願いとサーヴァントの関係/鯖鱒wiki
概要
今回はFateシリーズにおける英霊/サーヴァントが持つ価値観について。
鯖鱒wiki的にはオリジナルサーヴァントのデータになりますが、それについての考察であり、創作論的な意味合いも含まれてきます。
(今回は鯖鱒wikiDiscord上での雑談も参考にした記事です)
どれだけの願いを持ち、召喚に応じるのか
「サーヴァントは願いをもって召喚に応じ、願いを叶える(聖杯を得る)ために現世で戦う」。
Fateシリーズ、中でも聖杯戦争に召喚されるサーヴァントとはそのようなものだと思います。
ですが、なかには身に余る大望は持たず、「呼ばれたから」などの単純な理由で召喚に応じるパターンもあります。
「(聖杯にかけるほどの)願いを持たないサーヴァント」をメタ的に見た場合、物語中でどのような役割を果たすのか、あるいは何を期待されるのか。
「願いを持つサーヴァント」と対比した場合、持たない側は聖杯戦争を、ひいては物語を回す動機に欠ける存在です。
持たない側はただ「持たない」だけでは、「なぜ聖杯戦争に召喚されたのか」というかかわりが薄すぎる気がします。
私が考えるに、聖杯戦争に召喚される持たない側は、「聖杯を求めないがゆえに聖杯戦争に適する存在」である必要があります。
つまり、戦いが好きである、戦いを見たい、勝利したい、マスターを勝たせたい、暴れたい、戦いの中で願いを得る、など。
「願い」という結果ありきで動き、「(願いが)叶ったか、叶っていないか」の二択で作劇される持つ側にはない、柔軟に物語を回す役だと考えます。
二分すると、
持つ側:願い(結果)を求める軸があるためそこから内面について展開しやすい。物語の中心、主役に適すると思われる。
持たない側:聖杯戦争の過程にあるドラマ・事件を起こしたり、濃密にする役割や、狂言回し。かと言って主役になれないわけでもない。
このような感じだと思います。
聖杯戦争はサーヴァントとマスターの関係性もキモです。
マスター次第では、持たない側のサーヴァントでも主役は回ってくると思います。
マスターに聖杯を得る動機があれば、それを物語の主軸にできます。
もし願いがなくても、戦いの中でサーヴァントないしマスターが願いを持つのならば、その過程が物語になります。
サーヴァントの「願い」の設定
結論としては、こうなります。
願いを持たないサーヴァントも作品の中では必要になる。
オリジナルサーヴァントのデータ設定において、願いを持たせなくても、それを「ねらい」にすればエモい。
「エモい」と軽い言葉で言ってはいますが、しかしデータにおける「エモさ」はどこかに仕込んでおくと見映えがいいと思います。
この記事を読んでくださっている制作者の方は、サーヴァントたちが持つ「願い」について、今一度推敲してみるのもいいかもしれません。
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