『大宰府と太宰府』、『大阪と大坂』。
太宰府の旅行記を投稿中の今日この頃だが、かなり調べ物が多い。
なにせ自分は歴史の授業で良い成績をおさめたことなんてなかったので、とにかく基礎知識が足りていないのだ。
旅行記は基本的に観光地の説明板などを元にして作るものの、しっかり深掘りするとなると追加であれこれ調べる必要が出てくる。
出来るかぎり「どっかのブログに書いてあったから」とかではなく、県や市の公式サイトや研究者の論文を取り上げるようにはしているが、これもなかなか手間がかかる。
とはいえこれは読者の為にも自分のためにもなるのでやる価値はあるのだ。
なにせ自分は自ら書いたことでもちょっと時が経てば余裕で忘れるので、noteで文字検索してすぐに記憶を呼び起こすコンテンツを作っておかないとどうしようもないからである。
(1ヶ月の前のことすら思い出せなかったときはかなりショック!)
そんなわけで調べ物をしていたら、こんな情報があった。
出たよ……。
まあこういうことは前にもあった。大阪回のときである。
大阪もこんな感じで、「大阪」と「大坂」の2つの表記があるのだ。
これに関してはなんとなく「秀吉の頃は『大坂』表記になる」ということを知っていたため、過去記事でもそこそこ気を使った……と思う。
なお、「大阪」という名称になったのは幕末頃らしい。
理由は「”坂”は不吉な文字だから」というなんだかよくわからない理屈らしいのだが、更に元を辿ると「阪」の文字から「坂」の文字が生まれたということなので、良い感じに元鞘に収まった感じもする。
そういうことならまあ良いかと思えてきた。
(チェックは最高に手間だが)
では「大宰府」と「太宰府」にはどんなルーツがあるのだろうか?
これはもう太宰府市のサイトに答えが載っているのでそれを引用しよう。
どうやら最古の記載では「大」を使って「大宰府」としていたらしい。
しかし、菅原道真が祀られている太宰府天満宮は「太」である。
それに太宰府市も「太」である。
一体いつからこんなことになったのだろうか……?
なんと今でも使い分けの経緯は断定されていないらしい。
どうやら時代を経るごとに徐々に太い方の太宰府が増えていき、今のように太宰府という表記で溢れる世の中になったようだ。
しかし点を減らして簡素化するならともかく、増やしちゃうのは不思議だ。
まさか書き間違えて……?
いやまあそんなことはないか。(ないか?)
その後、九州大学の教授によって大宰府表記の使い分けが定められて今に至るらしい。
まあこうやってスパッと決めてくれたほうがわかりやすくて良いのかもしれない。
なにせ学校のテストではこの点の有無で正解かどうかが分かれるのだ。
学生は神経を使って大変だなあ。
……いや、よく考えたら自分の大宰府記事だって同じようにチェックしなきゃまずいことに気づいた。
普通に勘弁してほしい。
(現代は検索機能があるだけマシだけども)
そんなわけで、同じものを同じ音で表してるのに文字が違うのやめてほしいというお話。
そしてこの記事を書いたことによって、今後見るあらゆる論文や記事で「あ~、ここはこの”太宰”じゃないんだよねえ……🤔」という太宰指摘おじさんになる呪いをかけられてしまった。
今見ている大宰府政庁の記事でも気になって仕方がない。
(厄介だぞこれは…)
そういえば、太宰治(本名:津島修治)は、太い方の太宰である。
彼はペンネームの由来として、「僕のは天神様(太宰府天満宮)の太宰だ」と答えた話があるらしいが、そもそも太宰治はペンネームの由来が話す人によって二転三転しているので真実は定かでない。
でもペンネームなんて由来をあれこれ集めたり、あとから当てはめたりするものなのかもしれないなとも思う。
そして、自分の大宰府記事や大阪記事を見直すかどうかは不明だ。
絶対に何箇所か間違えてそうだけど、全く直す気が湧かない。
世の中、気づかない方が幸せなこともあるのかもしれないな……。
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