サザンオールスターズ CM使用楽曲のバージョン違い
大下由祐さん(https://note.com/fair_oxalis36)にサザンのCM用テイクのリストを…と記事ネタをいただきましたので、気分を変えてnoteを別館として、こちらで書いてみました。
基本的にCM用の音源というのはレコードと同じ録音であっても必ず別ミックスを作っていると思いますが、ここでは録音そのものが別テイク、またはなにかしらのパートが別テイクまたは足し引きがあるものという観点でリストアップしています。私が気づいてないものがもっとあるかもしれませんが、ご存知の方がいらっしゃいましたらぜひともお知らせください。
余談1: サザンをコマソン界に引き寄せた男 吉江一男とミスターミュージック
吉江一男は1948年東京生まれ。ジャズピアニストの八木正生に師事し、CM音楽制作会社ARAに入社。ネスカフェ・ゴールドブレンド「ダ・バ・ダ」やフジテレビ系「あしたのジョー」などの八木正生関連を含んだ作品のプロデューサー、アシスタント、ディレクターなどを担当。78年、満を持して自身のCM音楽制作会社、ミスターミュージックを青山に創立している。
ミスターミュージック第一弾は吉江(後年、まぶたひとえのクレジットに変更したようだ)作・クニ河内ヴォーカルの小学館の学習雑誌・小学一年生「ピッカピカの一年生」であった。その直後、デビューしたてのサザンオールスターズをコマソンの世界に呼び込むことに。
吉江はその後も竹内まりや、佐久間正英、YMO/坂本龍一/細野晴臣、近田春夫、ヒカシュー、大瀧詠一(森進一で「恋するカレン」的な曲を…と、「冬のリヴィエラ」の楽曲コンセプト企画・大瀧本人に依頼したのは他ならぬ吉江だったようだ)、加藤和彦、大貫妙子(「色彩都市」大元のCM用録音のプロデュースは吉江によるものだ)、シーナ&ロケッツ、長戸大幸/ビーイング、山下達郎…らとタッグを組み、次々にCM音楽を世に繰り出していった。特に近田春夫や長戸大幸とは親交が厚く、近田やビーイングのミュージシャンとの覆面ユニットCM Net Workとしてコマソンカバーのメガミックスシリーズもリリース。CM Net Workのリーダー、小諸鉄矢としてコマソンのみならず「恋はマジョリカ・セニョリータ」(未リリース版)=「ムーンライト伝説」などの作曲まで手掛けている。
80年初頭、サザンの3rdアルバムレコーディングにおいて八木正生が管弦アレンジで初参加するが、ひょっとするとサザンのA&R高垣健は吉江との縁から、八木に参加依頼をしたのかもしれない。
余談2: コマソンとタイアップ
この記事では、純粋にCM用に作られた、レコード化を前提としていない楽曲をコマソンとし、レコードのリリースを前提とした曲がCMに使われることタイアップと呼ぶこととする(とはいいつつ、読み進めていただくとわかるとおり、特に80年代前半はグラデーションのある曖昧なものではある)。
75年、ON・アソシエイツ音楽出版製作の資生堂「彼女はフレッシュジュース」(→りりィ「春早朝」)以降、歌謡曲/フォーク・ニューミュージック系の歌手・ミュージシャンによる楽曲を使用し、その後フルサイズをレコードでリリースするというタイアップCMが増えていく。タイアップは現在ではリリース用の録音をミックスだけ変える・またはそのままCMに使用することがほとんどだが、それは80年代後半以降の話。それ以前はCMの企画が先行するスケジュール上、先にCM用レコーディングを行い、あとからフルサイズのレコード用音源を別に録る…という順序が多かった。
以下では、主にそういった状況から生まれた、サザン関連におけるCM用の別バージョンや、CMのみの楽曲というのもあわせて振り返ってみたい。
ライオン歯磨 ZACTライオン '78
サザン初のCMソングはタイアップではなく、コマソンとしてのオーダーであった。
78年8月半ば、歯磨のCMの依頼を受けた吉江はデビュー直後のサザンにオーダーしようとひらめき、大里洋吉に連絡を取ったという。この時点のサザンというとテレビは「ぎんざNow!」「夜のヒットスタジオ」出演以降・「ザ・ベストテン」出演以前、というタイミングであった。
あらかじめ用意された歌詞を提示された桑田は数日後に曲をつけ、30秒の楽曲としてバンドでレコーディング、納品された。
確かに圧倒的にキャッチー、デビューしたてのバンドのコマソンにしてはかなり上出来だったのではないだろうか。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドなども経由した?ブギー、躍動感溢れるスウィングするビートにたたみかける桑田のヴォーカル、第一作にしてクオリティの高いコマソンといえよう。
こののち、ネタ切れ状態でなんとかアルバムを作らなければならなかった2ndアルバム『10ナンバーズ・からっと』でこのコマソンを基としたレコード用のフルサイズ「Let It Boogie」が製作される。CMではソリーナが入り、Horn Spectrum?(レコードでは兼崎順一単独のクレジット)アレンジのブラスもかなり賑やかであったが、レコードではソリーナなし・ブラスも控えめと、あくまでバンドの演奏を主体としたアレンジ、ミックスとなっている。
しかし「あたりかまわずスパスパ モグモグモグムンムンムン 吸った後にはヤニヤニヤニヤニすぐたまる」といういかにもコマソンな歌詞を「あたりかまわずフラフラ 男心にムンムンムン そんな色気がヤンレヤンレヤンレヤンレ気にかかる」とオリジナルの歌詞に書き換える当時の桑田の軽やかなセンスには脱帽するばかりである。
朝日麦酒 三ツ矢サイダー '79
第二作にして、テレビ界で既に人気者となっていたサザンの本人出演作品。
三ツ矢サイダーのコマソンといえば73年以降ON・アソシエイツが音楽制作を受け持ち、77年まで大瀧詠一(76年のみ山下達郎)が担当。78年はBeatlesの楽曲を使用していたようだが、79年にはONから再び大瀧詠一に依頼があり、大瀧はデモ・スケッチを録音。しかし出演予定のBrooke Shieldsが来日せずONの企画はボツとなる。結局実現したのは、手塚さとみと音楽も担当するサザンの本人出演…という企画であった。この企画の決定を受けてアミューズは、ZACTライオンの縁かミスターミュージック=吉江一男にコマソンプロデュースを依頼。吉江によると78年末、桑田と二人でプリンスホテルに缶詰になって作曲。2曲が出来上がり、評判のよいほうが採用されたようだ。
ZACTライオンと異なり、なんと今度は作詞も桑田によるもので(大瀧〜山下のサイダー作品は作詞家の伊藤アキラが担当していた)、新人作家としては異例の扱いだが、なんとかクライアントチェックを潜り抜けたという。
この頃、桑田はデビュー前までのような時間的制約のない環境ではなく、大量のテレビ出演・ライブツアー・雑誌取材等をこなしながら、リリーススケジュールが決められたレコードの曲作りをしなければならなかった。コマソンも流用できるものはしようという方針だったのか、ZACTライオンが「Let It Boogie」に改作され『10ナンバーズ・からっと』に、後述の焼そばUFOが「アブダ・カ・ダブラ(TYPE 3)」になりシングル「いとしのエリー」に収録される中、サイダーはというと…。ノン・クレジットでコマソンをそのまま(よりによって焼きそばUFOの改作である)「アブダ・カ・ダブラ(TYPE 1)」ラストの離陸音SEに紛れて一瞬流すという、なんともな扱いで『10ナンバーズ・からっと』に収録されている。
そしてコマソンのレコーディングから1年以上が経った80年3月、シングル「恋するマンスリー・デイ」のB面に「青い空の心〜No Me? More No!」として唐突にフルサイズが収録、リリースされた。コマソンで聴かれたHorn Spectrum?のブラスは「青い空の心」には入っておらず、バンドのみのシンプルなサウンドである。
日清食品 日清焼そばUFO '79
ピンク・レディーの後を継ぎ、サザン6人スーパーマンのコスプレで出演した焼そばUFOのCMでも、サザンによる楽曲が流れている。Paul McCartneyを間に挟んだようなディキシーランド・ジャズ風味のポップスで、映像とは全く関係ない趣味趣味音楽の類である。
オンエア直後にリリースされたシングル「いとしのエリー」B面に収録された「アブダ・カ・ダブラ(TYPE 3)」がこちらのフルサイズにあたる。CM版でも聴かれる管弦スコアは新田一郎によるもの。CM用録音は商品名が入るなど歌詞が異なるが、クレイジーキャッツの引用や「ミコラソン」「モナムール」など、どう見ても当時の桑田なセンスが炸裂している。
おそらくCM版、そしてTYPE 3を録り終えた状況で、アルバム用に曲ができなかった苦肉の策=アルバム用にあと2バージョン収録する…という前提で、TYPE 3としたのではなかろうか(そして効率化のため、サイダーはフルサイズ化の作業着手に至らなかったのかもしれない)。
アルバム『10ナンバーズ・からっと』ではTYPE 3のサザンパートはそのまま、新田の管弦をオミットし薗田憲一とデキシーキングス(アルバムでは薗田憲一&ディキシーキングスとクレジット)のブラスに差し替えたリミックスバージョンのTYPE 1、さらには別テイク・別歌詞のショート・バージョンTYPE 2まで録られ収録された。また、CM用録音もプレゼント編用に一部歌詞が変えられたバージョンが存在する。
ヤマザキナビスコ チップスター '80 「ポテト・フィーリング」
79年末からサザン出演で「C調言葉に御用心」が使われているCMがオンエアされていた、チップスターの第二弾。直後にリリースされる『タイニイ・バブルス』収録の「ふたりだけのパーティー」となる楽曲のCM用録音。「アイダホポテトの香りが好きよ 最高なんてもんじゃないのいいじゃない」と、歌詞は珍しく綺麗に商品に寄り添ったフレーズである。
ちなみにJASRACで「ポテト・フィーリング」のタイトルで単独登録されているのが、このCM用楽曲と思われる(直リンクご遠慮を…とあるため、興味のある方はこちらから検索を)。
https://www2.jasrac.or.jp/eJwid/
朝日麦酒 三ツ矢サイダー '80
直後に「いなせなロコモーション」としてシングルリリースされることになる楽曲の別バージョンがCMに使われている(同年、「勝手にシンドバッド」を使ったバージョンもオンエアされている)。こちらはシングルタイアップで、歌詞もコマソン〜CMバージョンというよりはレコード用の推敲前といった雰囲気がある(「サイダー」の語も出てこない)。
ヤマハ発動機 パセッタ '81
渡部絵美出演のヤマハのスクーターのCMに、原由子ソロ「Loving You」となるビートリーな曲が使われているが、CM用録音は演奏のみならず歌詞も一部別である。
サイダー’80同様、歌詞は推敲前といった雰囲気である。
アンネ シャンテS・アンネット '81
「偉大なる女性に感謝」のコピーで有名な桑田出演のアンネCMには、暑苦しさを内包しつつもメロウネスに溢れた楽曲を使用。「素顔で踊らせて」として『ステレオ太陽族』に収録されるこの曲、レコードと同じ歌詞だが、別演奏のためメンバーの細かいフレーズなどに違いが見られる。
松下電器 ナショナル ザ・サード '82
ナショナルのラジカセCMにサザンが出演。のちに「逢いたさ見たさ病めるMy Mind」として『Nude Man』収録されるカントリー〜サザンロック風味のCM曲、当初オンエアされていたバージョンではレコードと同じ歌詞だが別テイクが使用されている。
CM撮影時、既に用意されていた「ギターで始まる曲」ではイメージ・テンポが違うとのことでその場で桑田がメロディを紡ぎ、「ザ・サードで」録音。そのカセットをもとにスタジオで改めてレコーディング、CMに使用したということである。のちのCMではフルサイズで録り直した、レコードと同じテイクの終盤部分が使用されている。
アンネ キャティ '82
前年に続きアンネのCM曲をサザンが担当。ただし本リストでは珍しく、82年版は本人達が出演しないCMであった。直後に『Nude Man』に収録されるアーベインでメロウな「女流詩人の哀歌」となる曲で、レコードと歌詞は同じだが別演奏。レコードのほうが練れた演奏で、ピアノやベースのフレーズなど違いがみられる。
日産自動車 パルサー '82
82年の桑田/サザン・森英恵出演の日産パルサーCMは、当初「走れ!!トーキョー・タウン」(こちらは桑田による全編英語詞、パルサーが登場するパルサー讃歌とでもいうような内容でそのままレコード化されている)が使用され、その後第二弾としてレゲエ調の新曲が登場。演奏は『Nude Man』収録の和レゲエ・アンセム(?)「来いなジャマイカ」と同じに聴こえるが、歌詞が別(コピーの「感動」というフレーズをしっかり入れている)。
おそらくこの後歌詞はレコード用に書き換え歌い直したのであろう。CMでは無難なこの歌詞、レコードに最終的に収められたほうを日産のお偉方が聴く機会はあったのだろうか。ある意味アナーキーなスタンスといえなくもないが…。
雪印乳業 スライスチーズ '84
桑田出演(毛ガニ共演編もあり)のスライスチーズCMのうち、チーズをのせた皿をスクラッチするバージョンでインストのCM曲が使われている。『人気者で行こう』セッション時に録音されたと思われるインストで、最終的には「祭はラッパッパ」として収録される曲のイントロ部分にあたる。「祭はラッパッパ」イントロでは関口和之・松田弘の男気溢れるマニュアル・プレイが堪能できるが、当初録音のCMではスクラッチから連想したのか、サザンのセッションに参加したての藤井丈司が操るMC-4?が奏でるシンベ、松田の操る?リンドラムが鳴るエレクトロな編成だ。
レコードでヘリコプターの音風に入っているシーケンスのフレーズもCMで既に入っており、このフレーズから桑田は「Goodnight Saigon」を連想し歌詞を書いたのかもしれない。
富士通 テレホン '85 「ロックあの人は今…」
85年の通信自由化(電電公社の民営化、民間の参入)に伴い、電話機も電電公社以外の各社から発売されるようになる。富士通の電話機のCMに起用されたのがサザンで、CM音楽もサザンが担当することになった。録音は84年末、『人気者で行こう』の手応えを踏まえ再び藤井丈司をフィーチャー。藤井の導入したフェアライトCMIをフルに活用し、このレコーディング体制がそのまま翌年3月から録音開始の『kamakura』に生かされることになる。この曲も同じ方向性で「Computer Children」としてアルバム・セッションで録り直されるのだった。
CM用録音ではレコードと異なりベースはシンベ、歌詞もまったく異なり「Billy Joel, David Bowie, They’re gonna make you right」から始まる、ミュージシャン名をひたすら織り込んだ英語詞で歌われている。
こちらもCM版は「Computer Children」とは別にJASRACで単独登録されているようで、「ロックあの人は今…」のタイトルがヒットする。歌詞からしてもこの曲のことだろう(直リンクご遠慮を…とあるため、興味のある方はこちらから検索を)。
https://www2.jasrac.or.jp/eJwid/
TDK AD '86 「Smoke On The Water」「Everyday I Have The Blues」
当時活動休止中のサザンが出演している86年TDKカセットテープ(AD、SF)のCMでは、当時活動中のKuwata Bandが音楽を担当するというなんともいびつな状況であった。
このCMで3ヶ月ごとに順を追って使われてた4曲のカバーのうち、レコードでリリースされなかったのが第1期のDeep Purple「Smoke On The Water」、第4期のPinetop Sparks(B.B. King)「Everyday I Have The Blues」である。前者はTDKのプロモーション用ビデオなどでフルサイズも聴けるようだ。
日本コカ・コーラ I Feel Coke & Sound Special '87 「She's A Big Teaser」
87年春、日本コカ・コーラの企画で桑田はDaryl Hall & John Oatesと共演レコーディングを果たす。そこで制作された桑田作の「She's A Big Teaser」がCM並びに景品ビデオに使用された。
88年にシングル「いつか何処かで」B面としてリリースされているバージョンは日本でかなり差し替え・ダビングされているリミックスバージョンで、87年のオリジナル・ミックスは長年景品ビデオやプロモ盤でしか聴くことができなかったが、2018年の桑田のMV集『MVP』でようやく商品化されている。
キユーピー マスタードマヨネーズ '87
87年、キユーピーの新商品・マスタードマヨネーズのCMにノン・クレジットで原由子のペン、ヴォーカルによる楽曲が使用された。
オンエア当時特にレコード用に録音・リリースされなかったため純粋なコマソンともいえるのだが、4年後の91年、原のソロアルバム『Mother』用に後続部分を追加し再録。「キューピーはきっと来る」のタイトルでアルバムに収録された。CM用録音ではブラス隊をメインに、ドラムもキックとブラシのみ…という編成だったが、レコードでは松田弘のマーチングドラム、小倉博和のブズーキ等をフィーチャーした小林武史によるニュー・アレンジで聴くことができる。
日本航空 JAL 9 Marine Resorts Okinawa '88 「いつか何処かで(I Feel The Echo)」
JALの88年沖縄キャンペーンに、桑田ソロシングル「いつか何処かで」がタイアップ使用されている。30秒版ではサビの頭と終わりを尺に合わせるため、中盤を若干強引に編集し、編集箇所前後のヴォーカルをオミットしている。
日本生命 ロングラン '89
もともと88年秋、桑田監督の映画「稲村ジェーン」用に小林武史アレンジ・北村健太のパーカッション、そして小倉博和のガットギターをフィーチャーして録られていた、のちに「愛は花のように(Olé!)」としてリリースされる曲が、89年春からオンエアされた桑田出演の生命保険のCMに使われている。
こののち、同じ録音をサザン名義でアルバム収録するにあたり松田弘のドラムをダビング・桑田のヴォーカルも録り直したようで、CMで聴けるバージョンはドラムが入らず歌も別テイク、ファルセット部分もシングルヴォーカル…など細かい部分が異なる貴重なミックスとなっている。
日本生命 ロングラン '90 「Hymne à l'amour 愛の讃歌」
前年に続き桑田の出演が続行された生命保険のCMではサザン「You」も使われていたが、別バージョンではシャンソン・クラシックで、日本では越路吹雪のバージョンが有名な「Hymne à l'amour 愛の讃歌」を日本語で桑田がカバー。音声はレコードを前提としない=スタジオレコーディングではなく映像とのアカペラ一発録りと思われ、ゆえの荒削りな歌唱が素晴らしい。
日本コカ・コーラ No Reason Coca-Cola '01
2001年3月からオンエアの桑田出演のコカ・コーラCMで、桑田ソロ名義の新曲が使用された。
90年代に入ると、基本的にサザン/桑田関連のタイアップは既に完パケ状態・リリース前の楽曲を提供していたようで、レコードと別テイクであったり、パートによって直し・差し引きのある別ミックスというのは見当たらない。このCMも当初スタッフは未リリースであったサザンの?「骨太なロック調」のストック曲を一旦提示したものの、一年を通した4バージョンのCM絵コンテを見た桑田がコンセプトとあわないと判断。既にサザンは活動休止していたため、桑田ソロとして新たに曲を書き下ろした。そんな背景があり、この当時にしては珍しく、CMの世界観を把握したうえで一から作曲するという流れで作業が進められた。
まずは「君を守ってやるよと 神に誓った夜なのに」からサビ、スライドギターのソロが終わるまでの60秒サイズを制作、3月からオンエアが開始。
レコード用には前後を追加、ティンパニやブラス等をダビングしたフルサイズ「波乗りジョニー」として7月にリリースされ、以降はレコード用音源がCMにも使われている。
日本コカ・コーラ No Reason Coca-Cola '02
前年の「波乗りジョニー」「白い恋人達」に続き翌年もコカ・コーラのCM曲を桑田が担当。3月からの春編で使われたのが、小倉博和のガットギターをフィーチャーしたオールディー・和製ポップスなストック曲である。この曲、99年秋から始まったサザンのセッション(最終的にはアルバム『キラーストリート』セッションとなる)でM-1として最初に着手され、トラック完成後、「Hotel Pacific」に続く00年サザン3枚目のシングルとして一旦決定。しかし桑田の判断で新たに書き下ろされた「この青い空、みどり」にその座を奪われてしまい、そのまま眠っていたものだ。
紆余曲折を経て02年6月、桑田ソロ扱いとして「可愛いミーナ」のタイトルでシングルのカップリングにようやく収録される運びとなった。CM版は歌詞は同じだが原由子のハーモニーはまだ入っておらず、コーラスは桑田のワンマンである。
参考文献
『カセット・ライフ 1982年8月号』(新興楽譜出版、1982)
『代官山通信 Vol.75』(アミューズ、2001)
堀内久彦『大滝詠一 レコーディング・ダイアリー Vol.2』(リットーミュージック、2022)
吉江一男のブログ
https://ameblo.jp/kazuoyoshie/
MR. MUSIC
http://www.mr-music.co.jp/
爆クラ<第35夜>「CMがクラシック音楽のパトロンだった時代」ゲスト:吉江一男
https://www.bakucla.com/post/35-yoshie
ほぼ日刊イトイ新聞「みんなCM音楽を歌っていた。大森昭男ともうひとつのJ-POP 立ち読み版 第4回 CMソングからイメージソングへ」
https://www.1101.com/cm_ongaku/2007-08-30.html
南十字に戯れる「サザンオールスターズのJASRAC登録情報を見てみよう!」
https://minami10.hatenablog.jp/entry/2022/07/17/215542
Entertainment Everyday One
http://skjmmsk.blog.so-net.ne.jp/ (※旧URL)
How We Live In SAS Days
http://www.jvcmusic.co.jp/sas/diary/index.html
Kuwatarner サザンオタク学 「タイアップ集」
http://www.ueda.ne.jp/~sas/contents/tigh-uplist.htm