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行きつけの喫茶店


「長い間、ご愛顧いただきありがとうございました。2019年7月末をもって閉店することになりました。」

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埼玉県川越市の実家に帰ってきてから、15年以上ずっと常連で通っていた喫茶店がある。特別に広いわけでもなく、何時間も寛(くつろ)げるほどゆっくりはできないが、会社が休みになると自然と足を運んでいた。「今日は暑いね!」「外回りの仕事は大変でしょう!」「今日も頑張ってね!」そんなささやかな気が利いた一言がうれしかったりする。水が少なくなってきたら、すぐに気がついてコップについでくれたりもした。

「今日はいつものモーニングセットで!」といえば、その一言ですぐに持ってきてくれた。店のレジ横にある雑誌や週刊誌、新聞を読むとすぐにホットな情報が入ってくる。スマホやパソコンを触れば、あらゆる情報にすぐにアクセスできるが、紙媒体で好きなところをめくって、じっくりと読書するのは贅沢(ぜいたく)な時間である。「こんなファッションがいま流行っているんだ」「あの人は、そんなこともしていたのか」「こんな街にも一度は行ってみたいな」「噂の真相は、そうだったのか」「バブルの時代は、懐かしいな」「タメになる話だな」

大学を卒業して、10年ぐらい出版社の仕事をしていた頃は、365日、フル稼働で全国の津々浦々、北海道から沖縄までのあらゆるところに行ったものだが、今では「スター・ウオーズ」のオビ=ワン・ケノービの晩年の生活(大袈裟)のように、普通のガテン系の目立たないおじさんとして過ごしている。「いつまでもあると思うな親と行きつけの店」です。

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「年を取ると注文を忘れたり、足腰も重くなって、体力的に喫茶店の仕事もきつくなってくるの。いつまでも喫茶店はできないわ。いつかは仕事ができなくなる日が来るのよ」オーナーの言葉には重みがある。確かに私も20代、30代の頃は、徹夜を何回もしても元気だったし、同窓会をしても3次会、4次会で朝まで飲んでもまったく平気だったが、あのときのエネルギーとバイタリティはどこへ消えてしまったのか?「行きつけの店」だけでなく、筆者の実父も菅義偉官房長官が「令和」のプラカードを持った4月1日に肺がんで亡くなった。ショパンのピアノ曲を家で弾いていた娘も結婚して、横浜に嫁に行ってしまい、大家族がひとりふたりと少なくなってゆく。

おなじみの風景も少しずつ様変わりして、いつの間にか世の中も移り変わってゆきます。行きつけの店がなくなるので、「コーヒーが冷めないうちに」(原作、川口俊和)のように、時田数(有村架純)のいる「フニクリフニクラ」のような喫茶店が、近所にあったらいいなとも思ったりもする。


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