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【映画】『小学校〜それは小さな社会〜』を見て、今の小学生のレベルの高さを想う【響け!】
情報源がポッドキャストとYoutubeとnoteな自分だが、「必見です!!」というタイトルに惹かれて小学校の映画を見た。
『小学校 〜それは小さな社会〜』は、とある公立小学校に150日(4000時間)密着取材した映画である。
これはイギリス人の父と日本人の母をもつ監督が、『“自分の強み”は“日本人ゆえ”であり、遡ればそれは、公立小学校で過ごした時間に由来するのではないか…?』と考えたことが始まりだそうだ。
6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、
12歳になる頃には、日本の子どもは“日本人”になっている
……果たして私達が”日本人”になった小学校教育とは一体何なのか。
そんなこと考えたこともなかったが、なかなか興味深い視点な気がする。
そして結婚もしていないし子供も居ない自分としては、現在の小学校がどんな事になっているかは断片的な情報しか知らない。
更に撮影が行われたのは2021年のコロナ禍であり、そういう意味でも当時の状況を知る事ができる良い情報源になりそうな映画だ。
……とはいえ自分は現在、入院中の身である。
映画館など当然行けるはずもないし、残念ながらこの作品はネット配信だってまだされていない。
だがなんと、この映画の短編版である『Instruments of a Beating Heart』が第97回アカデミー賞の短編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされたらしく、そちらはニューヨーク・タイムズが運営している動画配信サイト「Op- Docs」にて配信中だという。
ニューヨーク・タイムズが配信サイトを持っていたなんて初耳だが、短縮版でも見れるのはありがたい。
さっそく自分は「Op- Docs」に向かったのだった……!!
(本来は100分の映画だが、短編版は23分です)
※なお後で気付いたが、普通にYoutubeにある模様。
【新しい一年生のために】
映画は子どもたちの登校風景から始まる。
撮影時はコロナ禍なので、みんなマスク着用だ。
この映画の主人公であるあやめちゃんが所属するのは1年1組。
みんなが席につくと、先生が話し始める。
1年生が終わるまで21日。
もうみんなは二年生になります。
ということで、新しい一年生の入学をお祝いしよう!
なんやかんやで意見を出し合った結果、『よろこびの歌』を演奏して新一年生をお祝いすることになった。
先生は告げる。
オーディションをします。
やってみたいな〜と思う人は、休み時間にきてください。
なにやら『響け!ユーフォニアム』みたいな展開が始まった。
そしてあやめちゃんはいくらかの練習をしたあと、大太鼓のオーディションへ向かうことに。
しかし残念ながら本番で見事にやらかしてしまい、結果は不合格。
だが大太鼓に選ばれた子に対して、あやめちゃんは笑顔で拍手を送るのだった。(すごい)
でも教室に戻ってオーディションの振り返り授業が行われると、落選の悔しさが蘇ってきたのか、あやめちゃんの目には涙が……。(´;ω;`)
しかし、あやめちゃんはめげない。
その後先生から受けたアドバイスをちゃんと実践しつつ、シンバルの練習を開始。本番では力強い演奏で、見事シンバル奏者の座を勝ち取ったのだった。
「やったー!!」と喜ぶあやめちゃん。
勝利の美酒(水筒)を一口含み、笑顔が溢れる。
そしてまた行われたオーディション後の振り返り授業。
そこには、涙を流す男の子の姿があった。
彼もかつてのあやめちゃんのようにオーディションに落ちたのだろうか?
いや違うのだ。
なんと彼は、応援していた子(はるかちゃん)がオーディションに落ちてしまったことが悲しくて泣いていたのである!
先生はそこでまた良い感じのアドバイスを行い、はるかちゃんはタンバリン奏者のオーディションを受けることに。
その後、見事オーディションに合格したことを発表するはるかちゃん。
それを聞き、笑顔で盛大な拍手を送る男の子の姿がそこにはあった――
……なんだろう、自分の知っている小学一年生と全然違う。
自分が一年生だった頃なんて、楽器の演奏はおろか、ひらがなもろくに書けてなかった気がするのだが、この子達はタブレットも使いこなしつつ、次の一年生のために演奏会まで開こうとしているのである。
当時の自分とレベルが違いすぎて震える。
そしてオーディションに落ちた子のために泣けるというあの男の子の人間性!!
正直そんなものは今の自分にも備わってるとは言い難いが、子供の頃からそんな感情を抱ける子もいるんだな……。
その他、旧時代の人間として気付いたあれこれは以下のような感じだ。
・ランドセルの色は自由(女子も普通に黒だったり)
・小一からタブレット使用
・水筒を所持している
・先生は生徒を「さん付け」で呼ぶ。
やはり自分の時代とは色々変わっていることを実感する。
まあランドセルに関しては、黒いカバンと考えれば女子が黒を選んで何が悪いんだという話ではあるので、男女で色が決まりきっていた今までが柔軟性に欠けていたのかもしれないが。
では続きを見ていこう……!!
【訓示と黙食】
体育館に集められた生徒たち。
皆さんには、
『最後までやりきる力』や、
『新一年生の役に立てるという喜び』。
これを知ってほしいなと思います。
その後先生は演奏会のメンバーだけを集め、訓示を行う。
この中には勝ち上がってきた人がたくさんいますね。
君たちは新しい二年生の代表ということです。
(一部の生徒が集中していないのを発見する先生)
……お話聞けてない人が代表になるのかな?
楽器の演奏だけできればいいなんて思ってるんだったら大間違いです。
最初からそんな人はやらないほうがいいので、今すぐやめてください。
強い気持ちを持って、頑張りましょう。
そんな張り詰めたシーンのあと、唐突に給食シーンへ……!!
きちんと決まった位置に並び、配膳したり受け取ったり。
そして食事シーンでは、パーテーションを設置した机でそれぞれが黙食を開始する。
教室に響き渡るのは、箸と食器が当たる音のみ……。
(これがコロナ禍で行われていた黙食……!!)
【がっきれん!(Music practice!)】
いよいよ演奏会に向けての練習が始まった。
選ばれし生徒たちが教室に集まり、それぞれの担当パートを演奏する。
しかし……?
そこ、シンバルないよ。
大太鼓、今叩いたけどないよ。
しっかりそれぞれの楽器を聞き分けて指導を行う先生。流石である。
そして自分の出番が終わると気を抜いて遊び始める生徒への注意もしっかり行う。(あやめちゃんは見事に怒られる)
練習にたくさん来ている人は、すごく上手になっていると思います。
練習しているうちに心が揃うようになって、音が揃うようになってるんじゃないかなと思います。
逆にいうと、練習に来ない人が心を揃えるのを壊してます。
台無しです。
なかなかに厳しい言葉な気がしないでもないが、大事なことである。
そもそもここにいるメンバーは自分で望んでオーディションを受けて選抜されているわけだし、練習して当然なのだ。
……でも先生は厳しいだけではない。
あやめちゃんのスキルを上げるべく、下駄箱にメモを貼ってくれていた。
きょうも、あさのしたくを早くおえたら、
いっしょにれんしゅうをしましょう!
先生は苦戦している生徒にしっかり寄り添い、壁を乗り越えられるように手を差し伸べてくれていたのだ……!
朝、誰もいない教室で生徒たちのために楽器の調整をしつつ、先生はあやめちゃんの到着を待つ。
一方、「1時間目始まりま〜す!」の声が響く教室で、まだランドセルを棚に入れているあやめちゃん。
そして、廊下からそんなあやめちゃんを眺める先生がいた。
(あやめちゃん、先生との朝練習には行かなかった感じ……?)
そして、全体練習が始まるのです……!!
【なんですか、これ (※言ってない)】
あやめちゃん、全体練習で全然うまくいかない。
本来シンバルを叩かない部分で叩いたり。
タイミングが合わなかったり。
先生はあやめちゃんに語りかける。
(シンバルは)あなた一人しかいないんです。
その責任があなたにはあります。
決まったところで叩いてください。
良いですか?
それを聞いたあやめちゃんは弱々しい声で告げるのだ。
楽譜……忘れた……。
「なるほどだからか〜!」と自分は思ったわけだが、先生は自分のような甘っちょろい考えでは済ませない。
先生は演奏者全体に向けて問いかける。
いま、楽譜ないと出来ないって人いますか? いたら手を上げてごらん。
(誰も手を挙げないメンバーたち)
じゃあなんでみんな楽譜なくても出来るんですか?
生徒たちは元気よく答える。「練習してるから!!」と。
そうだよね。
一年生のために、一生懸命練習を続けてきてるんだよね。
(あやめちゃんの方を向く先生)
それをあなたはやってるんですか?
オーディションに受かったらそれでおしまいなの?
違うよね?
(泣き出すあやめちゃん)
泣いたら上手になるの?
学校にいる間だったら先生は教えてあげます。
でも(あなたは)「ここがわからない」って聞きに来ないし、
お家でも覚えるくらい練習してなかったら駄目だよ。
どうしますかこれから?
代わってもらいますか?
あやめちゃんは「家で練習する…!」と答えたものの、溢れ出る涙と震える手では練習を続けることは出来ない。
そうして演奏できないまま、練習時間は終わってしまったのだった……。
【支えてくれる先生とクラスメイト】
先の練習での出来事がショックすぎたのか、あやめちゃんは体育館での大事な練習にも向かうことが出来ないでいた。
それをつきっきりで支えてくれたのはもう一人の女性の先生だった。
「また失敗して怒られるかも」というプレッシャーに押しつぶされているあやめちゃんに対して、「そのときは先生も一緒に怒られてあげる」と優しく諭し、どうにかみんなの元へ連れて行く。
そんなあやめちゃんの元にクラスメイトも集まってきて、話を聞いてくれるのだ。
「あのね……プレッシャーもかかるしね……?」
友人A「プレッシャーって何なのかよくわかんないけど…」
友人B「いやプレッシャーにかかるっていうのはなんかこう…えーと……?」
……小学生にプレッシャーの概念は難しかったのかもしれない。
そしてまた泣き出すあやめちゃん。
するとそこに男の子がやってきて、話しかける。
ぼくもよく間違えるよ。練習してるけど。フフッ😊
まずとりあえずやってみようか!
優しい。
その効果か、あやめちゃんは再び演奏する覚悟を決めたのだった。
厳しかった先生も演奏前に声を掛ける。
あやめさんならできるよ。
できるところまでやればいいから。
あやめさんの素敵な音を体育館に響かせて?
そして演奏が終わって……
できたじゃん!
あなたができるところはちゃんと音が鳴ってたよ!
今日の昼休み、練習一緒に見てあげるから、苦手なところやろう?
先生はあやめさんのこと信じてるから。
また昼休み、練習しようね?
逃げずに戻ってきたあやめちゃんを、先生はしっかりと受け入れてくれた。
「あなたを信じている、一緒に練習しよう」
その言葉を聞いたあやめちゃんは感極まって走り出し、きっかけをくれた女性の先生に抱きつくのだった。
――そして、本番が始まる……!!
【感想】
そんなわけで、感動のラストはぜひとも皆さんの目で確かめてほしい。
見る前はまさか『響け!ユーフォニアム(小学校1年バージョン)』みたいなことになるとは思ってもみなかったが、非常に良い映画だった。
きっと先生が言っていた『最後までやりきる力』や『新一年生の役に立てるという喜び』を、あやめちゃんは小学校低学年の段階でしっかりと学べたことだろう。
……しかしなんというか、小学校一年でこんなに濃い経験をしていることに驚愕である。
自分は記憶を忘却しがちな人間なのであれだが、小学校一年の時点でこんなに演奏やらイベント参加なんてしてたっけ……?
個人的にはもっと子供扱いされていたというか、今にして思うと本当に幼稚だったなあという記憶しかないのだが。
そして自分は主にニュースで荒れた学校の話ばかり聞いていたので、今の子どもはひねくれているという思考の偏りがあったのだが、この映画を見ている限りではそうなる要素は感じない。
もしこのあと彼らが荒れてしまうとしたら、一体どこからそうなってしまうのだろうか……?
そういう意味でも、より深いことを考えさせてくれる良い映画だなと思った。
なお、これはあくまでも短編バージョンの感想なので、本来はあと80分くらいは学校でのあれやこれやが繰り広げられていると思われる。
うーむ、これはフルバージョンを見たくなってきたぞ……!?
現在エジプトでは、掃除・⽇直制度・学級会など⾏う⽇本式教育である「TOKKATSU」(特別活動) の導⼊が2万以上の公⽴⼩学校で進んでいるという。
思えば自分が小学校で経験したことは、相当あるんだろう。
勉強以外にも、雑巾の使い方、友達との関わり方、理不尽な事柄……あの6年間にはありとあらゆるものが含まれていた。
そう考えると、やはり学校には行っておくに越したことはないし、効率よくあらゆる知識や技能が身につく場所なんだなとあらためて思う。
そして正直、「先生ってすんごく大変だな」という感想も抱いた。
子どもにとって非常に大事なのが小学校時代だとすると、当然それを支える先生の力も重要になってくる。
だがこの映画と同じレベルの対応を生徒に提供できる先生はどれくらいいるのだろうか……?
教員不足が叫ばれまくりな現在。ここを本当にどうにか改善しないと、日本を支える次世代の根本部分がまずいことになりそうだ。
(どうなる日本の未来……?)
まあなにはともあれ、いつかフルバージョンも見たいものだ。
気になった人は、短編版はたった23分なので是非ともご覧あれ!!
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