

そんなコンビニ弁当の列の前で、遊沙は長い事固まっていた。何を買うべきか悩んでいた訳ではなく、今日買うのは贅沢な400円の高級弁当だと来る前に決めている。

最初コンビニの店主は、いつも商品を手に取ると脱兎の如く逃走する遊沙を警戒していたが、直ぐに飽きてテレビの画面を眺めていた。
どうせ遊沙を捕まえる事なんてできないのだから、警戒してもしなくても一緒である。

「……うん。そうしよう」

幾つかの番組が終えた後、遊沙は弁当と乾電池八本を掴みレジに向かう。
普通にレジに向かってくる遊沙に、店主は胡乱な顔をした。

「おじさん、これ下さい!」
「あいよ。440円」
「ん!」

遊沙はレジに一万円札を置くと、逃げるように出口に向かった。

「おい、釣りを忘れてるぞ」
「……」
「小娘!釣りの計算も出来んのかと、言ってるんだ!」
「う…!」

叱るように呼び止められ、遊沙は立ち止まってしまった。
遊沙は困った様に腕を掻きながら、振り向かずに言った。

「……今までの分」
「金払わずに持って行ってた分か?」
「うん」
「それは差し引いた話をしてるんだ。待ってろ。今、釣りを出すから」
「そういう事じゃないもん」
「ガキが見栄貼るもんじゃねーっての。イラつくぜ」
「ガキじゃないですよーだ……」
「何の仕事か知らねーが、この金の出所は、気に入らない仕事だったのか?」

店主が問うと、遊沙は何も答えずにそっぽを向いた。

「ったく。それが、ガキだっていうんだ」
「う~!上げるって言ってるんだから、貰えばいいじゃない」
「こいつは……」

店主は呆れたような表情をし、レジを閉めた。
店主は少し考えた後、遊沙が置いた一万円を見せびらかすように電灯に翳した。

「くれるって言われなくても、俺はこの金貰うぜ」
「そうしてって言ってますよーだ」
「そう簡単に懐に入れられないのが、大人ってもんだ」
「懐に鍵でも付いてるの?」
「付いてるさ。めんどくせーのがな。大人は不快感を感じたらな、言語課せずにはいられないんだ」

店主は、遊沙の天然なのか皮肉なのか分からない物言いに笑う。

「俺は今お前に声を掛けて、気遣ってやったろ?それが俺の鍵だ。贖罪という名のな」
「しょくざい?」
「言い訳って言った方がしっくりくるか。マナーや常識と言ってもいい。俺なりのな」
「返す気が無かったけど、とりあえず声掛けたってこと?」
「その通りだ」
「うぇ~、めんどくさ~」
「それが大人ってもんだ。建前は必要だぞ。これは俺にとって、気持ちの悪い金だ。貰う理由が無いからな。小娘にとっても、そうなんだろ?」
「……うん」

そのお金を貰う理由を上げろと言われれば、いくらでも思い付いた。

命を懸けた仕事の報酬だ。
自慢の足を示した見返りだ。
その他諸々、理由はある。
だが口にしろと言われれば、確かに一つも喉を越えなかった。

「そこが大人とガキの違いだ。俺は気持ちの悪い金でも、ポケットに入れとくぜ。どぶに捨てられた金でも、掬い出すさ」
「気持ち悪いお金なのに?」
「当然。持ってるのが嫌なら、使えばいいだけだ」
「う…そういえば」
「小娘も、四百円円なんてケチなことせず、一万円分弁当買えばよかったんだ」
「食べ切れないよ!」
「でも一緒だろ、食べ切れずに捨てようが、買わずに手に入れられなかろうが」
「まぁ……でも、私の見えない部分は違うから」
「そうか」

店主の笑い声は知り合いの誰かに似ていて、遊沙は目を逸らした。
初めて店主と話をし、彼が人間としての色彩を得る。であれば、連続万引き犯の遊沙としてはまともに顔を見られなくなった訳だ。

「でもま、大人のやり方は覚えとけ。これは、その授業料として貰っとくぜ」
「も~、黙って貰っけばいいじゃない。じゅぎょーりょーとか言い出してさ」
「いいんだよ。適当に行動して、後付けで理由を付けるのも、『大人のやり方』さ。ま、『スラムの大人のやり方』か。上級街の大人は、そんなせこい事せんだろうか」
「……上級街…ううん。上流街の大人こそ、それをすると思う」
「そうか?」
「たぶん」
「この一万円は、上級街での稼ぎって事か」
「たぶん」
「ふ~ん…小娘がなぁ……」

客の事情に首を突っ込むと碌な事に成らないのを、店長は重々承知していた。
しかし遊沙の腰に下げたエアシューターと、今買った乾電池の組み合わせで、この小さな少女が危険な仕事に足を突っ込んでいるのは察せてしまう。

「乾電池は何に使うんだ?」
「エアシューターの空気補充の電池が切れそうだから」
「空気砲弾補充機構、な」
「細かい!」
「商売柄仕方ねえだろ。ちょっと待ってな」

エアシューターは空気を圧縮した弾丸を使うので、弾丸代はかからない。
だが一発撃つごとにモーター機構を使って、空気を補充しなければならない。補充は通常十秒ほどで終わるが、電池やモーターが弱っていると数秒余分に掛かることが有る。
たかが数秒のラグだ。金を払ってまで神経質に管理するモノでもない。それなのにケチな人間が八本も予備電池を買うという事は、近い内にその数秒すら命取りになる鉄火場を潜る予定だと意味していた。

「はいよ、これもってけ」

店主がカウンターから引っ張り出してきたのは、エアシューターの予備弾倉だった。
エアシューターは一発ずつしか打つことができないが、これを付ければ三発まで弾丸を補充できるようになる。

「……これはヤダ」
「あ?また我儘か?」
「違う。お金出してるし貰うけど、使いたくないの」
「なんでだ?便利じゃねーか」
「私は逃走の為にエアシューター使ってるの。これを付けたら、戦うための武器だよ」
「客のこだわりに口は出せんが……まあ、要らないなら、どっかで売り払ってこい」
「……分かった」

遊沙は壊れた自動ドアを開けて店の外に出た。
何を言っているのか分からない電子声の挨拶と共に、店主の声に背中を叩かれた。

「また来いよ~、クソガキ」
「……ありがとう」
「あ?なんか言ったか?聞こえなかったぞ」
「何も言ってませんよ~、だ」

遊沙はアッカンベーをして走り出す。
遊沙は、そのまま帰ることはせず、壁伝いにコンビニの屋根に登った。

「川を隔ててあっちが上級街。こっちが貧民街……」

上級街の方を向くと延々と黒い壁が続いている。壁の奥では、高いビルが空に突き立ち、街明かりが夜空に揺らめいていた。
綺麗な町だが、その裏には真っ黒な血と涙が流れている。今も過労死に向かって突き進む賃金労働者達が居るのだろう。

貧民街の方に目を向けると、明かりの少ない町が広がっていた。眠っているのか、起きているのかも分からない寝ぼけた様相。
しかし表通りでは、抗争の火が見える。現在進行形で誰かの血が流れているのだろう。

光りある上級街と闇に眠る貧民街。
そんな簡単な対比だったら、どれだけ良かったか。
どちらの町も病巣を持ち、同じ位の不幸を生み出している。それでもどちらがマシかと問われれば、迷うことなく上級街と答えられよう。

「どっちも嫌な町。でも貧民街には『大穴』がある。この町の根っこ」

浮かぬ遊沙の心の先には、貧民街に空く『大穴』があった。
底辺である貧民街の中でも最底辺。『人間は近寄らぬ』病理の顕現である。

『大穴』は、とある団地群と工場地帯の跡である。そして、遊沙が所属していたギャング『リング』の起こした団地爆破事件と住民虐殺事件の現場でもある。

元々は二百メートル四方の大きな団地で、敷地内に十五階建ての建物が沢山並んでいた。
かなりの昔、上級街の金持ちが貧民街に工場を建てた時に、工員を住まわせるために作った場所らしい。で、色々あってその金持ちが破産して、団地に併設されていた工場は閉鎖。工場の周りに出来ていた歓楽街も灯を消した。

工場跡や歓楽街跡は――の住処と成り、団地の建物は流れ者達の家となった。建物はてんで勝手に増改築され、九龍城よろしく、一つの町のような異郷になった。

そんな団地城も紆余曲折有って『ブルーファイア』というギャングに接収された。
三分の一程度が彼らの本拠地として使われ、もう三分の一が彼らの居住スペースとなり、元々の住人は残りの三分の一に追い遣られた。

貧民街の入り口付近を縄張りとしていたブルーファイアが工場跡地まで勢力を伸ばしたことで、リングと縄張りが接触し、抗争が激化した。血で血を洗う闘いは、いつまでも続き、最終的にはリングが団地跡の建物を爆破するという所まで行ってしまった訳である。

団地内に在った建物は東の端の二棟、西の端の一棟を残して全て崩れ、地下部分と周りの建物を道連れに崩落した。それだけでも数えきれない数の死者が出たのだが、リングは更に生き残った者を皆殺しにしてしまったのだ。

そんな場所に寄り付く人間はおらず、団地城跡は瓦礫と腐乱肉の散乱する場所となった。
この場所が『大穴』なんて呼ばれ出したのは、工場跡に住み着いていた『奴ら』が、団地の跡地にまで生息範囲を広げたからである。

『人間紛い』

スラムに於いてすら、人と呼ばれぬ彼らが団地跡に集まった理由は簡単だ。大穴に彼らの食糧である、沢山の人間の死体が在ったから。

言語を持たず、
常識を持たず、
神を持たない。
彼らにとって人間の死体とは、コンビニに陳列してある弁当と同じだ。
無作為に、無慈悲に、無感情に害を成す。
無利益に、無感動に、無機質に人を喰う。
故に、誰も彼らを理解できないし、近付こうともしない。
故に、彼らの住み付いたそこは『人間』の居らぬ大穴となった。

「あそこには、沢山人が住んでたのに……」

そんな地獄を作り出したのは――だと、遊沙は震える肩を抱いた。

――その時だ。

「う!?」

何かがどこかで狂ったのだろう。一時的に遊沙の脳機能が回復した。
突如消える音。
風の音も、川の音も、人々のさざめきも。
全て無音の内に沈みこむ。
代わりに視界が極限までクリアになる。
虹色に光り、数百メートル先の大穴の一角が大写しになった。
超感覚。失った筈の機能が、突如暴走した。

「ぁ……!!」

脳に飛び込んできたのは、人間紛いの食事風景だ。どこかから引き摺ってきたらしい死体を、彼らは貪るように食っていた。

犬群の様に。
鬼畜の様に。
子供の様に。
そして、人間の様に。

死体に群がる人間紛い達。ある者は口を近付け、ある者は手で毟り、死体を壊して胃に押し込んでいた。

「げ…ぇ……」

遊沙の口内に酸っぱい味が広がり、堪らず吐瀉物を撒き散らした。嘔吐と共に一瞬前の記憶は消え、脳機能も低出力に切り替わる。
ぶよぶよとした膜に心が覆われて、心の何処が痛かったのかも分からなくなる。鈍い疼きだけが、体中を這い回った。

「忘れちゃ駄目って言いたいの、私?……アナタは逃げたのに…」

絞め殺すほどの強さで体を抱き絞め、風に晒される。
罪の記憶に『遊沙』は壊れ、彼女に罪の意識だけを残して消えた。
取り残された遊沙は壊れる事も出来ず、忘却へと逃避する事も出来ない。

贖罪すら許されぬ、不安の海。
許しすら請えぬ、死の待つ空。
誰も理解できぬ、孤独の宇宙。

あの団地で笑い合った人達の顔は、どうやっても思い出せない。
目に浮かぶのは瓦礫に押し潰された姿。
助けを求めながら、殺されていく悲鳴。
信じていたのにと罵る人の血走った眼。

「ひ!」

フラッシュバックに耐え切れず、あの記憶は薬に沈めた。
それでも町に残った残響が、罪の鐘をかき鳴らし、遊沙の正常を喰らい続けている。

「……ごめんなさい」

遊沙は声を吐くが、それは誰にも届かない。
誰に届けたかったのかも分からないのだから。
薬に蝕まれた脳は沈黙し、枷となって遊沙をこの景色に縛り続けた。

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