虫には心があるのか、機械みたいなものなのか
散歩中に虫を見ると、何を考えているかを妄想してしまう。
虫に心があると思ってしまうのは人間の性なのだろうか……。
それはともかく、この前ちょっとした観光地に出かけて、小さな男の子が指先にテントウムシをとまらせてこんなことを言っていた。
「なんで〜? なんで下に行くの〜???」
そう、男の子の指にとまったテントウムシは、下に向かって動いたのだ。
テントウムシには上に登って飛び立つという習性がある。
この男の子はテントウムシの習性をどこかで聞いて覚えていたのだろう。だからこの動きを疑問に思ったのだ。(すごい)
そしてそれを横でたまたま聞いて、絶対に上に行くものだと思いこんでいた自分は、顔には出さなかったがめっちゃ衝撃を受けた。
虫は習性に縛られた機械のような存在だと、内心思っていたから……。
※テントウムシの習性についての動画
まあでも世間的には虫に心なんてないと考えられていると思うし、”心ってなんだろう?”という深すぎるテーマには触れたくないので、とりあえず結論は出さないでおく。
だが、虫には心なんて無くて、プログラミングされた作用機序によって動いているみたいな方が人間にとっては都合がいいとは思う。
自分がハマっているポッドキャストのすごい進化ラジオは、高知大学の准教授&院生による生物系の番組なのだが、たしか農業における昆虫の利用についても語っていた。
テントウムシはアブラムシを食べてくれる益虫として使える種類がいるので、農薬ではなく昆虫を利用して野菜等を育てるなんてことがあるのだ。(生物農薬という)
すごく自然に優しくてエコな感じがするが、もちろん問題もある。
例えば、海外の虫を自国に持ち込んで使う場合は、何が起きるかわからないのだ。
日本のワカメが海外で外来種として猛威を奮っているように、アブラムシを食べてもらうつもりで海外のテントウムシを導入したら、在来種を食べまくるなんて可能性もある。
だから飛ばないテントウムシなんてものを作って利用したりするそうだ。
飛べないので淘汰されやすいし、拡散もしにくいというわけだ。
テントウムシに関しては、論文もある。
「アブラムシを何匹食べたらお腹いっぱいになるの?」という一般人的にはどうでもいいと思える論文にも、重要な意味があるのだ。
なぜなら生物農薬として使うにあたって、どんな条件が一番効力を発揮するのかを調べるのは大事だから。
例えば、1匹のテントウムシが何匹のアブラムシを処理できるのかは重要なことだし、畑に放つ際のテントウムシの絶食期間はどれくらいにすれば一番効率よく食べてくれるのかも、大事なことだ。
そう考えると、やっぱり下手に虫に心なんてあったら面倒である。
自分が虫をあんまり信用できなくなったのは、中学校の頃の経験のせいかもしれない。
「ハチはじっとしてれば刺さない」なんて話がある。
そりゃあハチにしてみても、わざわざ自分の体内で生成した毒というリソースを使うわけだから、出来ることなら刺すのは避けたいと思うはずだ。
明確に危険が迫っているとかなら仕方ないにしても、もし人間がただじっとしているだけなら、どう考えても刺さない方が双方にとって得。
でも虫に心があったら、「なんか今日イライラするから刺しとくか」とかいうことがありえてしまうのかもしれない。
というかそういうことが実際あったのだ。
……中学校の頃、
水泳の授業でクマバチが寄ってきて、クラスメイトの鼻にとまった。
ヤバ過ぎる状況だが、当然クラスメイトはじっとしていた。
じっとしていればOKという認識は田舎民のコモンセンスである。
でもクマバチは普通に刺したのだ!!
すぐさま腫れ上がったクラスメイトの鼻。(かわいそう)
思えばハチに刺された人間を見たのはあれが最初で最後だ。
あんなに腫れちゃうとはなあ……。
しかしホントに何だったんだあのクマバチ。
調べると、クマバチは温厚らしいのだが……。
なんかこう、クマバチもあのときは虫の居所が悪かったのかもしれない。
そういえば働きアリについて書かれた本で、個体ごとに仕事を始める閾値の違いがあることで巣が維持できている……みたいなことを言っていた気がする。
虫もそれぞれに色々な閾値の違いがあるから、心があるように見えるのかもしれない。
あのクマバチも、刺す閾値がめっちゃ低い個体だったのかもなんてことを今になって思うのだった。