【つながる旅行記#251】沼津御用邸と自転車の話【ドライジーネ】
前回はびゅうおで久々の富士山を楽しんだ。
それでは引き続き沼津を見ていこう。
今回目指すのは沼津御用邸だ。
こうやって街を自転車で走っていると、普通に富士山が見えて最高。
富士山好きには本当に良いところだ。沼津。
そんなわけで沼津御用邸公園に到着。
……いやまあなんというか、市内中心をちょっと離れると自転車はヤバいかもしれない。
こう……道幅的にね?
まあ無事に到着できたのでよしとしよう。
しだれ花桃もあるし。(謎)
ところで今更だが『御用邸』とはなんなのかというと、要するに皇族の別荘のことらしい。
wikipediaを見るに、現在は3箇所(那須・葉山・須崎)の御用邸を利用しているようで、かつては10以上もの御用邸があったそうだが、災害や戦争などで被害を受けて廃止されてきたとのこと。
この沼津御用邸も、1969年に廃止されたものを記念公園にしているのだ。
沼津は昭和初期辺りでは避寒地として親しまれていたようで、沼津が発展したのは政界の要人達の需要があって国道1号や東海道線の整備に格別の配慮がされたからとかいう話もある。
また、沼津御用邸は昭和天皇が小さい頃に育った場所とのことで、廃止されて沼津市に移管されるときにも、昭和天皇がお別れのために訪れたという。
なんだか中を見るのが楽しみになってきたぞ……!
しかし他人の家を見る楽しさは江戸東京たてもの園巡りで実感しているとはいえ、皇族の別荘に入れるだなんてなんだか凄い話だ。
昔の別荘だからとはいえ、良い時代である。
では、さっそく御殿の中に入っていくとしよう。
(やはり皇族の別荘となると、倉庫に置いてある植物も凄いな)
そしてまさかの部屋の中に昭和天皇が初等科時代に乗っていた自転車(複製)が展示してあった。
大正3年ということは1914年である。
100年以上前の自転車はこんな感じだったようだ。
(わりともう完成されたデザインだな……?)
調べてみると、1870年頃にはもう日本に自転車は入ってきていたようなので、大正3年ともなればこれくらいに進化していてもおかしくないのかもしれない。
※(これを機に自転車の歴史を知ろうとアクセスした『自転車資料年表』は画像や記事たっぷりで楽しい)↓
そういえば、かつて自分がnoteを巡っていて出会った「夏目漱石がロンドンで自転車に乗って散々な目にあった話」の記事がとてもおもしろかったのでついでにどうぞ↓
漱石が自転車に乗ったのは1902年とのことなので、きっとまだまだ当時の自転車は乗りにくかったことだろう。
そう思うと漱石の苦労が忍ばれる。(めっちゃ自転車ボロかったらしいし)
……というか、自転車って普通に意味がわからない乗り物だよなと思う。
今は自分も平然と自転車に乗れているわけだが、自転車の練習初期の頃なんて「補助輪無しでこんなもの乗ったら道路ですぐ轢かれるわ」と考えていたものだ。
一体どこの誰が自転車を苦労して2輪で走れるようにするのが当たり前の世の中にしたのやら……
……いや、自転車の歴史を見ると、最初は2輪だった可能性が高い。
1817年にドイツ人のカール・フォン・ドライス男爵が発明した『ドライジーネ』が自転車の起源だとすると、三輪車は明確に後発なのだ。
ドライジーネにはペダルやチェーンは存在せず、足で地面を蹴って車輪を回すというものなのだが、当時15kmを1時間で走って駅馬車よりも早いことを証明し、人々に衝撃を与えたという。
そして考えてみれば『地面を蹴って惰性で進む』というのは、二輪車の練習過程でよくやることだった気がする。(うろ覚えだけど)
おそらくドライジーネに慣れていた人達であれば、補助輪無しでのペダル走行も想像以上に楽に移行できたのかもしれない。
つまり「二輪車は慣れれば全然いける」という認識が当時からあり、ペダル付き自転車や三輪車が登場した後でも「慣れたら二輪車の方が曲がりやすいから、多少練習が必要でも二輪にしとけ」という認識が途切れなかったのだろう。
なるほどねぇ……!
※(納得してますが個人の妄想です)
というわけで「御用邸の話をしなきゃ」と心では思いつつ、自転車を調べ始めたら面白かったのでこんな記事になった。
なお、ドライジーネと同じ構造のキックバイク(ランニングバイク)は現実の扱いは自転車ではなく遊具であり、また一時期問題になったピストバイクのようにブレーキがないものばかりなので、公道は絶対に走らせてはならない。
とはいえなんだか最近では「補助輪よりも地面を蹴って走ることを繰り返した方が早く二輪車に乗れる」みたいな意見もあり、これも有効に使えば役に立つ商品ではある。
自転車に乗れるととても楽しいのは事実だ。
しっかり慣れて、交通ルールを守って、楽しもう!!
(……旅行記?)
次回へ続く!!