136.なんか今日涼しいね。

2022.8/28.21:06
こんばんは。雑誌は来週あたりに出す予定です。でも忙しかったら先延ばしします。まあ受験生の身分で忙しくないときなんてないけど。

さて受験は受験で置いといて、高校では文化祭の準備が始まりました。不本意ながら台本制作を任されまして、誰か巻き添えにしないとやっていけそうもなかったので別の友達と二人で作ることにしました。気づいたら別のクラスの友達も首を突っ込んできててんやわんやのパルプンテ状態、でもなんとか台本完成。一歩間違えれば(というかもう二歩ぐらい間違えているような気がしますが…)学校中からひどいバッシングを受けるなんてエンドも避けがたい作品になってしまいました。スベったら僕だけじゃなくクラスみんなの品位に関わりますが、でもそれさえ目をつぶればなかなか良い作品になったんじゃないかな。僕は気に入っています。

なんか今日すごく涼しくないですか?なんなら寒いくらい。京都だけかな。
やっと京都の夏が終わって秋に切り替わる時期には独特の香りがします。毎年その香りを嗅ぐ度に、またあの季節がやってくるのかとノスタルジックな気分になるもんです。そういえば今年の夏はバスが不気味なくらい空いてたな、と思ったら観光客が殆どいなかったからか。京都の夏の昼間にバスでクーラーの当たる席に座ろうなんてなかなか野心家的な発想ですが、今年はそんなこともなかった。でも少し寂しい気もするな。ガラガラのバス停から、ガラガラのバスに乗り込むのは変な気分です。まあ僕が乗ってる系統が若干ニッチなだけかもだけど。それにしても不思議な夏だった。

かなり前の話だけど、京都の夏といえばやはり祇園祭です。毎年祇園祭の様子が新聞の一面に出るもんですが、それを見てるとだんだん人が人じゃないように見えてくる。大通りに溢れんばかりの人が押し寄せて押し合いへし合いしている様子には、なにか一つのうねりのようなものを感じます。流体力学という物理学の学問領域があるらしいのですが、ああいう人混みを見てると、あの動きを流体力学の考え方で捉えられる気がしてくる。人体は60パーセントが水でできているらしい。なんならもう100パーセントだとみなして人混みを水みたいなものとして考えてみると、人の流れが物理学的に操作できるんじゃないか。いや、無理なんですよ。人混みを流体力学的に捉えるのには限界があるわけです。でもじゃあもう一歩踏み込んで、なぜ人混みを流体力学的に捉えられないかを考えてみよう。まるでなんか一うねりの波みたいな勢いの人混みが、流体と同じ動きをしないのはなぜか。流体の動きと人混みの動き。その違いが、「人間性」とか「人間らしさ」と呼ばれるものなんじゃないだろうか。都市計画とか都市設計とかいう言葉があって、それがすごく難しい事のように思える(実際にすごく難しいことだろう)のは、その人らしさ的なものをうまく捉えられないからじゃないだろうか。流体力学を知って、社会の仕組みを知る。そこから話が始まるから難しいのかもしれない。都市計画なんて本ですら読んだことないけど。難しそうすぎて。

結局、この夏は逃避行できずに終わっちゃいました。本当はしたかったんですよ。学校の補修をサボタージュして一日だけ聞いたことも見たこともないような場所に逃避するの。辺り一帯田んぼしかない場所でバスを降りて、もう歩けないと思うまで歩いてみたかった。山の麓のさびれた神社にお参りして、気づいたら神去にあって、細田守の映画になってもおかしくないくらいの異世界大冒険に興じるつもりだったんです。田んぼの反対側で同じように今日一日だけと決めて逃避行してきた女の子とたまたま出会って、少女漫画にも描けないようなロマンチックな一日を過ごしてみたかった。ちなみにその女の子とは五年後に河原町の雑踏の中でばったり再会して結婚する予定でした。
入道雲も満足に見れないまま、今年の夏が果てていく。いや、一度くらいは拝みたい。ラピュタを包んでいそうなくらい大きな入道雲に一目で心を焼かれたい。もし見れたら写真を撮ろう。まだ間に合うはずだ。

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