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作品の価値は何に依存するか

 この前、久しぶりの休日に、恋人と喫茶店に行ってきました。
 私の恋人は喫茶店が大層好きで、休みが合えば少し遠出をしても目当ての喫茶店まで行ったりするような人です。
「今は個展もやってるみたいなんだ」
 そう言って見せてくるスマホの画面には、目を惹く透明水彩の絵がありました。
「君、こういうの好きだろう?」
 彼はいたずらに笑います。確かにその絵は、私好みの絵でした。写実的な風景なのに、淡青のフィルターが架かっているような透明感のある色彩。夏の終わりの雨の日を思わせるような、淋しげでひんやりとした温度。
 その作家さんの名前は存じ上げませんでしたが、一気に興味を惹かれた私は、彼についていくことに決めました。
 詳しい場所は聞いていなくて、家の前まで迎えに来てくれた彼の車にただ乗って、車で二時間も揺られた事には驚きました。ようやくたどり着いた喫茶店は、郊外の雑居ビルの一階にあるこじんまりとしたお店でした。
 扉を開けると、焼きたてのスコーンの香りが胸いっぱいに満ちていきます。それは奥の喫茶スペースから立ちこめていて、そのアンティーク感あふれる内装の手前に、個展が開かれています。壁には大小様々な多くの絵が、ずらりと並べられています。
 美しい絵たちでした。滑らかな曲線、精巧な色遣い、じっと見ていると吸い込まれそうなほど見事に確立された世界に、じっと焦がれました。
 特に目を惹いたのは、深い森の奥でぽつりと佇んでいる、夜の喫茶店の絵でした。
 上には月が出ていて、鬱蒼とした暗い暗い森の中で、その喫茶店だけが浮かぶように、ぽうと明かりを灯しています。私は絵の前に立ち止まり、じっとその世界を見つめていました。
 建物の輪郭の一本に、散りかけの草花の一欠片に、こもる命を、温もりを、感じ取ろうとしました。優しい水に浸ったような、静かな夜に包まれたような、そんな美しい絵に囲まれて心がひたひたと満ちていくときに、ふと横から声をかけられたんです。
 丸眼鏡のよく似合う中肉中背の女性が、窺うように私を見ています。なんだろうと小さく首を傾げると、作家の✕✕ですと言います。
 寸秒遅れて、この絵の作家さんなのだと気付いた私は、ただ情けなく「あっ」と声を漏らし、会釈をするだけでした。
 けれど、隣りにいた彼はとても上手に話をしていました。
 SNSでお見かけして来てみようと思ったんです。前は〇〇の喫茶店で個展されてましたよね?その時から素敵だなって思ってたんです。
 ぺらぺらと連なるその言葉を聞きながら、私はただ、心臓が忙しなく動き出すのを抑えられずにいました。
 この美しい世界を生み出した人間が、今、私の目の前にいる。あまりに普通の姿で。特徴のないただ一人の女性の姿で。
 それは興奮ではありませんでした。反して失望でもありません。これほど素敵なフィルターで世界を映す事のできる人が、こんなに当たり前に世界に馴染んでいる。その不調和感が恐ろしかったんです。
 人が描いた絵だと言うことは当たり前に分かっていたはずなのに、どうしてでしょう、実体としてそれが目の前に現れた時に、私はひどく恐れました。

目の前に広がる世界を作った神様が、ここにいる。

 私はこの絵が隠したがっていた秘密を、なにかの間違いで不覚にも知ってしまったという後ろめたさに見舞われたのです。
 隠し事が暴かれた子供のように視線を動かしてしまう。人見知りしすぎだよと彼は笑うけれど、私は最後まで彼女の目を見ることができませんでした。
 むしろ私は目を塞ぎ、耳を塞ぎたかった。彼と彼女の会話を、聞きたくなかった。
 作品の向こう側にいる作家のことなど、私は気にも止めていなかった。ただ、作品だけを見ていた。
 作品が発しているものだけを享受したかった。作品が私に訴えかけてくるものだけを、私は受け止めたかった。作品にしか興味がなかったんです。
 作品に一目惚れしたのなら、その作品だけをただ、見つめていたいんです。絵でも、音楽でも、小説でも。不用意にその作者と触れてしまうことは、私の中で、作品の純度を落としてしまうことと同義なんです。
 今回のことでいうのなら、私はただ、目の前の惹かれた絵とだけ対話をしたい。見つめ合っていたかったんです。創造主である神様と会話をするのだとしたら、その絵を介してがよかったんです。

 これが私の我儘なのは重々承知しています。ただの戯言だと思ってください。
 週末の個展なら、作家さんが在廊していても何もおかしくはないし、そんなのSNSで調べればすぐにわかることです。勿論、作家さんは何一つ悪くなんてありません。絵を見に来た人の大半は、彼女と話がしたいはずです。これは、私の生きづらさの問題です。むしろ、私の不誠実な態度によって、愛想の悪い人だと思われてしまったかもしれないと、申し訳なく思います。
 我儘だ、傲慢だと言われることは分かっています。私だってそう思います。恋人である彼にだって、こんな胸の内は言えません。困った顔で首を傾げるのが、目に見えて分かるからです。

 それでも私は、作品だけを愛したい。
 例え殺人鬼が作った音楽でも、その音が美しければ、それは美しいんです。確かな価値があるんです。
 私はそう信じていたい。生み出された作品は、それだけで確立したひとつの命なのです。




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