14年目のTCSを終えて ~2020年総括~①
どうもTetsuです!
コロナに始まりコロナに終わる…遊戯王もコロナも終わってはいないです(後者は早々に退場していただきたいですが!)。私事ながら今年のTetsu Champion Shipを終えて、2020年の活動も終了ということで筆を執ります。文章体裁にこだわらず、ダラダラと書き綴っています。年末年始のお暇な時に読んでいただけると気持ちが楽です。
1.コロナとどう向き合うのか
昨年のこの時期は季節性のウイルスというくらいの認識からスタート。元より非公認大会の括りとしては、割と気にかけていた主催イベントの感染症対策。アルコール消毒の設置や換気など、ここ数年の意識は高い方だったように思えます。
流れが変わり始めたのはYCSJ名古屋の前後でしょうか。今にして思えばギリギリの開催猶予というか。仮に現在判明している諸々の材料があったなら、開催に踏み切れなかったであろう奇跡的なイベントに思えます。ほどなくして全国一斉休校から緊急事態宣言へと事態は急転直下。
全国的に自粛自制の流れを受けてデュエルスペースの閉鎖や、店舗自体の休業もチラホラ。第一波と称されるものを乗り越えるも、第二波に続き第三波の真っただ中。自粛期間における疲弊の様子は、良くも悪くも後に続く…退くに退けない、退いてはならないといった風潮を生んだ気もしています。これはカードゲームに限らず、社会情勢としてもです。
個人主催の限界、もとい開催のリスクに怯えまくり。竜星の嵐 小倉駅前店の手厚い援助があって、哲会からゆっくりと歩を進め始めました。Tetsu Champion Ship開催の判断もギリギリまで悩み、むしろ猶予がある分は全て使わせてもらったような決断でした。
ここからようやく要点に。趣味という範囲は、自分に都合よく解釈するものではないと考えます。身も蓋もない言い方をすれば、遊びにどれだけ覚悟を見出せるのか。遊戯王を売ったり買ったり、あるいは遊戯王を使ったイベントを開いたり。それらを仕事として生計を成り立たせている人は、ちゃんとそうする、そうしなければならない理由があります。
体を札、担い手などと称しても、それは趣味であり遊びの延長。覚悟うんぬんの前に、先述した方々と比べるべくもありません。その立場である自分がどうするべきなのか。それこそ一年近く悩んで様子を見て…結論を出したと言えば聞こえは良いですが。時間が解決というかなし崩し的に答えとなったが正しいです。
やれることをやった上でやるしかない。これに尽きます。感染のリスクを考えれば何もしないことが一番です。しかしそれではコンテンツは閉塞するばかりで、先細りの未来しかありません。リモートデュエルや動画配信。リンクスに記事の執筆など、色々と遊戯王への関わり方はありますが。第一波が収まった時、デュエルスペース解禁の際に見たユーザーの動きは忘れられません。対人、対面あっての遊戯王なんだな、と。
かくいう自分は、この転機に新しい取り組みを始められませんでした。成果を挙げられなかった、が正しいです。何気ない記事の寄稿に、デッキレシピのまとめ。リモートにも挑戦しましたが。自分だからの強みも生まれず、あまり言いたくないですが費用対効果も薄く。当初こそ自粛の兼ね合いで時間を投資できましたが、現在のアクセルとブレーキを踏む生活の中では、断念せざるを得ないのです。
現場での活動。Tetsuが見出したコロナへの向き合い方は、現地現場での大会運営への携わり。それが例え小さくても、それ自体に負担があっても。自分ができて、それなりに遊戯王へ貢献できることは、イベントを企画して運営することだと結論に至りました。
幕間.『折』れること
年内ですべてを寄稿することは難しいと判断。一旦筆を置きます。続きが書けるなら次の記事ということにします。
こういった踏ん切り、諦め…折れるという考え方をできるようになったのが2020年です。継続は力なり、と謳うこともありましたが、裏を返せば止め切らずに続けること自体に意義を見出すようになってしまい。結果的に疲弊、摩耗して次のステップに進めないことしばしば。
TCSを例年の開催地で行うこと、データに打ち込んでデッキレシピを発信すること。恐らく新年早々にデッキレシピのまとめも、縮小あるいは断念する運びです。潔さとはまた違う、自分の中での取捨選択。誰かを救うということが、誰かを救わない、と自分の決断が誰かにとってマイナスになるわけじゃないことが大前提です。
2020の自分を表す漢字『折』として。真名に部首を含むという小ネタ入ってます。とても歯切れは悪いのですが、常に在る、体が札であるということが真の意義なのかもしれません。ここまで読んでいただきありがとうございました。
良いお年を。