“浄化”された町で、アートが存在すること。
日ノ出町駅から大岡川沿いを進むと、黄金町バザールの入り口の日の出スタジオが見えてくる。会場は高架下を中心とした細長いエリアに点在している。
エリアマップを手に、一見ギャラリーなどありそうにない細い路地を覗き、ぽつんと置かれた消毒用アルコールを目印に進む。
木造アパートの1階だけがぶち抜かれて展示空間になっていたり、民家の玄
関の横の一画だけガラス張りで作品が置かれていたり。
黄金町はかつて「ちょんの間」と呼ばれる違法風俗店の立ち並ぶエリアだった。2005年に一斉摘発が行われ、建物を行政が借り上げ、黄金町エリアマネジメントセンターによってアートの町に生まれ変わった。
ハツネウィングCでの展示《ひとつぶのすなのせんぶんのいち…ときのしずく》の作者SUZUKIMIさんと話すことができた。この会場は設計デザインコンペの入賞作品としてリノベーションされたそうだ。
1階から狭い階段で2階へ上がる一般的な「ちょんの間」のつくりとは違い、ここは空間が縦に斜めに仕切られ天井が高いので、狭いけれど閉塞感がな
い。
今回の作品は、この空間に触発されたという。天井高を生かしてテグスで吊るしたサンゴの輪の中を水滴が落ち、床の水鏡のような水面が揺らぐ。部屋の奥には透明なプラスチックケースから切り取られたモチーフが吊るされ、白い壁に美しい影ができていた。
話を伺うと、黄金町の背景や元「ちょんの間」で制作することに対する意識は強くないようだった。
ここでかつて売春していた女性たちがどこへ行ったのか。「浄化」された黄金町でアート作品をつくるとはどういうことか。そんなことを考えると、目の前の作品はきれい過ぎるような気がする。
鑑賞者の私が、黄金町のもつストーリーにこだわっているだけなのかもしれない。そもそもレジデンスアーティストにとって重要なのは、何よりも滞在制作の場があり、作品を人に見せるチャンスがあることだろう。黄金町の記憶と関わりたい作家ばかりではない。
しかし、一通り会場を回った後も、どこかざわざわした思いが残った。
大岡川を渡り、人の多い伊勢佐木町通りを抜けて福富町に入ると、風俗店や韓国系の店が並ぶ。昼間はとても静かで、ところどころ空き店舗も目立つ。突然アジアの街中に迷い込んでしまったような、カラフルな看板と猥雑な空気。
川の対岸の黄金町の風俗店が摘発され、アートの町へと様変わりするのを、こちら側の人たちはどのような思いで見ていたのだろうか。あるいは、関係ないことだと何も思わなかっただろうか。おそらく、この町に暮らし働く人々は、黄金町バザールに行かないだろう。
社会科見学のような好奇心と少しの後ろめたさで福富町を通り過ぎる私は、もしいつかここがアートの町へと「浄化」されたら喜んで「場所の記憶」を味わいに来るのだろう。
アートは、安全だから。
(こにし)