ネットで自意識を発露することの耐えられない空虚さ
インターネットで文章を書くことにいい加減疲れた。これは偽らざる本音だ。Twitter、はてなブログ、読書メーター、ネット小説、Note……。各種の文章系発信サイトを行き来しては思う、というか確信が強まるのが、ネットの発信で自己肯定感が満たされることはない、ということだ。一時、一瞬一瞬は満たされたような気がしても後から思い返すと「何でこんな下らん自己表現に時間を費やしてたんだ……」となる。なってしまう。辛うじて生産性があったと思われるのはネット小説の投稿と読書感想記録くらいで、他は惨憺たる有様である。Noteでの発信は「最後の整理」みたいなもので、個人的にはまあこれ以上ネットで垂れ流す自意識はないかなあと言った感じである。在籍している大学があまりにも嫌すぎて大学二年にして再受験を企てた話だったり、SNSで知り合った高校中退メンヘラ女と一年ほど交流した話だったり、絵に描いたような上級カースト民と海外で二週間余り苦渋の日々を過ごした話だったり、出会い系で出くわした自称処女の女性に夢をぶち壊された話だったり、文章に起こして見知らぬ誰かに面白可笑しく自験を伝えてみたい願望は少なからずあるが、そういうのはもう卒業かな、と。これ以上ネットで自分を切り売りして人生を擦り減らして精神的自傷行為に浸るのは年齢的にもキツイものがあるな、と。他にやりたいことがあるっていうのもありますが。
冒頭の話に戻りますが、SNSや自己表現サイトで「反応」を貰うというのは、自分の人生を顔も見たことのない「誰か」に星やハートの数で採点され続けられるようなものなんですよね。キリがないし、それで満たされることは永遠にない。ジュースを飲み過ぎると逆に喉が渇くからやめた方が良い、みたいなことを小学生の時に水泳教室の帰りのバスの中かなんかで誰かから言われ「そうか?」とか思いながらポケモンのメダル付きジュースを飲んでいた気がするが、今ならその意味が分かる。ネットの発信で自己顕示欲や承認欲求が満たされたと感じるのは甚だしい勘違いで、底に穴の開いた容器に(穴が開いているのに気付いているのにも関わらず)延々と水を注ぎ続けているようなものなんですよね。結局堂々巡りというか、やってることにいつまで経っても進歩がないというか。このままじゃダメだ、って気付いていてやってしまう辺りが救いがない何よりの証左なんですが。某青い鳥SNSで一時期仲良かった同大学の人間なんて、いつまでも性懲りもなく三、四年前から同じような内容の投稿を続けてますからね、お前は何回同じことを囀り続けるんだ、という。
「第一志望に受かって~」とか「サークルのみんなと~」とか「当時付き合ってた彼女が~」とか「普通の人生」を謳歌している方たちを見るとですね、もう嫉妬とか羨望を通り越して、「どうしてこうなっちゃったんだろ……」ってなりますね。これまで積み重ねてきたものを大学生活で盛大にクラッシュしていきましたからね。忸怩たる思いですよ。こうやったらツイートが伸びるだろうなとか創意工夫して過激的な駄文を生み出しては悦に浸っていた捻くれ大学生に最後に残されていた青春(中高は溝に捨てたため)は、「なぁんかよくわからない」ネットの泥濘の中に溶けてしまった。時間はもう戻らない。戻ってくれない。
本当に後悔しかないですよ。これ以上後悔したくない。
懺悔みたいな感じですが、そろそろ意識を切り替えないと真の手遅れになりかねないので……。もうこういう発信はこれきりにしようかと。
思えば、ネットで発信を始めるようになってから(きっかけは自暴自棄のようなものだったが)、僕は周囲の人間のかけてくれる貴重な言葉に逆に憤ったり、自分の味方になってくれる人間に限って反旗を翻したり、人のくれる優しさとかを一方的に踏み躙ってきたような気がします。
これからはもっと、周りにいる人たちの言葉を真摯に受け止め、大切にしようと思います。思います、じゃなくて、そうします。以上、終わり。
2021.1.18
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