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会社の飲み会について思うこと

もう年末ですね。
会社なり友人となり、忘年会があちこちで開催されていることでしょう。
弊社ではトップの予定が空いている日がそこしかなかったという理由で、仕事納めギリギリ、26日の開催です。

この忘年会、引いては飲み会というやつ。
近年では不参加オッケーも徐々に広まっていますが、わたしの年代では「会社の飲みごとには参加するもの」という風潮がまだありました。というかわたしも若かったので断り方も分からないし、参加するものだと言われればそういうものかと思っていました。
なのでわたし自身は会社の飲みごとには大抵参加しています。
でも同僚の若い人たちは、出欠確認を取られるとまず不参加ありきなんですよね。
催しの景品が良ければ行くとか、お金がないから嫌だとか、わりと自由にものを言います。
そういう自由さを羨ましいと思うと同時に、自分の中に「トップが参加する飲み会に行かないなんて総務としてあり得ない」みたいな気持ちが湧くのを止められないんです。
わたしだけが毎回会費を払って仕事でもないのに愛想を振りまいて、あなたたちは好きなように不満を言って自由にしている。それを憎らしく思ってしまうのを止められないんです。

ああ、これは良くないな、と思いました。

こういう気持ちを抱えたまま齢を取っては、若い人の害にしかならない。
わたしだって「行くも行かないも自由にさせてほしい」と思っているはずなのに、飲み会は(ほぼ)強制参加だったころに叩き込まれた精神が邪魔をしている。
今年の忘年会の出欠確認表を見てみれば、半数以上が×でした。特に女性はほぼ不参加。〇をつけている人はほとんどいません。
わたしも×をつけられるようになりたい。
自分の中に植え付けられた固定観念を取り払いたい。

会社の飲み会は行きたい人だけ行けばいいはず。
忘年会だって、新年会だって、送別会だってそうです。だって仕事じゃないんだもの。そこは仕事の範疇じゃないんだもの。
お金を払うのは自分です。笑いたくもないのに笑って、男性の話にうんうんと相槌を打って、疲れ果てて帰る。そんなことに使われるわたしの大事なお金も可哀想です。
お酒は好きだし当然の権利だから好きなものを飲むんですけど、酔っていたほうが楽だからという理由もあります。そんな理由で飲まれるお酒ももったいない…。
わたしは仕事のあとにまで会社の人と一緒に居たくない派で、会社付き合いだけの人にプライベートなことを聞かれたりするのも嫌。
それなのに「飲み会だよ」と言われれば「行きます」と答える自分が一番嫌なのです。
そして気軽に断る人たちを、心の中でちょっと恨んでいる。
なんという自分勝手な感情でしょう。


日本の「飲みニケーション」という文化は撲滅したほうがいい。
そう思います。
アルコールで他人に迷惑をかける日本人のなんと多いことか。日頃の鬱憤を晴らすかのように大声を上げて騒いでいる姿は、時にみっともないとさえ感じます。
そして、その文化に浸ってしまっている自分もどうにかしたほうがいい。
コロナ以降飲み会も減ってきたとは思うけれど、「忘年会」や「歓送迎会」などの名前の付いたもの、トップ交代のときの大がかりなパーティなんかはなくなりません。
そのいずれかに「×」をつけられるようになりたい。
×をつけたことを後ろめたく思ったり、上司に再度誘われて意見を変えるようなことがないようになりたい。
心の中でこっそり人を恨むようなことはもうしたくないんです。
飲み会を上手く断れて、押されても躱せるような、そんな意志の強い社会人でありたい。
うちは男性が多い会社だから女性が参加すると喜ばれるのだけど、そういうのももうやめにしましょう。わたしは、わたしたち女性は、男性を楽しくさせるためのパーツではないのだから。

今回の忘年会はもう参加で決定しているので、次回があったときには少しだけ勇気をもって、不参加を言えればいいなと思います。
もちろん、行きたい気持ちだったら行けばいいのです。
自分自身のちょっとした歪みを正していけるように、もっと楽に生きられるように、若い人の自由さを恨むことのないように。

飲みごとはほどほどに。
自分が本当に楽しいときにだけ、参加できるようにしたいものです。



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つかさ
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