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【つながる旅行記#297】みかんタオルを手に大和ミュージアムへ向かう【呉】

前回は人生初となる広島県に上陸し、呉市を観光することに決めた。

というわけで、前回下見した大和ミュージアムを見に行こうと思う。

そしてこれはみかんタオルである。

もう8月に入り、尋常ではない暑さになってきた。

ただでさえ汗かきな自分にタオルは必須なのだ。

高校生たちがこんな商品を販売できるんだなと感心しつつ、出発!!


ふむふむ…
呉駅
呉氏

というわけで大和ミュージアムに到着。

入口には海の守り神であるネプチューン(ポセイドン)像が凄い存在感を放っている。

踏まれる何か

大和ミュージアムは戦艦大和だけでなく、呉の歴史に関しても学ぶことが出来る。

1889年に呉鎮守府が設置され、その後海軍工廠の街として栄えていくことになる呉。

だがそれゆえに太平洋戦争ではアメリカの空襲の標的となり、実に14回にも及ぶ空襲を受けることになった。

そんな呉で、秘密裏に作られていたのが戦艦大和である。

いやこれは凄い模型……というか、なんかもうそこらの小型船よりこっちのほうが大きい

こちらは実際の戦艦大和の10分の1のサイズとのことで、実物が全長263mであることを考えると、その巨大さがわかるだろう。

この大きさなので、通常サイズの模型などでは表現できない部分もしっかりと描写できていることだろう。

特に木甲板はこだわりの仕様らしい。

戦艦大和は重心の関係上、甲板がうねった構造になっており、それをこの模型で再現するのは相当に大変な作業だったようだ。

10分の1サイズということで、ある意味で本物より難しかったかも……?

大下棟梁すげぇや…!
乗組員はこれを毎日磨いていたのだろうか
バルバスバウ
喫水線

船尾を見ると、なんだか沢山のプロペラがあることがわかるのと同時に、舵が2つあることがわかる。(写真中央のプロペラの後ろにちょっとだけ見えるやつ)

これは魚雷攻撃を受けた際に片方が駄目になってもどうにか動くようにするための設計らしいが、こういう情報を知ると戦艦はやっぱり普通の船とは違うんだなと感じる。

主砲の弾(91式徹甲弾)
零式艦上戦闘機六二型
すごいわ…

その他、大和というか船に関するあれこれが学べるスペースもある。

排水量とは
揺れの種類色々
T
タグボートマーク
船の素材あれこれ
塗料も大事
大和は120km先までレーダーで見えた

……そんな戦艦大和は、今は鹿児島県の西150kmの海底に沈んでいる。

戦後になって初めて日本国民に知られることとなった戦艦大和。

時代遅れだったなどと言われることもあるが、大和を建造することが決定したのは1937年なので、まだまだ航空機が主力になるとは断言できなかった時代だそうだ。

そして戦時中においては他国だって航空機一辺倒だったわけではなく、アメリカは8隻もの戦艦を作っているし、イギリスは戦後ですら戦艦を作っていたらしい。

大和を有効活用出来るオペレーション能力が日本にはなかった…」大和ミュージアム館長の戸高一成さんはそう語っている。


ミュージアム外の主砲やらフェアリーダーを眺めつつ、想像もつかない戦時中を思う。

次に行く場所で、もっと戦争の時代について学んでいこう。


次回へ続く…!


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