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【つながる旅行記#59】伊達と宇和島と……なんでロイズ!?
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前回、多賀神社に思いの外ハマり、後ろ髪を引かれる思いで歩き続け、
ようやくたどり着いたここは宇和島市立伊達博物館。
前回話した、伊達家と宇和島に関する情報を得るためにやってきたのだ。
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中はその……結構あっさりした感じの展示だった。(量的な意味で)
それはともかく、伊達家と宇和島との関係について語っていこう。
初代藩主、伊達秀宗の生涯を追っていく。
将来初代宇和島藩主となる伊達秀宗は、政宗の後継者として「御曹司様」と呼ばれて育つが、4歳にして豊臣秀吉の人質として伏見城での生活となる。
その後、秀吉の猶子(ゆうし)として元服し、秀吉の「秀」の字を貰って秀宗と名乗るようになるが、秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは宇喜田秀家邸でまた人質になる。
徳川が天下を取ると、今度は徳川の人質として江戸で生活することに。
そしてこのとき、伊達政宗と正妻・愛姫の間に男児(後の忠宗)が生まれる。
実は秀宗は長男ではあるが、正宗と愛姫の間に産まれた子供ではなかった。
一方、弟とはいえ正妻から産まれたのが忠宗。徳川秀忠から「忠」の字をもらって伊達忠宗と名乗るようになると、後継ぎは忠宗だろうという流れはほぼ決定的となった。
政宗としては、秀吉から一字貰った秀宗を後継ぎにしたら、徳川に何されるかわからん……と思ったのかもしれない。
秀宗は大坂冬の陣では政宗とともに参陣して初陣を飾る。
ここで家康から政宗に与えられたのが、宇和島10万石。
政宗はこれを秀宗に与え、秀宗は宇和島の初代藩主となる。
後継ぎを弟に取られた形になった秀宗に、別家を興させた形だ。
ついていく家老なども政宗が選別して宇和島藩へ送った。
しかし宇和島藩の財政はかなり厳しく、仙台藩に頼る形が続く。
仙台藩への借金返済を巡って家臣たちの中では争いが起き、ついには仙台藩重視の家老が家族もろとも皆殺しになる事件が発生。
そして秀宗、これを政宗にも幕府にも報告しなかった。
しかしこれが政宗にバレてしまい、秀宗を勘当する事態にまで発展。
どうにか機会を設けて腹を割って話した結果、秀宗は「人質ばっかの人生だし、仙台藩も継げないし、親父を恨んでたんだよ……」と心の内を吐露。
政宗はその思いを受け止め、無事に親子仲直りとなった。
その後秀宗は藩政に尽力し、名君と呼ばれる伊達宗城(むねなり)を輩出する。
幕末には宗城の明治新政府での活躍によって、宇和島藩の家格は仙台藩を上回ることになるのだった……。
大体こんな流れである。
御曹司様扱いからの人質人生、
そして弟に後継ぎの座を奪われてからの宇和島行き。
秀宗が荒れるのもわかる気がしないでもない。
ちなみに宇和島で有名なのは初代藩主の秀宗……ではなく、圧倒的に宗城。
銅像も建っているくらいなのでなんとなく察しが付くだろう。
宗城は島津斉彬、松平春嶽、山内容堂とともに「四賢侯」と呼ばれた幕末の名君である。メンバーがエグい。
そして四賢侯……かっこよすぎる響きだ。
しかし徳川家の水戸徳川家や尾張徳川家みたいな感じで、伊達家にも仙台伊達家と宇和島伊達家があったとは知らなかった。
……いや、実は仙台に行ったときに見ていたはずなのだ。
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#16の仙台回で、普通に宇和島伊達家の特別展に行っていた。
……忘れていた言い訳をさせてほしい。
まずこの仙台観光時点の地理知識では宇和島の存在を知らない。
そして自分の博物館での知識吸収力はかなり低いのである。
見たものを1%覚えていれば優秀レベル。
ゆえに、今回宇和島に来て初めて、「伊達が宇和島に!?なんで???」と思っても仕方ないのだ。
ま、まあ……今回ちゃんと覚えたからもう良いじゃないか。
宇和島伊達家を知らなかった自分はもういないのだ。
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ところ変わって、ここは宇和島の道の駅。
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ソフトクリームに足湯にとなかなか良いところだ。
そこに思いもよらないものがあった。
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ロイズである。
知らない人のために解説すると、
北海道土産でちょっと高めで美味しいチョコといったらロイズなのだ。
(自分調べ)
そう、北海道土産。
ここは四国、宇和島なのに一体なぜ……?
もちろん北海道フェアとかではない。
この道の駅のエリアとして、しっかりロイズコーナーが存在している。
ふと壁を見ると、
そこにはロイズと宇和島との繋がりの歴史が記載されていた。
まさかのこれも伊達家が関わっていたとは。
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先ほどの解説のラストで、宇和島伊達家が仙台伊達家よりも家格が高くなったという話をした。そうなった理由はというと、宇和島伊達家は新政府軍につき、仙台伊達家は旧幕府軍についたからである。
戊辰戦争の敗北により、仙台伊達家は減封されてしまったのだ。
そんな仙台伊達家の一門、岩出山伊達家の当主伊達邦直は、
1万4千石あった禄高を65石に減封される。
減らされる量がヤバすぎる。
ちなみに1石とは、人が1日3合の米を1年食べられるくらいの米の量を表す。
つまり65石とは、65人を1年食わせることしかできないレベルを意味する。
邦直は家臣が路頭に迷うことを憂い、私材を処分して北海道開拓へ志願。
自らも北海道に渡り、辿り着いたのが当別(とうべつ)の地。
邦直は一門を率いて異郷の地を切り開き、当別町の基礎を築いたのだ。
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そして何を隠そうロイズの工場があるのは当別町なのだ。
宇和島市と当別町は、2009年に姉妹都市として盟約を締結。
伊達家が宇和島市と当別町という遠く離れた地を繋いだのである……!!
(当別の開拓をしたのは仙台伊達家だけどな……!)
遠く離れた土地との繋がりを知ることを出来るのも、旅の醍醐味だ。
仙台と四国、そして北海道がつながった。
知識が増えているとこういう楽しさがある。
そしていよいよ次回は城を目指す。
宇和島観光はまだ始まったばかりだ。
足はまだいける。
~次回へ続く~
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