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#26 社会的「障害」

月猫は障害者だ。
今から10年ほど前に発症し、今は手帳を持っている。

当然当時の仕事は離職を余儀なくされ。
キャリアウーマンとしての人生は終わりをつげた。
わたしは病気を治すために旅に出た。

旅の先々で、色んな職を試した。
その時の病状にあわせ、できることをした。

もちろん病状がひどいときは仕事なんてできなかった。
状況を見ながら障害者支援施設などに通ったり、民間企業の障害者枠に応募したりもしていた。

確かに、今はそういった障害者を雇用するための枠、というものが整備されてはいる。

賃金も、決して悪くはないかもしれない。

だが、そこで与えられる仕事は。
決して健常者とは違う。

責任ある仕事はさせてもらえない。
少しでも体調が悪くなり休もうものなら、「ほらね、無理でしょ」と圧をかけられる。

わたしは障害者となってから、幾度となくこの「働く」ということに悩まされてきた。

今、わたしはコールセンターで働いているという話をした。

某外資系企業であり、実力主義なところがとても気に入っていた。
入社時には障害があることは全く気にされなかったし、パフォーマンスを出せば出すほど、周囲からたよりにされた。

この会社は最初の入社は必ず契約社員から始まる。
そして、入社後約半年にて、正社員へなるべく登用試験に挑むことになる。

1次試験は実技。
1カ月間の試験期間に行ったお客様対応の品質で審査される。

割とこの時点でシビアな設定であり、わたしの知っている仲間たちもかなり脱落したが、わたしはクリア。

そして2次試験は面接。
ここでは、普段のお客様対応や社内的な取り組みに対する姿勢などを問われるのだが。

40分で設定されたその時間。
本題は後半の「シフトに柔軟に対応できるか」というところにあった。

「わたしは持病の関係上、服薬の時間が決まっている。これを狂わすとパフォーマンスにも影響してくるため、突然の変更などはなるべく考慮していただきたい」

正直ベースでお話すると、面接官の表情が一変。

「では、この就業規則に同意いただけないということですね?」

こう圧をかけてきた。
おっとまずい。
本能的にわたしは察する。
これは同意しないと、絶対にNGなやつだ。

「いえ、同意はさせていただきます。あくまでも契約の範囲内であれば、可能な限り協力はいたします。ただし、健康な方でもあるように、体調不良の際はご考慮いただきたいというだけのことです」

多少軌道修正し、同意を表明。

結局、今まで積み上げてきたことは全く評価してもらえず、その「同意する」の言葉だけを求めた面接で終わった。

そして後日、合否発表があるはずの日に、時間外に突然チームマネージャーから呼び出しがあった。

「業務時間がずれることを医者は了承済なのか」
「入社時に障害者手帳は提示したのか」

そんな内容だった。

そしてそれが終了し、周囲で2次試験に挑んだかたが続々と合格の声がきこえてきた。
実際、2次まで進んでダメだった、という話は聞こえてこない。
しかしわたしの発表は来ない。

その代わりに、チームマネージャーよりさらに上席のかたから声がかかり、面談をおこなうことになった。

「普段一般社員のかたとは話さないんですがね」

柔和な様子で話し始めたはじめましての上司。

生涯の発生のきっかけ。
一番ひどいときの病状。
過去から現在にわたる投薬量。
障害発症からの職歴。

根掘り葉掘り聞かれた。

聞かれるのは別にいい。
ちゃんと理解しようと思ってくれているなら。
むしろ、正社員に合格の発表があってからのこの場であれば、「ああ、配慮まで考えてくれているんだな」と思ったことだろう。

だが、明らかに正社員登用をどうするか、という点でのヒアリングだ。
正直、かなり腹がたった。

これって、明らかに差別じゃないか。

1次試験を突破して、実力はちゃんと出しているのに。
なんでここまで慎重にされなければならないのだ?
もし障害者であることが正社員登用に響くなら、事前に「障害者は応募禁止」とでも書いておけばいいじゃないか。
(もちろんそんな明記をしたら大問題だろうけど。笑)

結局、必ずこの日までに結果連絡しますといわれていたのにもかかわらず、その日を超えても連絡がない。

休み明けの明日あたりにさすがに結果がくるのだろうが、わたしは合格でも不合格でも納得いかない状況だ。

こんな差別をする会社で、今後働きたいとは思えない。
さらに上に上がりたいと望んでも、おそらく毎回この障壁にでくわすだろうからだ。

わたしは今のオペレーターという職で満足はするつもりがなかった。
わたし自身がどんなに素晴らしい対応をしても、一日に対応できるお客様数なんてたかがしれてる。

なら、もっと上にたって、そのわたしの「対応の極意」を周囲に伝達する立場に立ちたいと思うのだ。
そうでなければ、わたしはこの職に意義を見出すことができない。
頑張る理由が見当たらない、そうとまで思ってしまう。

通常の会社員としての働き方が、わたしにはあわないのかと思っていた時期もあった。

それこそ、個人事業主で実力ひとつでやっていこうと考えたこともある。

だが、結局、「業務委託」で個人が受注しようと思った際も、「え、障害あるなら期限通りにできないよね?」という理由で断られてきた。

一次の実技は突破するのに、だ。

なぜ、障害があるからといって、ここまで働きにくい世の中なのだろうか。

アコモデーション(医療的配慮、合理的配慮)という言葉が叫ばれていながら、全く考慮されていない現状。

わたしはただ、一生懸命にやっていること、出した結果をきちんと評価してもらいたいだけだ。

確かに一般の人よりは、体調を崩すこともあるかもしれない。
だが、それも、やり方次第で防げるし、たとえ体調を崩しても他のひとをしのぐくらいの結果はだす自信がある。

「その分障害者年金もらってるんだから、いいじゃん」

そういう言葉をもらうこともある。

だが、それとこれとは話が別だと思う。

障害者にならなければ、職を失うこともなかった。
この年金は、障害があって働くうえで、いつ悪化して職をなくすかわからないから、その保険みたいなものだ。
しかもその額は、過去に働いてきた結果に応じて値段が決まっている。

これは、わたしが過去に積み上げてきたものへの報酬であって、決して今働きにくい社会であることへの補填ではない。

特別扱いしてほしいなんて一言も言ってない。
ただ、今している仕事を公平に評価して認めてほしい。

確かに、働き口がないわけではない。
でもそれは、内容を選ばなければ、の話だ。

わたしは、もっと先を見据えて、ポジティブに働きたいのだ。
特にもうこの歳だから、わたしは「ライフワーク」にできる仕事を得たいと思っている。

そりゃあ、障害を持っていない方でも、そんなのそうそう見つかるものじゃない、そう思われるかもしれない。

だが、障害があるというだけで、「やりたい仕事に就く」を実現するハードルは何百倍も高くなる。

きっと、わたしたち障害者が抱える苦しみや悔しさは、理解してもらえないことなのだろう。

「そんな風に言うから、誰も理解してくれないんだ」

それもそうかもしれない。
だが、こういった類の話題で、心から共感を得てくれた方にはであったことがないのは事実だ。

今回は完全にわたしの愚痴になってしまった。笑
これを読んで気分を害されたかたがいたらごめんなさい。

さいごに、わたしは、労働は賃金を得るための手段ではあるが、目的ではないと思っている。

一日の大半、人生の大半を仕事をして過ごすのだから、何かしらの「社会的貢献」とか、そこまで大げさでなくても「自己肯定感を高める」ものであるべきだと思うのだ。

そしてそれは、等しく障害者のもとにも実現すべきことである。
と、思う。笑

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