「わたし」とは何故「わたし」なのか
虚無に苛まれるこの自我とは何か。
何もできないとき、何も楽しいことがないとき、やりたいことがないとき、時間を持て余して立ったり座ったりしているとき、よくこんなことを考えます。
こういうことを感じている「自分」というものはどこから生まれたのか?
今ここにいて、生きている自分は、「わたし」でなくてもいいはずではないか?
自分を自分と思い、辛い苦しいと思いながら生きて、虚無感に苛まれているわたしは一体どうやってわたしを「わたし」と思っているんだろう。
なぜ「わたし」は他人じゃないんだろう。
今の人生が辛いのはわたしが「わたし」だからであって、他人であったらここまで辛くないんじゃないかと思う。
それなりに生きてきたし、それなりに好きなことをしてきたし、欲しいものを買っている。友達は多くないけどみんな好きだ。
でも「わたし」はこの人生が辛い。
どうしてわたしは「わたし」なんだろう。
わたしって何だろう???
という、わたしがゲシュタルト崩壊するようなことをぐるぐると考えて過ごしているお盆休みの午前中。虚無が強いです。何もやりたいことがないし、読みたい本もないし、見たい映画もない。太ってきたと感じてからは食べることも楽しくないのに、アイスだけはやめられない。
無趣味の人の生活を体験している気分です。
そうして益体もないことを考えている。
自分とはなぜ自分なのか。
他人の人生であればこんなにも苦しまない。
自分の人生を他人の人生のように外から見ていられればいいのに。
ゲームをプレイするようにして、「あー選択肢まちがったな」とか思いながら無責任に見ていられればいいのに。そして分岐点でセーブしてやり直しができればいいのに。
わたしという人間がこの世に存在していること自体が奇妙なことだと、思うのです。この自我は何をもってして自分を自分だと認識しているのか。
そして大多数の人々はなぜ、それを疑問に思わないのか。
自分が自分を自分として認識して行動してるのって不思議じゃないですか。
奇妙じゃないですか?
どうして「わたし」が生まれてきたのか、思い悩んだりしませんか?
すごい虚無なのに急に自我のことなんて考え始めて、こうしてタイピングに励んでいるのはわりと酒の力なんですが、辛いなと思ったときにすぐお酒に手を出すのをやめたいです。グラスに半分くらいなんだけど、これ続けると確実にアル中になる。
でもそれ以外に虚無を軽減する方法が今のところ分かりません。
お酒美味しい。
お薬は飲んでいます。
今度ちゃんと病院で相談してきます。
人間は誰しも人生1度目の初心者なので、こんな風に自我が崩れがちになるプレイヤーもいるよな、とは思うんですが、絶対に人間の2度目は欲しくないので来世はネコチャンになりたいです。
まじめな話を最後まで続けられなくてごめんなさい。
読んでいただいてありがとうございます。サポートくださったら、それで美味しいものを食べて生きます!