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散文仮説【子供の夢と未来のifの摘み取られ方】
私はひがしの声全然ありだと思う。可愛いよ。
褒め言葉って届かない。
いや、とても届きづらい。
子供の可能性って割と意図せず簡単に崩れてなくなる、例えばこんな具合に
「私、アニメが好きだから絶対声優になりたいんだよね」
そう言った彼女は私の高校時代の友人だった〝ひがし〟である。
出会いは高校時代同じクラスで面接の時、ホルマリン漬けについて話したことがある。席は私の左斜め前かな?後ろな気がしたけど〝が〟より〝ろ〟の方が後ろだと思うから多分前。
何を隠そう新年早々クラスでハブられた首謀者というか、私が仲良くなった2人との3人組に「他のグループに居たけどあいつら性格悪いからこっち混ぜて!」と言ってきて、しばらくした後中心設立者の辻村にウザさを感じて「あいつウザイから仲間外れにしようぜ!」と。研修旅行の直前の出来事。それから辻村の昼飯所は教室から螺旋階段突き当たりの立て看板の裏のちょっとした隙間スペースになった。ここはいい。玄関から見ようとしなければ存在が気づかれ辛いからね。でも今はその話は置いておこう。
閑話休題
話が逸れた。紆余曲折あって彼女と1:1で仲良くなり、中退し、その後も関係はしばらく続いていた。
ちょうど私が家出をしていて当時の元彼の家に転がり込んでお世話になっていた時期。その家はいつだって人が居る家だった。そもそも従姉妹家族、おばあちゃんとの3世帯暮らしというのもあったのだけれどそれ以前に毎日毎夜人が居る。友達も、その友達の知らない人も、なんならその彼女も。学校から帰ってくるともう誰か居て遊んでる。そんな具合の家だった。
そこに家の近かったひがしもよく入り浸るようになって、元彼のお母さんの紹介で最寄りのコンビニにバイトするようになって、そうだね、その頃から«私の友達☞元彼のお母さんの友達»になっていった。
だから私は彼女が今どうしているのか知らないし、連絡するすべも無い。なんなら別れた事により「あいつクソだった」ってみんなと談笑してたと思う。それはいい。全然いい。
まぁ、そんな具合だった。その当時の出来事でまだ心に引っかかっていることがある。
彼女はアニメが好きだった。私はアニヲタ(というのももうはばかられるけど)だった。彼女が最初に所属してたグループも地元中学から仲良しの4人組のアニオタ×3 ジャニオタ×1 のグループだった。
だから彼女がすごくアニメが好きなのを知っていた。なんか、ガンダムのアレルヤとハレルヤという2人が好きだと熱弁していたのがとても記憶に残ってる。
そんな彼女がふいに発したのが件の
「私、アニメが好きだから絶対声優になりたいんだよね」
彼女はとてもハスキーな声だった。見た目は姐さん女房みたいだったけど、そこは関係ない。化粧やダイエット表情などでいくらだって融通が効く。ワンチャン彼女は自分の父親は会社の社長だ!と常日頃からことある事に言っていたので整形という手だってあるのだ。整形だって努力だ。勿論せずに済むのならそれに超したことはないけど、いずれにせよ化粧っけの無い高校生。まだ可能性は無限大だった。
その為に中退後も頑張って通信制の学校やってると言っていた。辻村はアホなのでよく分からなかったが、なにやら高校卒業と同じ資格が貰えるユーキャンみたいな物らしいという事は教わった。彼女は努力をしていた。
でも、大人達はそれを知らないわけで、だから仕方なかったのかもしれない。函館は閉じた世界なので、そしてそこで始まって終わる人が物凄く多い世界なので、それもまた仕方なかったのかもしれない。
そのひがしの言葉を聞いた大人は笑っていた嘲笑っていた。
「声優wなれる訳ないでしょ!誰がそんなガラガラな声聞きたいのwもっと可愛い声じゃなきゃなれないよw」
その場総出でわらう。
でも彼ら彼女らはアニメに詳しい訳ではなくむしろ尾崎とか明菜な世界観の人達だ。無論お世話になった方々をdisる意図はない。心から。ただほんとにちょっとした軽いジョーク、軽い否定で才能が潰れるという話をしたかった。
ひがしは笑って「そっかぁwそうだよねw」と言っていた。
集団圧力、空気、そうゆう類いのものが世界には存在する。特にここ日本では。1度みんながブスだと言う子を庇う発言をしたら凄い空気になった事がある。でも私は嘘はつけないから友達が嘲笑された時、何度もあったけどそうゆう時は否定は出来ないけど肯定は絶対しないことに決めた。辻村が辻村である為のギリギリのラインである。
言われたひがしは悲しそうな顔をしていた。そりゃそうだわ。なので、わたしはその場で、なるだけ角の立たないように、なるだけ優しいニュアンスであくまで自分はのスタンスで没頭の
「私はひがしの声全然ありだと思う。可愛いよ。」
という言葉を吐くことになる。勿論届かないそれどころか同情されたと感じた彼女は「はいはいそうですか、ありがとね。」だった。いつも辻村の本意は伝わらない。私は嘘は言わない。不快感を綺麗な表現にして不快じゃなかった事にしたり、言い方を変える時はたまにはあるけれど。基本辻村は正直な生き物なので絶望的にお世辞と謙遜ができない。全て100パーセント自分の思ってることだ。糖衣などで包んでるだけだ。
現実ひがしの声質はプロの声優さんの小林ゆうさんに近い感じだった。カラオケで歌った«HANAJI»だって物凄く上手に歌えていた。途中でキャラがぶれることなくキチンと同じ声で歌い通せてた。それってすごいと私は思う(私は途中で歌い方変わったりしちゃう)
でも言葉も思いも相手に伝わらなければなんの意味もない。これは断言出来る。
よくわかりもしない世界をわかったように否定した大人と周りの嘲笑で潰えた才能が1つ確実に生まれた。ifが消えた。
かくいう私も当時アミューズかなんかのオーディションに、書類を送ったことがある。勿論はじかれたけどその時も
「芸能人はもっと俺が!俺が!私が!私が!!って前に出れる性格じゃなきゃ無理だよ!はるなみたいに意志の弱い性格はなれない」
これはこの言葉は今でも私の心に居る。残ってる。こびりついてる。
ただ、私は発達障害ゆえ、自己肯定感が最初から元々低めに設定されているので「わかるなぁ、超わかる。そうなんだよなぁ。でも歌いたいんだよなぁ。ほらまだ人生なげぇしな??!どの学校でも良くも悪くも有名人で生きてきたしな!」
くらいの気持ちだった。今も「クソだなぁ。コミュ力は絶望的にクソ。歌も上手くはないけどここは多分伸びやすいから頑張って伸ばしてこ!歌の中の辻村だけ見てもらお!」くらいの気持ちだ。
完全無欠の有名人になって売れたい訳ではなくて、好きな歌を好きに歌って時に共感してもらったり応援してくれる人も少しはいて生活はできるくらいの暮らしが出来たらいいとか思っている
閑話休題 話を戻す。
捉え方の問題と言われたらそれまでだけれど、それでもやっぱり可能性を否定する言葉は何も生まないきがしている。それは価値観の押しつけでしかないからね。
似たような事がつい先日あった。姪が今お花が好きだと言っていて花束を貰うのが夢だと言っていた。なので私は20歳になったら今好きな虹色の花を20本包んでプレゼントして今の夢を叶えてあげようと思い現時点の好きなお花を聞いた。
彼女が即答したのは〝菊の花〟
私は素敵だなと思った。私も昔大きいタンポポみたくてポフポフでまん丸で好きだった。というかよく知ってたな?頭いいな?好き!って思った。そこに間髪入れず親であるお姉ちゃんが
「菊は死んだ人の花だから良くないよ。菊はお葬式の花だよ。百合とかは?結婚式の花だよ!菊の花束は仏壇に置いて死んだ人にあげるやつだよ。他は?ないの?」
と。考えた末姪は
「菊じゃなくて、じゃあパンジー」
と、そう答えた。私は菊を不吉と捉えるのは日本だけだと思うし、なんせ国花だし、花は花だから何好きでも良くないか?と思ったんだけれど、なんせ私は社会不適合者で、また親では無いから人生の責任が取れない。ただ、全く同じ理由で私も菊が好きだった私を親に合わせるために否定した事がある。それはとても悲しかった。
こういった具合で摘まれる才能が価値観が君の世界が結構世に蔓延っていると思う。かくいう私も沢山の言葉の呪いを背負って生きている。沢山こびりついている。美醜、体系、云々
そんな私に出来ることはなるだけ大きな声で音楽の中で、固定概念を壊す!!…みたいな事は出来なくても、ちょっと揺すって「こんな考えもあるかも?確かに!」って大多数の人に考えて貰える可能性をきっかけを見出すことと、自分自身が無意識に人の芽を摘むような発言をしない事を気をつけたい。
分かってるんだよ。みんな攻撃する意図ではなく無意識に、何の気なしにしちゃうんだよ。だから多分私だってしてると思う。だから、そこを自分だけはしないよう、考えの違う生き方の違う人をもまた認めてそれも正解としてあげられるそんな人間を目指したいなって思ってます。
第一回目からこんな具合でごめんあそばせ!ツイートしようかな?と思ったんだけど、あ!note!やってみよ!?と思って衝動的に書きなぐった次第でありんす。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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【辻村はるな】