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#21 マチュピチュ旅行記

海外旅行エピソードをもっと!
という読者リクエストに応えて、旅行ネタ第1弾。

南米ペルーのお話からしたいと思う。

わたしは古代遺跡のたぐいが大好きで、特にマヤ・アステカ文明が一番の好物だ。

古代遺跡にはまったのは、スプリガンという漫画キッカケではあったが、その後色々な書物を読み漁っていた。

なかでも、マチュピチュ
ここにはかなりの関心と憧れがあった。

生きているうちに行きたい…との思いから、大学の第二言語でスペイン語を受講までして準備は万端。

ただひとつ困ったのは、やはり南米の治安の悪さ。

ひとりで行きたいところだが、いかんせん親の許可がおりない。
ツアーなら安全だからといっても、ひとり部屋をとるとなると費用面がつらすぎる。
(マニアックな旅行かつそこそこ高額のため、友人を安易に誘うわけにもいかない)

そんなとき、当時勤めていた会社の同僚(女性)が、今度友達とペルーいくんだよね~と話しているの聞き、同行させてもらえないかと直訴。
ちなみにこの同僚と言葉を交わしたのはこれが初めてである。

そしてなんと、一緒に参加させてもらえることになった。

たまたまその同僚は3人でいく予定だったため、わたしがいたほうが、2人部屋×2で手配できるため、全員の旅行代金が安くなるというメリットがあり、そこをごり押しした。

かくして、わたしはろくにしらない同僚と、初対面の2人の友人と共にペルーに旅立つことになった。

ツアー代金はマチュピチュとナスカの地上絵コースで約50万円。

大阪から羽田まで新幹線。
羽田からリマで一回乗り継ぎではあるが、まさに24時間のフライトだった。

席もバラバラだったため、ほぼひとり旅に近い感覚でいけた。

隣の席のアメリカ人さんとカタコトで会話したり、自席についている映画をみたり、ゲームをしたり、足の体操をしたり。

真ん中の席かつお隣がビックなかただったためろくにトイレにもいけず、なんとか耐えしのいだ。

そして、ようやくペルー到着。

現地のコーディネーターさんがあらわれ、まずはお疲れ様、といってお茶を用意してくれた。

疲労回復のお茶だから、のんでのんで!

とすすめられるままにガブガブいただく。香ばしいお茶だった。

名前をきくと、コカ茶だという。
そして、これは決して日本には持って帰らないでね、と。

添乗員さんおすすめのコカ茶

ん?
しばし考え、ようやく理解した。

いや。
疲労回復、コカ。
これってつまり、コカインってことだよね!?

というわけで、ペルーでは普通にコカ茶が飲まれていて、普通にふるまわれます。

ちなみに飲んだらなんか疲れが吹き飛んだ気はしました。笑

そして、アヤシイお茶で一服したところで。
コーディネーターさんは怖いお告げをした。

「ワタシニハワカリマス。コノナカデヒトリ、必ズ高山病ニナリマス」

ペルーのまち、クスコ。
町自体の標高が3000メートルオーバー。
言ってみれば富士山の山頂で暮らしているようなものだ。
確かに、高山病にかかってもおかしくはない。
だが、必ずひとりなるとは穏やかではない。

「ワタシニハ誰ガナルカワカリマスガ、アエテイイマセン」

ツアー参加者は全部で10名。
みんなが顔を見合わせた。

その後ホテルへ移動。

街並みは石造りで美しく、いたるところにふわふわの動物(アルパカ)がいる。

大抵行商人が連れていて、なにかかってあげるとさわらせてもらえた。

ペルーは一時期日本人の大統領がいたこともあり、親日派も多くとても親切だった。

広いホテルで一泊。
翌朝から早速遺跡巡りが始まった。

クスコ市街地では、有名な12角の石をはじめ、カテドラルや協会など、スペイン色の強いアルマス広場。太陽の神殿。

近郊の遺跡では、サクサイワマン、ケンコー、タンボマチャイ、プカプカラ。

盛りだくさんの内容。
夜は市街地でパーティーがあるという。

だが、月猫は遺跡巡りの後半から、吐き気を押さえるのに必死だった。

目もくるくるまわり、まともに歩けない。
認めたくない。みとめたくないが、知っているこの感覚。

そう、高山病だ。
昔、富士山登頂の際にもおでまししたこの感覚。

まさか、到着時に宣告された「ひとりなる」というのがわたしだったとは。
あとできいたのだが、高山病になるかならないかは体質によるものが多いらしく、「爪をみればわかる」といわれた。

わたしは翌日のマチュピチュを万全に迎えるためにパーティーはキャンセル。

ひとりさびしくホテルの部屋で死んでいた。

翌朝、体調もだいぶと復活。
待ちに待ったマチュピチュ観光のはじまりだ。

列車で四時間ほど移動して、バスに乗り越えてくねくねした山道をゆく。

天空の遺跡といわれている通り。
バスでゆられながらその姿がだんだんと近づくたびに、心が踊るのを感じた。

ツアーによっては、徒歩で遺跡まで行くプランもあり、本当はそちらにいきたかったのだが、さすがに一週間トレッキングは時間が許さない。

バスから降り立ち、憧れの地に降り立つ。

遺跡内部の構造はかなり下調べしてあった。

空中都市マチュピチュ

マチュピチュはアンデスの山中、標高2,400mの断崖に突如として姿をあらわす都市遺跡である。

ケチャ語で「年老いた峰」という意味を持つこの地は、15世紀半ばのインカ帝国時代に築かれ1911年、偶然に発見されるまで、深い密林に覆われていた。

そのため神殿、大広場、段々畑、墓地、水路や通路が巡らされた住居跡などがそのままの状態で残されている。

この隔絶された地に、なぜあえて都市を築いたのだろうか。皇帝の別荘だったとする説やコカ栽培所とする説、宗教施設説など、諸説はさまざまだが、アンデス文明は文字をもたなかったため、その当時の歴史を紐解くことは困難を極め、現在もこの謎は解明されていない。

H.I.S.

詳細に書き始めるときりがない。

わたしは充分遺跡を堪能してから、段々畑の一角に寝転がり、悠久の謎に身を投じた。
地べたに寝っ転がって空を見上げていると、まるで自分が遺跡の一部になったような、そんな気がした。

本当に、きてよかったとしみじみ思った。

旅の後半は、ナスカの地上絵だ。

セスナで上からみたあと、地上を歩くこともできるプランだ。

場所はクスコからバスで六時間ほど。

ナスカの地上絵

ナスカの地上絵は、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた平坦な砂漠の地表面に、砂利の色分けによって描かれた幾何学図形や動植物の絵の総称であり、古代ナスカ文明の遺産である。
ナスカの図形群が描かれているエリアは縦横30kmもある非常に広大な面積があり、全体に千数百点もの膨大な数の巨大な図形が描かれている。

Wikipedia

途中、ペルーのスラム街を通りかかったことが非常に印象に残っている。

石造りで綺麗な街並みだったクスコとはかなりの落差。
観光バスのあとを走って追ってくるひともいた。

観光だけでは知り得ない現実。
隔離された世界。

一気に現実にひきもどされるような、なんとも複雑な気分だった。

バスに揺られながら、何度かの休憩をはさみ、周囲はいつの間にか砂漠のような、平坦な世界に変わっていた。

いよいよだ。

まずはさっそく、メインディッシュのセスナに乗り込む。運転手は陽気で、色々と話しかけてきた。

いよいよテイクオフ。

あっという間に宙にうき、爆音と共に地上絵の上空へ。

なんども写真ではみていたが、やはり、実物はもっとインパクトがあった。

本当に、この地球は謎に包まれている。
だれが、なんの目的で。

地上から見ると、そこに絵が描かれているなどとは全く思えない。
だが、地上からみたほうが、そのスケールの大きさは実感できた気がする。

そんなこんなで、わたしの願望はひとつかなった。

生きているうちに、この世の神秘にひとつでもおおくたちあいたい。
その記念すべき第一歩だ。

わたしの学んできたスペイン語は、お土産を買うときに役立った。
大阪人の心、値切り精神が遺憾なく発揮され、売値の半額以下で購入。(たぶんもともと観光客むけにかなりぼられている。笑)

自分用には、ナスカの地上絵がデザインされた、皮の写真ケース(アルバム)を買った。

やりたいと思ったり行きたいと思っても、色々いいわけを探して実践的ない人は多いように思う。

わたしは、後悔したくないし、短い人生を楽しみたい。

だから、実行する。
やらない後悔よりやった後悔

とりあえずこのペルー旅行は、本当にいってよかったと思う。


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