小説✴︎梅はその日の難逃れ 第33話
『あけぼの』ではイベントの準備をしつつ、一旦閉店の日が決まった。
カフェの営業最終日。
ほとんどの常連が、入れ替わり立ち替わり寄ってくれた。
近隣はもちろん、元この店で働いたことのある人達も駆けつけてくれた。
口々に惜しみながらも、感謝の言葉を聞いた愁は、オープンして8年の月日の中で『あけぼの』が多くの人達のオアシスになり、憩いの時間を作って来たのだと思った。
自身の生活を変えてまで、店を始めたが、失った以上に得たものがあったと実感出来たことは、幸せだった。
夕方の人の出入りが落ち着いた頃、小春も店に顔を出した。
「イベントは楽しみだけど、ここをたたむのは本当に残念ね」
小春はいつものカウンター席に座りながら言った。
「ただ閉店ではなく、みなさんにお礼も出来るイベントを春翔くんが企画してくれて助かります。小春さんまで一肌脱いでくださって、ありがとうございます」
マスターは頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそよ。若い人たちと一緒に楽しませて頂いてありがたいわ。『あけぼの』を閉めた後お友達のお店の手伝いをするって聞いたけど」
「はい。ここを始める時にお世話になったマスターが【焦らずに、良い物件に出会えたら又始めたら良いよ】と言ってくれまして」
「そう、そのお店にも寄らせてくださいね」
「我がマドンナの小春さんが来てくださったら、嬉しいです」
「また、こんなおばあさんにマドンナって」笑う小春に
その店の地図をお渡ししますよ。ついでの用事でもあったら、お寄りください」
「大丈夫。スマホで検索するから。名前を教えて頂戴」
「ははは、使いこなしてますね。さすが、小春さん」
笑い合いながら愛着あるカウンターの木目を撫でた愁は、少し淋しさが込み上げた。
「マスター。ありがとう。必ず行かせてもらうわよ。体だけは大切にして、次の新しい出発の為にも元気でいる事よ。私も後、どのくらいこうして元気でいられるかわからないけど、毎朝起きる度に【今日も新しい出発の日!】って言い聞かせているの」
「ははは、さすが小春さん。そういう前向きな生き方に憧れます」
イベントでは
簡単なスイーツとドリンクを販売。
コーヒーはチラシに無料券をつけた。
『あけぼの』で使っていた
カップやソーサー、その他什器や
インテリアで置いてあった雑貨、植物なども販売する。
そこに“小春の梅干し“も加わるのだ。
常連客で手作り雑貨の作家が作品を出したり、駅前商店街の何店舗かも惣菜など出してくれた。音楽家の常連は生演奏を披露もしてくれた。
思ったよりも大勢が手伝いたいと申し出てくれて、規模も大きくなったが、
隣接する古民家の地主さんの庭も開放してくれた。
賑やかな雰囲気や楽しんでる人たちの笑顔に、春翔と責任を感じながらもやって良かったと思った。
愁も又、『あけぼの』にたくさんのファンができていたこと。
皆のたっぷりな愛情を感じることが出来た。
小春も自身の梅干し瓶を並べる。
隣では千鳥も手伝っていた。
可愛いラベルが並んだ様子に、2人してニコニコ顔を向け合っていた。
愁が声をかける。
「小春さん、千鳥ちゃん。ありがとね。これどうぞ」
紙コップのコーヒーとアイスココアを
運んでくれた。
「マスター、忙しいのにお気遣いありがとう」小春は微笑む。
「あ、アイスココア」千鳥の好きなココアをちゃんと知っていてくれている愁の心遣いがとても嬉しかった。
昼過ぎになり
凛が姿を見せた。
「あ、木杉さん!」
千鳥が気がつき、声をかけた。
「ドリちゃんも来てたの?近所?」
「うん。ここにはたまに、おばあちゃんに連れてきてもらってきていたの」
「へえ」
「木杉さんにも声掛けようと思ったけど、勉強で忙しいから難しいかな?って思ってた」
「まぁね。私もどうしようかと思ってたんだけど、おじいちゃんが珍しく、私に【気分転換に行かないか?】って
誘うから」
「おじいちゃん?」
「そう、おじいちゃんとデートです」そう言いながら笑う凛に
「わ、ここにも歳の差カップル!」
と千鳥の独り言に
「え?」と凛も聞き返した。
「ううん、何でもない。楽しんでいってね」
「ありがとう。あそこに座っているのが、私のおじいちゃん」
「そうよね。彼氏じゃなくて木杉さんのおじいちゃんよね」又も呟く千鳥に
「ドリちゃん、なにぶつぶつ言ってんの?」
違う想像をしてしまった自分にも恥ずかしくて口篭りながら、凛の祖父に目を向けた。
あの人が櫻井さんのおじいちゃんでもあるんだよね?確かに似てる。