めっちゃ身近にいるもうひとりの自分とは
ショックだ。気づいてしまった……。
母親に対する過敏さや負担感。
それは、私の中のもうひとりのわたし(=魂)に対する、
【私の本音】だったようだ!
私が「わたし」(=欲求や衝動や本音や
わがままさや敏感さや手のかかり具合などなど)を、
持て余してる!
だって、コレ↑に対応してると、体力もエネルギーも時間もかかる。
コレを満たすそうとすると、私だけの問題じゃなく、他者や社会にも余波が出る。
私だって、見栄と世間体は、ある程度大事ですよっ!
肚の中にある、「わたし=魂」の、
最も近い「外側=せかい」としての
「私」
「わたし」と「私」は、
完全に別物なんだと実感。
#私が母親に思っていたコト(面倒で手がかかって私に負担をかける存在だ、困るしイヤだ)
#コレは↑私が「わたし」に思っていた【本音】と同じだった!
#そしてコレはまさに、
#私が世界から思われてるハズだと思っていることそのまんま!
#私は何もできないし要領も悪いし人よりも劣ってるから、
#面倒で手がかかって他人に負担をかける存在でイヤがられてるんじゃないか?と思ってる。
#他者への不安や自分の中の惨めさとかは、
#突き詰めればここに辿り着くのかもしれない
#この自分で生きていかないと、守っていかなければならないんだ、と思ったら、
生まれる前の記憶?(以前記事であげた塔から降りてくるやつ)の時感じたことを思い出した。
#疲れるし大変だしイヤだとか困るとか思ったりするけど、
ちゃんと大事にして生きていこう。
#好きと嫌いが同座する方が冷静でいられるし、この外側の「私」のことも、
大事にできるから。
#わたしは私の羅針盤みたいなモンだし、
#わたしがいなくなるとか、文字通り
この世の光を見失うようなもんだ。
#天の岩戸事件のもうひとつの解釈
#わたしが好きなもの(わたしにとっては音楽)を与えたことで、
#わたしは姿を現した。