タワマンにUberは来ない
前総理大臣の菅義偉氏が、ライドシェア導入を提唱している。増加する訪日観光客などで、タクシーが不足し、彼が推していたインバウンド需要増大政策の足かせにもなり得るという。
インターネッツの掃きだめツイッターこと「X」では、この手の規制緩和、外国人増大政策は、こと「ケケ中」政策として、現代日本における悪鬼の代表者に任ぜられている竹中平蔵氏ともに、非難轟々となるはずであったが、一転、人々は極めて好意的にこの政策提案を歓迎し、支持しているようだ。
菅義偉氏ほどもあろう方が、まさかこの議論の果てを目撃し、政策を打ち出しているわけではないであろうが、「X」ではつい先日、著名トレーダーのJL175氏と、タクシーの運転手たちによるライドシェア導入における議論(というより罵り合い)が繰り広げられていた。
ライドシェア導入による経済効果などについては、諸外国で既に導入されたものであり、賛成反対共に出揃っていると考えられるが、ここでは以下の疑問、そしてそこから導き出される結論を解説したい。
「なにゆえ、タクシーの運転手だけは規制緩和のターゲットたり得るか?」
極論、暴論に満ちた「X」の世界において、医師免許や弁護士資格を自由化、誰でも名乗れるようにし、自由競争させよう、という意見はほぼ常に炎上するのが定番だ。なんなら薬剤師や看護師といった資格の権限を広げ、少しでも医師の職域を犯す提案をするものなら、お医者様からの怒りのコメントに満ちあふれることは、皆様も一度はご覧になられたであろう。
他にも、教員資格が失効していたにもかかわらず、長年それを隠して教壇に立ち続け、ばれてクビになった教師について、こちらもまた非難が集まっていたが、逆に言えば教員としてさしたる問題なく勤めていようとも、資格の有無がその職業に求められている、という人々の同意があると言える。
そして、これはまた逆のパターンで、「物理学で博士を取ったが、今はトラックの運転手をしている」方のケースである。ご本人は今の仕事と生活で充実していると述べているのにもかかわらず、「X」において、このお話はロミオとジュリエット級の悲劇として扱われていたことを思い出していただきたい。
「X」において、望ましい社会の片鱗が見えてきた
もう一つ例を挙げると、図書館の司書の低賃金問題などもあげられよう、公務員の非正規化、それによる待遇切り下げで、こちらもまたそれなりに同情が寄せられるが、同じレベルの同情が民間委託され、実質的に待遇を下げられた、市バスの運転手に寄せられたことがあったであろうか?
そう、「X」において、望ましい社会とは、学歴的努力に比例した待遇が社会からもたらされるべきであり、それを阻むものはなにやら理不尽な利権、しがらみという事になる。
つまり、以下のようにまとめることができる。
「タクシーが捕まらない、愛想が悪いのは、ひとえに規制で守られた利権産業であるからであって、こここそ構造を改革すれば、サービスの良い輸送手段が得られるに違いない」
ライドシェアは解決策たり得るか
まず、既存タクシーの問題点を列挙しよう
繁忙期(急な雨や、イベント開催時)に捕まえられない
過疎化の進む地方では、そもそもタクシーサービスがない、あるいは極めて利用しにくい
ハズレのドライバー(愛想が悪い、道をあえて迂回するなど)がいる
ライドシェアでは、運転手、客相互のフィードバックシステムがあり、また、事前にルート・運賃を決定することができる。また、ダイナミックプライシングにより、繁忙期は利用料が引き上げられることで、供給が増大し、それらの課題を解決できるとされる。
便利なライドシェアを使った海外のお話や、導入されればどんどん活用したい。上の例の「拓志」みたいな個人タクシーなんぞ廃業に追い込める、と期待の声があがっているが、忘れていないであろうか?乗り手と同じだけ、乗せ手が必要である、ということを。
誰が、ライドシェアの運転手となるか?
二種免許を必要とするか否かに限らず、少なくとも運転手は車を用意しなければならない。レンタカーをその目的で借りるのでは、ペイしない(業務目的で、事故に遭いやすいタクシー利用の車を貸し出す料金は、相当に高くなるため)
また、予測できるイベント開催時はともかく、急な雨で「スムーズに」供給を増やすためには、ライドシェアに運転しても良いと考えているが、普段(の料金だと割に合わないとして)は運転しない労働者が必要となる。
つまり、「家に車があり」「割が良ければ運転手をしても良い」と考えている人間が十分に存在することが、ライドシェアアプリのキモとなる。
ライドシェアのアクセスしやすい場所
ライドシェアが広く利用されている国では、このような町が構成されている。ここではホテルのあるような場所から町の大部分、極端なスラムを除けば、誰かは運転手となってくれるであろう。
そこで、雨の日にタクシーが来ない、最寄り駅からタクシーで帰れないと話題の我らがTOKYOはこうだ。
私のアホ絵とは異なり、精緻な分析からも、都心高級タワマンの外を、車のない世帯が囲んでいることが分かる。そして東京市街地はとても大きい
「いくら何でも、下町エリアから金を出せばすぐに来る奴もいるだろう」と言う声が聞こえてくるが、ご自慢の立派なタワマンの周りを、絶妙にローセンスな暇している下町住人がぐるぐる回り、時折タワマンのトイレに駆け込む人間を許容できるだろうか?
無論、待機禁止、トイレ利用禁止などのルールは作れるであろう、その分が料金、そして利便性に跳ねることになる。
「一日中運転していて、呼んだら来る人間が欲しい」のかもしれないが、人はそれをタクシーの運転手と呼ぶ。
プライドと学歴はチョモランマだが、財布の中身は実は下町住人の2ー3倍程度しかないタワマン住民は、どの程度負担できるだろうか(注:JL175氏はもっと稼いでいるので払える)
そんなタワマンの専業主婦にライドシェアをさせるのが、実のところ最適解かもしれないが、恐らく(離婚するので)じきにタワマンの住人ではなくなるはずだ。ブルーカラー労働の価値をそこまで低く見る人間の集団で、あえてその労働をやってみようと思う人は相当に少ないであろう。
そう、平均すると、タワマン住人は、人を乗せるには心が小さすぎ、人に乗せて貰うには財布が小さすぎるのだ。故に、お手頃価格のライドシェアは一等地タワマンには来ないと予測する。
そして、タワマン住人の偉そうな目線をかいくぐり、堂々と肝の据わった専業運転手(上の拓志氏のような方)が、笑うセールスマンをもう少し下品にした顔で、初乗り5000円のメーターをニンマリして倒す未来が見える。
「ダイナミックプライシングですので」
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