からまりとずれをひもとく
「どこからずれたのか」
少し前、友人と話していて、
その友人の場合、どこがずれる発端だったのかと。
「あ!そこ!そのポイントからずれたんだ!」と
あまりにもわかりやすく
きっぱりばっちりわかるエピソードがあり。
それを自分にも当てはめてみたら。
もう、いろんなことに、気づいてしまった。
まずは一番最初の、ずれたポイント、
私の場合だと、
仕事に関して、本当に何がやりたいのか、
わからなくなっていたのだけど。
そのずれは、思った以上に、結構昔だった。
音楽ライター目指して、CD屋の店員してたとき。
そしてあきらめて、実家に帰っちゃったとき。
そうしたら、
そこに戻って、何をやり直さなくちゃならないか、急にわかった。
そのポイントで見失った、捨ててきたなにを取り戻さなきゃいけないか。
パートナーとの関係性で、
なにを課題にふたりで取り組んでいるのかすら、急に見えた。
そしてさらにきのうその友人と、
自分が今後、活動をするにあたって、
自分の経営理念、ミッションというか、
譲れない指針を、持っておく必要があるねという話になり。
首を掛けても、1億円積まれても笑
譲れないものって、なんだろう?
なんのため、これをやるのか。
むつかしいから、
きっとそんなにすぐはわかんないかな、と思ってたけど
さっき気づいた。
恩師の、「幸せな人を増やす」という言葉。
思い出して、涙が止まらなかった。
私が感じていた違和感。
この言葉に、すべて集約されている。
自分の自己実現のためでもなく、
自尊心や満たされなかった承認欲求や欲、を満たすためでもなく。
罪滅ぼしのためでもなく。
もちろん、それを否定したいのではない。
人にはそれぞれ、フェーズもプロセスもある。
ただ、良いことをしている気分、とかではなく、
恩師は現実に、国や組織に働きかけ、実際に変えていた。
自分の立場や地位を、手放し、
純粋な、良い意図を持って。
でも、私は甘い夢を見てしまった。
もっとラクな道がある。
もっとお金だって稼げるに違いない。
もっとわいわい楽しいはず。
何もかも自己責任、自分で決めてる、その人の問題。
うん確かに。
でも本当にそう?
自分に都合よく、歪めなければ。
だってまずは、自分が幸せに、なりたい。
そのときの、正直な気持ちだったんだから、否定はしたくない。
美化してるわけでも正当化したいからでもなく、
100万回考えても、
やっぱりそこを通過したからこそ、
今ここにいる気がしてる。
通らなかったとしたら、
もう少し自己犠牲したままで、
ごまかしたままで、
偽りのいい人を演じてしまっていた気がするから。
それでも。
昨年末恩師にお会いできたとき、
具合を悪くされていたのか、どことなくお元気がなかったことが、
正直とても気がかり。
ブログは年明けから、更新されておらず、
メールにも返信がない。
「これがわたしのタイミングだから!」と
言いたいところだけれど、
わたしのために地球が回っているわけでもなく、
時間は待ってはくれない。
ときは流れている。
そのことを、痛感する。
バスキア展、行きました。
カオスなこの後期の作品がとても好き。
日本もイケイケな時代が、あったんだよね。
いい時代?だったかは、わからないけれど。
期間中にもう一度行って、やっぱりあの、パソコンケース買っちゃおう。
上の写真は父が送ってくれた、軍艦島。