思考の断片 インターネットでなぜ人はイキる〈生きる〉のか
※サブカル素人批評めいたもののネタに困ってきたので、少し視線を変えた記事を今回から書いてみます。不快に思われたらすみませんが私という人間というか私が観ている世界を知る一助にはなるかと思われます。
自慢はコンプレックスの裏返し、という言葉が何処の誰かは知らないけれど合ったような気がします。最近はインターネットでイキる行為もワンパターン化というか行き詰ってきているんじゃないか、と一介のインターネット観測者としては感じていたこともあり、簡易に思うことを述べてみます。
たとえば、彼氏彼女がいる自慢。既婚マウント。モテ自慢。王道ですね。微笑ましいというか私なんかはまあ普通に苛つくというか今日も通勤電車で今生の別れかの様に電車内で抱擁を交わす羞恥心の著しく欠如した番に車内が満員なのも手伝って酷く苛ついたものではありますが、まあそれはいいでしょう。とにかくウザい。SNSの場合、全員強制的に不細工、ということにして脳内で怒りを鎮めています。
他にも、学歴とか、経歴とか、居住地とかをbioにご丁寧に微に入り細を穿ち仔細に書いてあるのを見ると笑ってしまいます。顔本ならまだしもツイッターでそれをしますか? 厭味でなくこの時世では簡単に特定され最悪アンチに晒されるのでやめた方がいいです。それでなくとも、ネットには〇おかしい人が沢山いるので、部屋の間取りとか通勤退社ツイートや買っている商品の出所とかからも間接に危険度が増すと思われます。子どもの写真を無暗に載せるとかモザイクかけてても論外。てか人の個人情報勝手に呟くなよ。
他にも、年収自慢や経歴自慢、飽くことはありませんが、やはり、根底にあるのは「この輝いている私を誰かに知ってもらいたい!」という屈折した、かつ褶曲した自意識ではないでしょうか。たぶんあまり楽しい子供時代を過ごせなかったのだと思います。かく言う私も、昔は隙あらば中学受験の話を人にしていました。中学受験は親の財力と自身の学力、家柄の良さに早期からの偏差値教育を受けられたという優越感、謎の自意識その他諸々を醸し出せ、自慢のカードとしては結構強いのではないかと勝手に思ってます。
就職してから気付いたのですが(就職できました)、大学名は割かしスルーされるのですが高校名、というか中学高校の経歴はかなりの確率で注目されます。これだから学歴厨は止められない。というのは冗談として、私が頑ななまでにこだわる学歴とか東京住みとかそういうステータスの裏返しには、私がその価値観に対し並々ならぬ劣等意識というか偏見を拗らせている何よりもの証左であるとも取れるわけです。ある種の認知の歪み。
全員がそうではないだろうし、主語を大きくするのは嫌いなのですが、ネットで自分語りというか自慢というかイキっている方たちって、どことないズレた必死さというか捩じれた焦燥のようなモノを感じませんか? これはまえまえからずっと思っていたことです。駅前の誰も聞いてない街頭演説とかを思い出してしまいます。滑稽な、それゆえに力のこもった虚しい響き。普通なら中学生や高校生や大学生のときにしておくべきところをよりにも依って責任ある社会人の立場になってから今更のようにやるみたいな。陰キャはいつだって陽キャの後追いですね。世知辛い。
そもそものハナシですね、自分語りとか自慢話って本来、自分の周りの人間に話せばそれで収まるし、満たされるものだと思うのです。メディア系の仕事をしている人とか芸能人とか自分語りが最早仕事と化したインターネット有名人さん達は別ですよ? 今は普通の個人の話をしてます。彼ら彼女らはそれでは満たされない。
ということはですね、今日も元気にネットで囀り倒している小鳥たちは、側にそういう人がいない、いたとしてもあまり良好な可能性を築けていないのではないでしょうか。壁打ちの如くイキリツイートを乱射している方とかも、一昔前は私も一介のネットの海を彷徨う藻屑としては見逃せず「イキの良いのがいるなぁ……よし晒そ」とか震える手でやってたわけですが、今は怒るというか呆れというか以前に虚しさが残ります。それは現実でも一緒。
ああ、この人はイキリの対象に拘りならぬ劣等感を抱いているのだなあという虚しい感慨。もしくは、自意識がまだ枯れ果てていない(確実に後に黒歴史になるとは思いますが)、青臭さならぬ黴臭さ(古いので)を些末に感じるのみです。大人になったのかもしれない。
結局のところ、インターネットでなぜ人はイキる〈生きる〉のか。答えは単純です。
過去の自分と未来の他人に報いたいから
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