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老いとは・・・

今朝は4時半、シャロンちゃんもう少し寝てて欲しいですけど・・

仕方なく起きて
夜明けのコーヒーを飲む
簡単に掃除をして
パソコンを開くと、

シャロンをふと見ると
ご飯を食べ終わり
朝の瞑想か・・・?

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動かない じ~としてる
何してるん?

歳をとると早起きになるというけど、
私の早起きはそれとは違う…と思う

単にシャロンに起こされるだけのこと
そう否定しながら、自分が老いていることを実感することが多くなってきてる。

老いは決して嘆くことではないと思いながらも
その老いの現象に遭遇すると
慌てて否定している自分がいるから可笑しくなる

まだまだやることがたくさんあるし、
一生現役だっ
って思いながらも、
パソコンに向かい過ぎたり
若い人たちと夜更けまでおしゃべりしていると・・・
そんな朝の疲れ顔はしっかりおばあさん顔だわ
ダメだこりゃ 歳だね~なんてね

若い方たちの文章を読んでいると、
何か違う感覚を覚えたり
そりゃそうだわ
感覚は違って当たり前だものね

現役で仕事してた時、
10才くらい年上の人たちとカラオケをご一緒したことがあったのだけれど、
サラリーマンの上司と部下が兄弟船を熱唱していたその姿を思い出した。
歌の世界が違って、ついていけなかったけれど、
なぜか心に浸みた。だから記憶に残っているのだろう。
時代の中で感じる感覚は少し違うけれど、この方たちはこの歌や北島サブちゃんの歌に
励まされながら生きてきたんだなぁ・・・てね。
それと同じだね
ジェネレーションギャップを否定的に受け止める必要はないのだ。

今、私が感じる感覚の違和感はきっとどの時代にも
歳には関係なくあることなんだよね。
でも、
多分、
これからはこの年齢によるギャップがなくなっていくのではないかと
薄々感じている。
高齢者が昔のように安定した生活ができなくなるのは必然
「私は歳とってるからできません」なんて言えなくなるよね。

だって高齢者のほうが圧倒的に人口多いのだから
否応なしに、
今の社会を受け入れて生きていくとなると、昔のご隠居さんてわけにはいかない。
それに、今の高齢者は老いても気持は若いしね!

そうなことを考えていたら、
老いるというのは、身体的なことだけなのかもしれないと。
身体的なことに、若干の不自由さを感じたときに老いを感じるだけなのだわ。

もう歳だから仕方ないわ~というのは、
身体的劣化だけのことで、
気持・精神は若い人たちよりも豊かに柔軟なはず
だって、それだけの経験を積んできているのだからね
つらい病を抱えていたり、身体に障害がある人の事を考えれば、
老いだけを捉えれば、なんでもないこと。

そういえば。。。
先日お仕事をご一緒させていただいた
みおしん先生が
「痛みも自分の一部だから、いい子いい子して付き合うの」って
おっしゃってたっけ。
そこまではまだ私は至らないけれど、

ちょっとくらいのことなんて、
ヒュってかわせちゃうしね
どんなことでも、一応受け入れ態勢はできてるしね

月夜を楽しみ
陽に温もりを感じ
季節の風を感じるくらいの余裕はあるわ

心は老いるほど浄化されていくのではないかと思っているのだけれど。そう思いたいね。


追記
先日、シゴトでご一緒した みおしん先生の対談です。
良かったら見てください。

https://www.youtube.com/watch?v=pUCWDbDoj0M


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