共感覚と過ごすということ
自分が他の大多数の人とは違うのだと徐々に気付き始めたのは小学校高学年ごろ。
昼休み、クラスのやんちゃグループと校内鬼ごっこをする事になり、ジャンケンで自分が負けて鬼となった時、決まって勝ってしまうのである。
自分はお世辞にも足は早く無い、鬼の適性は皆無だったが、圧勝だった。
理由は簡単だ。
単に次にコイツはココを通るとか、アイツはココに隠れるとか、所謂直感と呼ばれる類の要らない才能に恵まれていたからだ。
実は、これが共感覚からくる影響とも知らずにその後数十年謎だったが。。
自分の共感覚はミラータッチと呼ばれるもの。(ネーミングが他の共感覚と比べてダサいな)
知ってる人も居るだろうが、この共感覚は第三者の感覚を自分の感覚として感じ取れる、というか、感じてしまう共感覚と言うのが正しいかな。
一般的には「他者の身体的な痛みを感じる」とだけ言われているが、実際には感情の動きも見て取れてるミラータッチの方が存在します。
は?なぜに?おぬしは?と思いの方に話すなら
脳ってのは面白いもんで、感情的な痛みと身体的な痛みは同じに感じられるんだと。
脳科学ではそう言われているそうで、まぁそうでなきゃ俺のこの感覚はなんなんだよって迷走するんだが。。
んで、ここでポイントになるのが。
「どこに自分の脳が興味関心」があるかがキーになっていると。
例えば、あるミラータッチ保因者が女性の性的な感覚に強烈な興味があるなら、そのベクトルへ特化した能力になるんですよ。
断言して良い。能力の促進は興味関心のベクトルがカギだと。
まあ、ベクトル云々は他の種類の共感覚にもいえるんだが、これは後日ヒマな時に。
で、話は戻してもどし。。
結局、自分の場合、他者の感情の機微を敏感に拾うことで、ソイツが次どんな行動を取るか分類、分析して先取りしていたから、、なんよね。
だから、例え自分の足が遅くて鬼となっても、逃げるクラスメイトをあっさり捕まえても、もうすでに知っている結果なのだから面白くも何ともないんですよ。
他人と感覚を共有出来ずなんの味気もない世界をぼんやり見続けている事になって、まぁそうなると人はね。
ひねくれるんですよ。
グニャって
このオブジェどうやって作ったん?みたいなのたまに見かけるけど、あんな感じ。
サラサラ他人に興味なんて無いくせに、嫌でも他者の痛みを感じるとさ、不思議とほっとけなくなるんよね。
ほんと、自分の事だけど、人間って面白いなって思う。
結局その後、治療家になってそれが趣味になる。
そんな男の話をこれからしていきます。