子供が一人しかいない父の最期とその後~No.3 割と普通に過ごせた年末年始
2017年の12月~2月半ばまで、まあ、一年で一番浮かれられるだろう時期を幸い、父は割と普通に過ごせました。クリスマスケーキも年越し蕎麦もお雑煮、お餅、おせちもペロリと平らげ、買い物に行っては、体(腸)に悪そうなお菓子を買ってこっそり食べるぐらいには、安定していました。
我が家ではおせちは作るものでも買うものでもなかったのですが、これから何度正月を迎えられるかわからないし、試しに買ってみるか? という感じでイオンで一番安いお重のおせちも買ってみました。なかなか普段食べないような小洒落た品も入っていて華やかで楽しかったですね。
そんなこんなで調子がよかったのですが、それは2月の初めまででした。2月半ば過ぎくらいから、父が「腹がジクジクする」と言い始めました。その後、すぐに定期健診だったのですが、その時は歩くのがやっとで、結局、また入院することになりました。今回の入院はいわば父の「入院しなきゃだめかなあ」と、逆アピールで決まったのではなかったと、私は思っています。先生に言われたのは「炎症があるにはあるんですが、今から帰ってまた具合が悪くなって救急車で来ると、大変でしょうから、入院しますか?」という感じで、もし帰りたければ帰っても……ということでした。
今回は父の方が辛そうで入院希望したようなものだし、まあ個室でも仕方ないか、と思っていたところ、案の定個室、1日2万円の部屋でした。ただ、さすがにこれがずっとだと破産してしまうので、基本的には大部屋がいいと伝え、父にも前みたいに大部屋移りたいアピールしてね、と伝え入院生活が始まりました。
父の入院が決まるまで待合室で待っていた時に、別の患者さんで入院する方がいて、その様子が丸見えだったのですが、その患者さんは、子供さんこそおられなかったものの、ご自身のお姉さん夫婦、亡くなったご主人のお姉さん、が全員集合で、みんなで説明を受けていました。
うちは、私一人です。入院手続き、必要な物を買いそろえる、それ以外、何かする時は私しかする人がいません。なので、いつも入院時、寝間着はレンタルでした。仕事をしていて、病院も遠く仕事終わりでは病院の面会時間に間に合わないですし、洗濯物を届けることが出来ないからです。私一人しかいないので、必然的に病院に行くのも週一になります。病院に任せっぱなしで後ろめたく感じたことも何度もありますし、一人で説明を聞き、手続き等全部しなければいけなかったことを思い出すと、今でもドキドキします。そのご家族を見ていたら、いい家族なのだなあ、とほんわりした気持ちになりました。不思議とうらやむ気持ちは生まれなかったのですが。(私が一人でいるのには私なりの気持ちの上でのことなので)
しかし、病院というのは本当にどれだけの時間がかかるのでしょうか。私の仕事の都合でこの日は午前中の診療を予約していたのですが、入院が決まるまで4~5時間かかりました。その間、父は点滴をしていたのでよいのですが、私の方はもう仕事はキャンセルせざるを得ない状況に。命はもちろん大事だけれど、その命は無料(タダ)では維持出来ないので、働かなければいけない。よくドラマなどで「お母さんの命と仕事どっちが大事なの?」と子供が父親に言うシーンがありますが、どちらも大事です。
ちなみに入院が決まって病室に行くまでにさらに1時間以上です。
病室に行ったのはもう15時を過ぎていました。父は点滴をして、入院も決まり何だかんだでホッとしたのか「こんなにいい部屋なの?」と呑気に言っていたので「空いてないから一番高い部屋だよ。2~3日ならいいけれども、また大部屋に移りたいアピールよろしくね」と伝えました。父は「そうだなあ」と答えはしましたが、前とは様子が違っていました。
大部屋(といっても4人部屋差額ベッド代3000円)に移ったのは、それから1週間後のことだったのですが、父は前の入院の時は入院した直後から「こんな高い部屋困る」と言い続けてくれて、翌日大部屋に移動出来たのですが、今回はそういうアピールをしなかったようなのです。入院して5日後、私が面会に行った時、まだ個室にいたので「お父さん、大部屋に移りたいアピールしてる?」と聞いたら「うーん?」と何かわかってない感じでした。「このままこの部屋にいたら、1ヶ月で60万円だよ」と言うと、ハッとしたように「それは高いなあ」と言い、大部屋に移れたのはその3日後でした。
今思えば、漏らしてしまう状況で、個室の方が体も気もラクだったのでしょうか。差額ベッド代が1万円位であれば、個室でもよかったのですが、この病院の差額ベッド代はなぜこんなことになってるのかわかりませんが、2万円、1.8万円、3千円、なので、さすがに個室でいいよ、とは言ってあげられませんでした。
さて、さきに書いた通り、私は仕事があり、一週間に一度しか面会には行けなかったのですが、この実質、最後の入院は、わけがわからないことばかりだったのです。