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小説✳︎cafe『あけぼの』【はじまり】 8
愁は、住んでいるマンションも手放した。
そして『purple cloud』近くに
小さな部屋を借りて、アルバイトをしながら、カフェ開業の準備を始めた。
愁は笹内や『purple cloud』の常連客たちに助けられながら、少しづつ明るさを取り戻していった。
勉強のためにカフェ巡りをしていた時、偶然入った店で、ミズホの姿を見かけた。
あの後、ミズホはしばらく活動を控えていたが、モデルを仕事にして、再出発していた事は愁も知っていた。
ミズホが気が付かないうちに、店を出ようとしたが、入ってくる客と肩が触れて「すみません」と謝った愁の声に
彼女はすぐに反応して、目を向けた。
「愁……」
お互い目が合ってしまった。それでも愁はドアを開け出ようとしたが、入ろうとした客に阻まれるうち、ミズホは駆け寄り、愁のコートをつかんだ。
「愁、お願い。少しだけ時間ちょうだい」
ミズホは自分の座っていたテーブルに
愁を座らせた。
ミズホも座ってから、お互いすぐには言葉も出せず、沈黙の時間が流れた。
「ごめんなさい」ようやくミズホは、小さな声で言った。
「元気にしていた?」愁は優しく返した。
「うん。今は落ち着いた。仕事もできる様になって、周りにも優しくしてもらってる」
「彼とはうまくやってるのか?」
「仕事仲間は、私と彼との事はビシネルライクでいてくれるから、働きやすい。一緒に仕事もしてる」
「そうか、良かった。それなら」
「愁、本当にごめんなさい。愁は?愁は今、どうしてるの?」
「今は、カフェでアルバイトしながら修行中」
「本当にカフェ始めるのね。それは楽しいの?」
「もちろん、楽しいよ」
「だったら良かった……。やっと、やっと
謝ることが出来た……」
悩み苦しんだであろう。
ミズホの震える指先を見て、愁の胸に
残る傷が冷えて固まる。
愁もミズホも黙ったまま
雨が降り出した外を眺めた。
「じゃあ、俺、行くね」
「あ、うん」
「ミズホは傘、持ってるのか?」
「ううん」
「じゃあ、これ使って」
「え?愁が濡れちゃう」
「ミズホは体を使う仕事じゃないか。
雨に打たれるわけにはいかないだろう」
「そうだけど」
「俺は大丈夫だから」
ミズホはどこまでも優しい愁の言葉に
ハラハラと涙を流す。
会計を済ませて、雨の中
タクシーを拾う愁。
うまく拾ったタクシーの座席から
カフェの中で泣いてるミズホは
一枚の絵画の様に美しい。
流れる景色とドアガラスから流れる
雨の雫と合わせて
愁の心の固まりは流れていくようだった。
目を閉じて見えるのは君の笑顔で良い。
涙する頬も、震える唇も
忘れてしまいたいんだ。
すれ違った日々は、埋もれていけ。
砂時計の落ちた砂の中へ。
思い切り笑い合った、あの時間だけ
置いていってくれ。
愁はそう願いながら、目を閉じた。
それからまもなくして
『purple cloud』の常連から
古民家の空き物件があると知らされた。
実物を見ると、とても趣のある良い物件だった。
資金に関しては、退職金やタワマンを売った為に、心配はない。
笹内にも相談したが、ほぼ即決だった。
ミズホとの再会で、かえって心が落ち着き、その上この古民家を見てから一気に
カフェを始める方向へ、心が進んでくれた。
古民家に相応しく
入り口には大きな布ノレン
ランチも和洋折衷がいいかな?
夢はどんどん膨らんだ。
カフェの名前はどうするか?
心がつかれたり、悲しみに沈んだ時
この店に来て美味しいものを食べて
夜明けを迎え、新しい朝をむかえるように、心新たになれるよう前を向けるよう背中を押せたら。
それはそのまま、自分に言い聞かせているようだと、愁は思った。
店名は『あけぼの』と名付ける事にした。
それから一年後に、『カフェ あけぼの』はオープンを迎える事が出来た。
住宅街にひっそりと佇む
『あけぼの』だが、すぐに口コミで
人気のカフェになっていった。
古民家カフェブームもあり
また、愁の穏やかな人柄も
古民家とマッチし
訪れる客はその癒しの空間と
流れる時間の中で
心が少し前向きなれる
心地よいカフェとなっていった。
✳︎✳︎✳︎ 完 ✳︎✳︎✳︎