【前編】 『夜行富士登山・大峯登山冒険修行 (明治少年叢書)』を読んで、1900年頃の富士登山を学ぶ 【国立国会図書館デジタルコレクション】
みなさんは利用しているだろうか?
『国立国会図書館デジタルコレクション』を。
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登録には身分証等が必要で、アカウントの利用期間も3年とかの期限つきだった気がするが、もうこれがあれば本には困らない生活になる。
さすがは国のデータベースだ。量が違う。
図書館にも置いてなさそうな古い本が多いのも面白いところだ。
さて、今の自分は富士登山を目指している。
しかしよく考えたら、昔の富士登山はどんな感じだったのだろうか。
自分は以前富士登山をしたとき、3.5Lほどの飲み物を背負って登山をしたのだが、一日で使い果たしてしまった。
昔の富士登山は今以上に時間がかかり、何泊もしていたと聞く。
・水はどうしていたのだろうか?
・そもそも当時は山小屋はあったのか?
・あるとしたらどうやって商品を補充しているのか?
なんだか疑問がどんどん湧いてくるぞ……!!
そんなわけで国会図書館で探してみたら、こんな本が見つかった。
『夜行富士登山・大峯登山冒険修行 (明治少年叢書)』である。
(※登録している方は飛べるはず)
「髭のおっさんがタバコをふかしつつ、裸の子供を見下している」という表紙に度肝を抜かれるが、本が伝えたい内容は「少年はドシドシ冒険して胆力をつけろ!」というものらしい。
5ページ目の「紳士が崖から落ちそうになっている挿絵」では、「!い危」(危い!)と書かれていて、思わずQuizKnockと新居浜市を思い出した。(#57参照)
そう、#57で書いたように、「危い!」の読みは「あぶない」ではない。
「たかい」である。
そうすると、確かにちょっと高いところから落ちてる感がある絵なので、
「危い!(たかい!)」というのは見事に一致している。
学びが活きたな……!!
(まあ実際は”あぶない”の意味で使ってそうだけど)
……では、前置きは終わりにして読んでいこう。
内容は要約していく。
そう、これは陸軍士官学校の友達同士で富士登山に挑む話なのだ。
自分も長距離移動の際には途中で旅行して帰っていたので、すごく気持ちがわかる。
SNSに書いたら間違いなく炎上しそう。
準備のない弾丸登山は危険です!
御殿場には深夜3時の到着だという。
当時は汽車が深夜も走っていたということだろうか?
というわけで、紳士的な慶應義塾生に部屋を譲られたところ、なぜか謎の闘争心を燃やし始める士官候補生たち。
どう考えても慶応生はいい人だったろうに、「あんなの」呼ばわりである。
やはりこれくらい好戦的じゃないと、激動の時代は乗り越えられないのだろうか。
そしてその闘争心の結果が、装備もこのまま、晩ごはんも拒否、2時間後には起こせという最悪の選択につながる。
どんどん積み上がっていく登山でのNG行動。
そして宿側も深夜三時にこんな客が来たら最悪だろうなと思いました。
まさかの起こしてもらえなかった一行。
宿の女性も命令されてイラッとしてたのかもしれない。
時間がヤバいということで朝飯も拒否。
もうこれで2食抜いているし、睡眠不足でもあるだろう。
登山するには最悪の状態である。
そして装備は登山を舐めているとしか思えない。
軍服、脚絆、外套、わらじ3足、手帳、鉛筆……
というか「わらじ3足」?
いや、この本の刊行は1902年なので、わらじもあり得るのか?
この2年後に日露戦争が始まるとは思えない……。
※陸軍はまだまだわらじ装備だったことがわかるサイト↓
歩き始めて早々に疲れ始める3人。
ご飯も食べず、寝てもいないのだから当然である。
そして現れる子どもたち。
昔の日本の厳しさを伝えるシーンかと思いきや、お小遣い稼ぎだった。
こういう今じゃありえない描写があるのはいいぞ。
やっとまともな休憩をしてお茶とおむすびを補充した一行。
そして「二個のおむすび」。
著者が「大変助かった」とまで言ったおむすびイベントが、今後どうやって描かれるのか楽しみで仕方がない。
どうやらこの辺りはもう既に茶屋は山価格になっているらしい。
ちなみに1銭は明治38年だとアンパン1個くらい。
大体今でいう100〜200円か。
となるとラムネ6銭は600〜1200円。
こりゃ確かに高い。
ちなみに太郎坊の位置はここである。↓
なんとまだ全然登山してなかった。
むしろ現代ではここからが富士登山スタートな感じだ。
そしてこの時点で汗だくになり、服が濡れるという現代登山のNG行動をしてしまった彼らの運命は……!?
まさかの富士山に水兵が登場。
しかもここから箱根まで歩くという。
ところで78里って何kmだろう?
300km……?
いやそんなに富士山から箱根は遠くない。
そう、これは78里ではなく、7〜8里(約30km)なのだ。
わかりにくい!!日本語の闇!!
そして「俺たちは杖なんざ使わねぇ!」と前に言っていた彼らだが、そんなことは忘れて周囲の林を伐採して杖を作り始める。
あぁ、すごく人間臭くて良いぞ。
行者たちが登山する風景が思い浮かぶこの場面。
いまも登山していると行者の人に会うことが稀にあるが、当時は今よりずっと修験者が多かったのかもしれないなと思わせる。
そして富士山の変わりやすい天気に翻弄され、びしょ濡れになる一行。
彼らの失敗の積み重ねを見ていると、なんだか山岳事故の本を読んでいる気分になってきた。
「いやまだ1合目なの!?」と思った方も多いだろう。
でも太郎坊を過ぎてしばらく歩けば、もう現在の5合目くらいだと思うので、昔とは数え方が違うということだろう。多分。
振り返りながら登る描写は、なんだかわかるなあと自分の登山を思い出す。
そして現代でもわかる尖った石のダメージ描写。
靴底は厚めのソールでダメージを減らそう。
しかし本当に彼らはよくわらじで登ってるなぁ……。
一行は今日中に8合目への到着を目指しているようだ。
そして「6合目までにしとけ」という歩荷の助言を受けつつも、彼らは結局登り続けることを選ぶ。
装備もなく、体調も万全ではないし、体も濡れてるけど、そんな状態で更にリスクのある8合目まで行くという決定をしたわけだ。
ああ、もう山岳事故が起こる未来しか見えない……。
(続く…)
というわけで、1合目到着までを書いてみた。
この本の内容をシンプルに述べろと言われたら、
『【富士山】陸軍士官候補生が弾丸登山してみたww』だろうか。
もう最初から最後まで富士登山でのNG行動のオンパレードだ。
そしてそんな自暴自棄スタイルを、「冒険してて良いよね!!」という風に作者は考えている節がある。
だが、ああいう勇気は匹夫の勇。本当の勇気とは別のものだ。
やめよう、弾丸登山!!
ちなみにこの本は1902年刊行だが、やはりこの時代の日本人は荒々しさ重視な雰囲気を感じる。
数年後には日露戦争だし、日本人の闘争心は凄かったのだろう。
そしてこの時点でも山小屋(茶屋)があったことが分かったし、そこで補給も可能だったと判明したのは有意義な結果だ。
さあ果たして彼らは山頂にたどり着けるのか、
そもそも生きて帰れるのか。
次回、乞うご期待……!