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ギリシア神話から読み解く『カラオケ行こ!』『ファミレス行こ。』考察

 この文章は和山やま先生著作『カラオケ行こ!』および『ファミレス行こ。』について、オタク特有の深読み考察をしてレポートとしてまとめたものになります。全てのことはオタクが勝手に言っているだけであり、和山先生そこまで考えてないと思うよ、で片付けられる幻覚の一種です。


▽神話『ハデスによるペルセポネ略奪』に見る、狂児と聡実の関係性

 狂児が「月締めで顔出し」に行く、東京・蒲田のsnackざくろ。店名に冠された「ざくろ」はギリシア神話において、冥界の食べ物とされている重要な果実です。この店名が『ファミレス行こ。』をギリシア神話から読み解く一つの手がかりになるのでは、と考えました。そこでざくろが登場するギリシア神話『ハデスによるペルセポネ略奪』を参照したいと思います。

 以下に『ハデスによるペルセポネ略奪』のざっくりとしたあらすじを記します。大幅な端折りあり、細部は諸説ありますが概ね主流となっている説を採用しました。その後『ファミレス行こ。』の狂児と聡実の関係性との類似点について考察を述べます。

『ハデスによるペルセポネ略奪』あらすじ

  1. ある時、地上で大きな地震が起こります。地下にある冥界の王ハデスは、地表に裂け目が出来てそこから冥界に光が差したりしていないか、自ら被害調査に乗り出します。

  2. ギリシア神話のトラブルメーカーこと、愛と美の神アフロディーテは、勤勉に働くハデスの姿が気に入りません。「そうだ、恋にうつつを抜かしてまともに仕事できないようにさせよう!」と思いつきます。

  3. もともとアフロディーテは、全能神ゼウスと豊穣神デメテルの間に生まれたペルセポネを忌々しく思っていました。彼女は永遠の乙女(=未婚の女性)となることを誓ったのですが、アフロディーテはそれを愛を司る自分への当てこすりに感じていたのです。

  4. 「どうせだったらハデスとペルセポネをくっつけてやろう!」と思い立ったアフロディーテ。息子のエロースに、命中すると恋に落ちる黄金の矢をハデスに射るように命じます。

  5. エロースの矢が命中したハデス。策略通り、ペルセポネに恋をします。何とかしてペルセポネを我が物にしたいハデスは、お花摘みをしていたペルセポネを誘拐して冥界に連れ去ります。それを知ったペルセポネの母・デメテルは大激怒。娘を冥界から連れ戻そうとするものの、上手くいきません。

  6. デメテルは夫のゼウスにも「私たちの娘をあなたからも返すように言って」とお願いします。ゼウスは使者を冥界に送り、ペルセポネの帰還を待ちます。

  7. ハデスは使者を迎い入れ、ペルセポネを地上に返すことに一旦は合意します。ですが知恵を使い、地上に戻る前に冥界にしかないザクロの実を食べていくようにペルセポネに勧めます。それまでハデスにやさしく扱われていたこと、お腹がぺこぺこだったことから、ペルセポネは差し出されたザクロの実12粒のうち4粒を口にします。

  8. 無事地上に帰還したペルセポネを大喜びで迎えるデメテル。しかしペルセポネにザクロの実を食べたことを告げられたデメテルは大ショック。実は冥界の食べ物を口にした者は冥界に属するという神々の掟があり、それはデメテルにもゼウスにも覆せないものでした。そしてペルセポネは食べてしまったザクロの実の分だけ(一年の1/3)は冥界に渡り、ハデスの妻・冥界の女王となることになったのでした。

以上が大まかではありますが、神話のあらすじとなります。このことを踏まえて『カラオケ行こ!』および『ファミレス行こ。』の狂児と聡実の関係性について考察していきます。


狂児と聡実の関係性

『カラオケ行こ!』において、ヤクザである狂児は縁もゆかりもなかった普通の中学生である聡実に声をかけカラオケボックス・カラオケ天国へと連れていきます。そして二人の関係はカラオケの先生と生徒という関係となります。一般社会を「地上」とするなら、ヤクザの狂児が住む裏社会は「冥界」と喩えることができるでしょう。地上の住人である聡実と、冥界の住人である狂児が落ち合うのが「カラオケ天国」というのは皮肉めいたものを感じさせます。

 ギリシア神話において天国=死後の楽園とされるのはエリュシオンという場所です。神々に特別に祝福された者だけが行き着くことのできる、冥界の楽園です。そう、天国も冥界の一部なのです。組長主催のカラオケ大会まで、聡実と狂児は何度もこの「カラオケ天国」に足を運びます。誘拐・略奪とまでは言わないまでも、狂児が聡実を「カラオケ天国」に連れ込んでいるのは確かでしょう。この構図は神話におけるハデスとペルセポネを呼び起こさせるものだと考えました。

 また東京・蒲田が舞台となった『ファミレス行こ。』においても実は「天国」は登場します。蒲田駅前のパチンコスロット店「天国」の看板です。これは実在するパチンコチェーンの「楽園」のパロディだと思われます。ほかにも実在する店名をもじった看板は作中にいくつか登場しますが、この「天国」については『カラオケ行こ!』の「カラオケ天国」を踏まえて登場されたものではないかと考えています。また、この看板の前では狂児と聡実が何らかの行動を起こしています。第2話、聡実と狂児が朝ご飯のために待ち合わせるシーンにこの看板は初登場します。次に登場するのは第9話、焼肉屋で聡実が狂児に来月プレゼントを渡すことと「それを受け取ってもらったら、もう会わんほうがええんちゃうかなって思って」と切り出した帰り、狂児の背中を後ろから聡実が抱き締めるシーン(単行本188頁)です。このシーンは背景にいくつかの看板が描かれていますが、文字は書かれていません。ですが丸いロゴの形は「天国」のものであり、実際の蒲田駅の同じ場所と思われる看板もパチンコチェーン「楽園」のものです。二人が待ち合わせをする場所、そして聡実が狂児を抱き締めた場所に「天国」の看板があるというのは象徴的な意味合いが込められていると感じさせられます。三年の月日が経ち、舞台は大阪から東京に変わっても二人の関係が交わる場所はいつも「天国」なのです。

(※追記:この看板の現況について、2022年9月撮影のGoogleストリートビューでは「楽園」でしたが、2024年7月28日撮影のX投稿ポストによると別のパチンコチェーン「キコーナ」の広告に置き換わっていました。2024年7月30日)

 神話ではハデスはペルセポネを返したくないあまり、冥界の食べ物であるザクロの実を食べさせます。果たして狂児は聡実にザクロの実を勧めるでしょうか。冥界の住人になることがヤクザの道に入ることを意味しているならば、答えは否でしょう。第5話、中華料理店で狂児の仕事について訊ねた聡実は「まぁ楽な仕事ですね 僕も片足突っ込んだろかな」と言います。それに対して狂児は「就活失敗して絶望して死にたくなってもこっち来たあかんよ」と嗜めます。狂児は聡実をヤクザの道に引き込むつもりはありません。ですが、聡実との不思議な関係は切れないままです。三年間の空白期間の後、空港で狂児は自ら聡実に声をかけました。第3話、喫茶店で聡実に「狂児さんになぁ」「プレゼントがあんねん」「いつになるかわからんけど」「僕のために受け取ってくださいね」「そんときが来たら」と打ち明けられます。恐らく狂児はここで聡実の言うプレゼントが、二人の関係の終わりを告げるものだと予感していたのではないでしょうか。狂児は少し考えるように黙ったあと、聡実に「努力するわ」とだけ返すのです。これは緩やかな拒否と捉えていいでしょう。第9話で聡実から「もう会わんほうがええんちゃうかなって思って」と切り出された時、それまで聡実を見つめていた狂児の視線は焼肉の網に落とされていました。聡実の言葉に内心で動揺し、聡実を真正面から見れなくなってしまったという描写に感じました。その後の第11話において、帰阪した狂児が仕事をする風景が描かれますが、その中で組長宅を訪問した狂児は一匹の猫の姿に聡実を重ね合わせ、スマートフォンで聡実とのメッセージ履歴を見返します。ちょうどその時聡実から送られてきた「次こっち来るときは551の豚まん20個買ってきてください」というメッセージに「明日行こか?りくろーおじさんもいる?」とすぐに返信するのです。この時はたまたまスマートフォンを開いていたから、とも言えますが、これまで聡実と狂児のメッセージの往復は数十分から数時間、間を置いたやりとりでした。すぐに連絡を入れる、というのは『カラオケ行こ!』ぶりです。聡実が自分の手から離れていくという焦りが、狂児を動かしたのではないでしょうか。もうすでに狂児は聡実を手放すことはできないのです。

 一方の聡実についても考えてみます。空港で再会してから、狂児との不思議な関係を続ける聡実。狂児の腕の「聡実」の刺青を除去する費用を貯める一方で、狂児とご飯を一緒に食べますし、狂児からメッセージが来ると頬を赤らめる仕草も見せます。第9話でやっとプレゼントについて切り出したものの、その帰りに狂児を後ろから抱き締めてしまい、その行動の意図が自分自身にも分からずに思い悩みます。ネットで調べるものの「好きを伝えるため……」「いや…」「なんかそんな単純ならもんではないやろ」「そんなんとは違うってことだけはわかる…」「……わかるけど」「なんもわからん」とさらに煩悶します。聡実はネットの質問掲示板やバイト先の同僚・森田、大学の同級生に「友達の話」として一連の流れを話してどう思うかを質問します。森田からは「ハグってそんな意味持たないよ」と、同級生からは「好きじゃん普通に」「めっっっっっっっっちゃ好きで我慢できなくなったからハグした に一票」と返されます(ネットの質問掲示板からは有益な答えを得られませんでした)。そうしたやりとりのあと、狂児に「次こっち来る時は551の豚まん20個買ってきてください」とメッセージを送るのです。狂児が聡実を手放せないのと同じく、聡実も狂児から離れることはできないのです。

 これは『カラオケ行こ!』で、センチュリーの助手席に乗せた中学生の聡実に狂児が言った「助手席に座った人間はなんでか俺から離れられへん」の言葉そのままでしょう。ただしこの場合、離れられないのは聡実だけでなく、狂児もまた同じです。

 しかし大学生である聡実はこれからの将来設計について真剣に取り組まなくてはいけません。また、聡実の周りには狂児ら冥界の住人について嗅ぎまわるフリーライターの男も現れました。今までの不思議な関係をなあなあと続けていけるタイムリミットは目前に迫っています。

 二人は今後、この関係についてどういった答えを出し、どういった決断をくだすのでしょうか。考えられる一つの予想は狂児が祭林組を抜け、聡実と同じ地上の人間となる道ですが、これは現実的に考えると非常に困難な道でしょう。暴力団の幹部であり、前科もあり、漫画では腕から見える和彫りの一部だけですが体には「聡実」の名前以外にも刺青が彫られていることが分かる狂児が、暴力団を抜けたからといって一般社会に溶け込むのは容易なことではありません。狂児はあまりに大きなスティグマを背負ってしまっています。

 他の考えられる道は、聡実も冥界の住人になるという未来です。これはヤクザの道に入る、ということももちろんあるでしょうが、それ以外にも冥界の住人となる手段はあります。それは作中では例えば、祭林組の経営するスナックに勤める宇佐純子がそうでしょう。彼女自身は暴力団の構成員ではありませんが、間接的ではあるものの暴力団と近い場所に身を置いています。聡実もそうした、暴力団構成員にならずとも冥界の住人となる未来を選択する可能性はあると思います。

 いずれの未来にしても、聡実と狂児が離れることはないと思います。それは二人にとって、冥界のその最下層、奈落タルタロス=地獄へ落ちることと同義なのだと考えています。

▽狂児の腕時計を巡って──宇佐純子は何者か?

 『ファミレス行こ。』第5話において、スマートフォンの充電を切らした聡実に、狂児は「あげるわ これ 時間だけでもわかったら楽やろ」「これつけてるとモテるよ」と左腕に着けていた腕時計を外し、手渡します。

 そして第6話、その腕時計を着けて行ったライブの打ち上げ会場「snackざくろ」で、同じアパートに住んでいて面識のあるホステス・宇佐純子にオレンジジュースを手渡された際に「その時計もらったの?」「大学生じゃ買えないでしょう」「あんなボロアパートに住んでてこんな高い時計」と指摘されます。

 その夜、聡実は酔い潰れたバンドメンバーでバイト仲間の森田を家まで送り届けますが、帰ろうとすると酔っ払った森田にサッポロ一番 塩ラーメンを作ってくれとねだられます。鍋で湯を沸かす聡実。「大学生じゃ買えないでしょう」「こんな高い時計」という純子の言葉を思い出し、スマートフォンで腕時計の価格を調べます。200万円超えの価格を知る聡実。

「あかん 腹立ってきた」「こっちはちまちま ちまちま500円貯めて…」「あいつはバカ高いもん ポンと簡単に手放せるんやな」「アホらしい」という聡実のモノローグの後、ぐつぐつと煮えたぎる鍋の中に腕時計を沈めます。コンロの火を消し、そのまま森田の部屋を後にする聡実。

 第7話。バイト先に出勤した聡実のロッカーには、森田お勧めの漫画本と聡実が茹でた腕時計が森田からのメッセージ付きで入っていました。漫画本をパラパラとめくりながら「さすがにやりすぎた…?」「どうせ茹でるなら質屋に持ってったらよかったかな」という聡実の内なる声が吹き出しで表現されています。

 どうして聡実くんが狂児の腕時計を茹でたのか、その心情背景についてはすでにたくさんの方が様々な考察をされていると思います。そこは一旦皆さまに譲るとして、ここは別の視点でこのシーンを読みたいと思います。

なぜ宇佐純子は腕時計について指摘したか?

 狂児から借りた時計の価値について聡実が意識したきっかけは、純子に「こんな高い時計」と指摘されたことでした。なぜ純子は腕時計について反応し、指摘したのか。ここでは『宇佐純子は聡実が着けていた腕時計に見覚えがあり、つい反応した』という仮説のもとに考察していきたいと思います。

 『ファミレス行こ。』第2話は、snackざくろにおいて就業面接に来た純子と狂児のやりとりから始まります。スナックのテーブル1つ分の至近距離で、2人が面と向かって話しているシーンです。この時の2人の服装は純子がボーダーのTシャツにデニム、汚れたスニーカー、左腕に腕時計を着けています。一方の狂児はジャケットなしのスーツ姿ですが、襟元はボタンを外して緩めておりラフな印象です。年齢をサバ読みした純子に対し、狂児は「年齢よりも適度に酒が飲めて適度にウソがつけるかが大事なんで気にしないでください」「あと清潔感」「きれいな靴買ってくださいね」と、汚れたスニーカーを履いた純子に指摘します。この面接日については直接的表現はないものの、同じく第2話57頁、狂児と待ち合わせをする夜勤明けの聡実のスマートフォンに「5月27日 土曜日」と日付表示があることから、その前日にあたる5月26日(金)あるいはその近辺であると推測されます。

 そしてライブの打ち上げがsnackざくろで行われたのは6月18日(日)です。同日昼、聡実と狂児は「中国大衆料理 餃子&喫茶 歓迎」で昼食を共にし、そこで狂児が腕時計を聡実に渡します。狂児はここで聡実に「狂児さんて蒲田でいつも何してるんですか? 僕とご飯食べるだけ?」と訊かれ「近くで親父の女に持たせてるスナックがあって月締めで顔出さなあかんねん」「この辺はまぁ色々…昔から世話になってるから」と返します。第11話、東京土産を持った成田が組長に東京の報告をする際に『ざくろ』『エメラルド』『デリニャンニャン』の店名を挙げますが「そろそろ親父の顔見たいって言うてましたよ ジヨン姉さん」「俺の顔もう飽きたって」「俺やなくてりくろーおじさんにキャーキャー言うてはるんですよ ざくろの女の子ら」そしてざくろについての話を以降も続けていることから、親父の女に持たせてるスナックとはsnackざくろであると推測されます。

 狂児が聡実と中華料理を食べた6月18日(日)の前日近辺に狂児は東京入りしており、世話をしている店への顔出しを行っていた可能性が高いと思われます。その際、ホステスとしてsnackざくろに勤務していた純子=ざくろの女の子と狂児がまた顔を合わせたというのも十分考えられるでしょう。そこで考えられるのは、純子は狂児が高級腕時計を着けているのも目にしていた可能性が高い、ということです。それは面接時かもしれませんし、6月の店への来訪時かもしれません。あるいはその両方で見ていたのかもしれません。

 狂児が着けていた腕時計はフランスの時計メーカー・Breguet(ブレゲ)の「クラシック9067」というモデルであると形から推測されます。ブレゲは世界的に評価の高い5大時計ブランドの1つに数えられる最高峰ブランドであり、その技術や価値も逸品であることに間違いありませんが、日本国内でのブランド知名度は他の最高峰ブランドであるオメガやロレックス等と比べると、世間一般にはまだそこまで名前が知られていない、時計好きの通が選ぶブランドといった立ち位置ではないでしょうか。

 そうした玄人好みの高級腕時計を、純子も住んでいる四畳半で壁の薄い「あんなボロアパート」に住んでいる聡実が着けているのは明らかに不自然です。その違和感を契機にした「なぜ?」という疑問で純子は聡実に腕時計について指摘したとも考えられますが、同時に「面接を担当してくれた・店にも顔を出す大阪のヤクザが着けていたものと同じ腕時計を、なぜ?」という疑問を抱き、聡実に腕時計について指摘したのではないか、というふうに考えています。

宇佐純子=「めんたい子」説

 作中登場する週刊漫画誌・コミックバウムでは、聡実のバイト先でたびたび作業するマサノリ=北条麗子の『ねこねこぱにっく』や、めんたい子の『乙子さんの乙女の訓練は生涯続く』略して『オトコのクンショウ』が連載されています。どちらも人気連載のようですが、第2話で聡実のバイト仲間・森田がバイト先の更衣室で「ここに来る途中で」買った今週のバウムをパラパラとめくり『オトコのクンショウ』がしばらくの間休載となったことを知ります。この第2話ですが、先の章で触れた通り冒頭で狂児と純子の面接シーンが描かれています。

 第3話、夜勤明けに狂児と朝食を摂った聡実は自宅に戻り仮眠を取ろうとしますが、他の部屋で鳴る電話の呼び出し音に邪魔をされます。先にも触れましたが、夜勤明けの待ち合わせで出てくる聡実のスマートフォンの日付は5月27日(土)です。そのため『オトコのクンショウ』が休載となったコミックバウムの発売はその直前であると推察できます。

 聡実が邪魔された電話の呼び出し音と重なるように、執筆作業中のマサノリ=北条麗子のもとに担当編集の鈴木から着信がかかります。空が暗いため、時間は夜です。「オトコのクンショウって鈴木さん担当でしたよね」「休載ってなんかあったんすか」と訊ねるマサノリ=北条麗子に、鈴木は「逃げました めんたい子先生」と返します。そしてここで鈴木視点によるめんたい子とのメッセージアプリでのやりとりが出てきます。ユーザー名めんたい子は「神が来ないので一旦ワープします。」とメッセージを送っており、それに対して鈴木が少なくとも3回は電話を掛け、いずれも応答がないまま切れていることが分かります。 

 第5話冒頭、6月18日(日)の昼過ぎにアパートの外で純子と聡実はたまたま顔を合わせます。純子はタバコを吸いに外に出ており、タバコのパッケージと電話の呼び出し音が鳴りっぱなしのスマートフォンを手にしています。狂児との中華料理の約束に出かける聡実と挨拶をし、聡実は「……あの」「電話鳴って……」と言いますが、純子は「そうねえ」と返し、電話を取ろうとはしません。

 めんたい子が失踪したタイミングと、純子がsnackざくろに勤め出したタイミングは重なっています。また本誌連載第11話までの時点で、純子がsnackざくろを辞めた描写はありません。『オトコのクンショウ』が連載再開した描写もありません。状況証拠だけですが、これにより宇佐純子がめんたい子である可能性が浮上したと考えます。

 宇佐純子という名前についても考えてみます。大分県には宇佐市という地名が存在します。大分県は九州地方であり、九州は明太子が特産品です。……ちょっと説得力には欠けますね。そこで、次の章で更なる宇佐純子の正体について考察していきたいと思います。

宇佐純子=女神「ヘーベー」説

 ここで本題として提唱したかった、肝となる推論をブチ上げたいと思います。純子はギリシア神話に出てくる女神「ヘーベー」をモチーフにしているのではないか? ということです。

 まず女神ヘーベーについて、ざっくりとですが説明をします。全能神ゼウスとその正妻ヘーラーとの間に生まれたヘーベーは、神々の宴会での給仕役を務め神の酒ネクタールや不死の効力を持つ食べ物アムブロシアーを提供します。宴会では給仕以外にも、竪琴の演奏や歌声に合わせて舞踊を舞うこともありました。

 またヘーベーは給仕役以外にも、若さ・青春を司る女神でもあります。ローマ神話では女神「ユウェンタース」に対応しており、そちらでは青年男子の守護神と崇められました。ギリシアの詩人ヘーシオドスによる『神統記』では黄金の冠を被り、黄金の沓(くつ)を履くとされています。

 次に宇佐純子について、あくまで分かっていることだけで振り返りましょう。snackざくろでホステスとして働き、森田のバンドライブの打ち上げでは料理を提供したり、聡実にオレンジジュースを提供しています。そしてスナックの常連の歌に「いいねぇ 神崎さん」と声をかけ、手拍子をします。

 狂児との面接時、純子は34歳という歳を最初「22歳です」とサバ読みしていました。すぐに見抜いたと思われる狂児に白状し、なぜ嘘をついたのかと問われ「若いほうが有利かなと思いまして」「この世界は…」と応えます。そして汚れたスニーカーを狂児は咎め「きれいな靴買ってくださいね」と言います。

 宴会の給仕役。若さを司るヘーベーと、若さを偽る純子。黄金の沓を履くヘーベーと、「この世界」に入るために「きれいな靴」を買わなくてはいけない純子。単行本から読み取れるだけで3つのリンク点が見出せました。

 純子=めんたい子だとして、担当編集の鈴木に純子は「神が来ないので一旦ワープします。」とだけメッセージを残して失踪しました。そのワープした先がsnackざくろでした(鈴木から逃れるため、聡実と同じ安アパートに入居したのも同じタイミングの可能性が高いと思います)。snackざくろで行われる宴会は神々の宴会であり、提供される酒は神の酒であるという考察がここからできます。ちなみにですが、上に書いたとおりsnackざくろの常連客の名前は「神崎さん」です。

 まためんたい子が連載していた『乙子さんの乙女の訓練は生涯続く』=『オトコのクンショウ』も、古代ギリシア的・神話的な読み解きができます。古代ギリシアでは未婚の女性=乙女(※処女とは限らない)をParthenos(パルテノス)と呼びました。これは処女神(と訳されますが処女かどうかより未婚であったことが重要)と呼ばれるアテナ、アルテミス、ヘスティアにも冠されています。この三人の女神たちは永遠の乙女であることを誓います。それが「乙女の訓練は生涯続く」に通じるのではないかと考えています。

 聡実の住む世界は地上であり、狂児の住む世界はさながらギリシア神話の冥界であると先のペルセポネ神話の段で述べました。snackざくろは冥界の食べ物ざくろを店名に冠しており、冥界の一つと言えるでしょう。そこに勤めるホステスとしての純子と、聡実と同じアパートに住む純子。腕時計について指摘したのも純子でした。住む世界の違う聡実と狂児の仲介者の役目も担っているのが純子なのです。

▽組長=全能神「ゼウス」説、マサノリ=青年神「ヘルメス」説

 前章で宇佐純子はギリシア神話の女神ヘーベーをモチーフにしているのではないか、と考察しました。また、純子は住む世界の違う狂児と聡実の仲介者でもあるとも述べました。この仲介者は『ファミレス行こ。』にまだ存在しています。それは狂児の属する祭林組・組長の息子で現在は「北条麗子」とペンネームを名乗って漫画家活動を行っているマサノリです。

 マサノリは20年以上前に高校卒業と漫画家を志して同時に家出し、今は祭林組とも実の父親である組長とも連絡を取らずに東京・蒲田で漫画家として暮らしています。マサノリから連絡を取らないだけで、実は父親である組長は身分を隠して、マサノリの漫画家デビュー以来ずっとファンレターを送っていましたが…。

 マサノリは自宅と思われるマンションで執筆作業を行うこともありますが、作中ではたびたびアシスタントの吉川誠(マサノリはマコトくんと呼称)を引き連れて、聡実のバイト先であるファミレスで深夜に執筆作業を行っています。注文された品をサーブしたり、マサノリが紙ナプキンに書いて放置したメモを取りに来て内容を聞き出したり、聡実がバイトを始まる前に汚した店内の絵画についてやりとりをしたり、マサノリと聡実は接点が多くあります。

 マサノリはもともとはヤクザの世界=冥界の住人です。今現在コミックバウムに連載している『ねこねこぱにっく』も猫が登場する渡世物の漫画のようです。また、ペンネームの北条麗子も実家で飼われていた猫の麗子ちゃんから由来していると考えられます。インフィニティホテルのラウンジで狂児を見つけた時には、自分から声をかけていました。家出して連絡を絶ったとはいえ、冥界から完全な離脱はできていないのです。

 ここでヤクザの世界の決まりごとについて簡単に触れます。ヤクザの世界では擬似的な血縁関係でお互いを結びつけます。「親子盃」を酌み交わしたら親分と子分の親子になりますし、子分間においても「兄弟盃」をもって兄弟となります(対等な兄弟になったり、兄貴と舎弟の兄弟になったりと関係性は様々です)。狂児は祭林組・組長のことを「親父」と呼んでいますから、この2人の間には親子盃が酌み交わされたことが分かります。擬似的ではありますが、狂児とマサノリは同じ「親父」を持つ者同士なのです。

 さて、マサノリは冥界の住人であると述べました。ギリシア神話になぞらえれば、マサノリもまた神のモチーフがいると考えられます。そこで重要になるのが「親父」の存在でした。祭林組という組織において、組長たる「親父」は絶対的な権限を有します。それこそ年4回、組員総出のカラオケ大会を催して自身が歌の審査をして、歌ヘタ王には自らの手で刺青を彫るといった暴虐(?)も行います。誰も逆らえない、絶対的存在。ギリシア神話でそれは全能神ゼウスを指すでしょう。好色で多数の女と関係を持ったという点も相似していますし、4年に1度ゼウスを讃えるために開催された古代オリンピックも年4回のカラオケ大会を彷彿とさせます。

 組長がゼウスだとしたら、実の息子であるマサノリはゼウスの子供の中にモチーフがいると考えました。そこで思い当たったのが「ヘルメス」です。ヘルメスはゼウスの使いであり、流れや万物流転を司る神です。それはつまり流通、旅、液体、転換、創意工夫のことです。また「旅」と「創意工夫」という点に、家出して漫画家となったマサノリを想起させます。そしてヘルメスは両性具有の神でもあります。女性名のペンネームを名乗るマサノリとのリンクがここで生まれます。『ファミレス行こ。』単行本26頁、93頁でマサノリの足元が描写されるコマがありますが、そのどちらもマサノリはサンダルを履いています(マンション室内の裸足の描写は除く)。一方、ヘルメスは空を飛ぶことのできる翼の生えた黄金のサンダルを履いて表現されることが一般的です。また、マサノリは赤ワインを常飲しています。宇佐純子=ヘーベー説の章で、神の酒について触れましたが『カラオケ行こ!』および『ファミレス行こ。』に登場する酒は、基本的に神の酒を表しているのではないかと考えています。ゼウスの子であり、自身も神たるヘルメス=マサノリは神の酒を口にするのです。

 ヘルメスは死者の魂を冥界に導いたり、冥界から死者の魂を戻したりする役割も担っています。単行本49頁のマサノリの「早くあの世で楽になりてぇよな?」「みんなあの世で何してんのかな」という言葉について考えてみます。「みんな」とは誰を指しているのでしょうか。今までに起きた身近な不幸を思い出しているのかもしれませんし、もっと大雑把に自分とは関係なく今までに死んだ全ての人たちを意味しているのかもしれません。あるいは自分の創作物で展開上死なせてしまった登場キャラクターもあるでしょう。でも、マサノリは家出をした際に「親父には俺は死んだつもりでいてくれ」と言いました。その時に祭林組・組長の息子であるマサノリを自分で殺し、その魂を冥界に導いたのです。気持ちの中では「親父」も他の組員たちも、みんな死んだものとして暮らしてきたのでしょう。そうした、過去の自分含めた祭林組全体があの世にいる「みんな」なのではないでしょうか。

▽酒アレルギーの男、下戸である狂児の対比

 宇佐純子=ヘーベー説、マサノリ=ヘルメス説で『カラオケ行こ!』および『ファミレス行こ。』に登場する酒は、ギリシア神話の神の酒になぞらえられているのではと考察しました。以下に、『カラオケ行こ!』で酒が出てくるシーンを上げます。

  • 41頁。カラオケ天国内祭林組の集団指導のシーン。卓上にビールジョッキやビール瓶、ウイスキーグラス、アイスペールが置いてある。

  • 100頁。スナックカツ子でのカラオケ大会のシーン。同じく卓上にアイスペールと酒瓶が置いてある。

  • 136頁。2000年の某カラオケ店、バイト中の狂児のシーン。客の部屋に入ったところを、祭林組ではないヤクザに「なに勝手に入ってきとんねん」と因縁を付けられ、グラスに入ったウイスキーを顔に掛けられる。

 全てヤクザの飲み物として酒が出てきます。聡実は中学生ですから、聡実が飲まないにしても実家の両親や帰省していた聡実の20歳の兄も飲酒シーンはありません。聡実の母が合唱祭のお守りを渡した時(77頁)にスーパーのレジ袋らしきものから取り出していたのも、酒ではなく牛乳パックでした。

 聡実の両親や兄が酒を控えているのかどうかまでは不明ですが、明確に酒を飲まない・飲めないと描写されている人物が二人います。2000年の某カラオケ店で狂児が出会った祭林組の「酒アレルギー」の男、そして自身を下戸とする狂児です。ヤクザの周りに必ず酒が出てくる『カラオケ行こ!』の中で、この二人は特殊です。もちろん現実にも酒が飲めないヤクザというのは存在するはずですが、この作品においてはこの二人しかいません。

 そして注目すべきは、狂児が出会った「酒アレルギー」の男が、その後の祭林組の面々の中に見当たらないという点です。カラオケ天国での集団指導の中にも、スナックカツ子の中にも、それらしき面影のある人物がいないのです。組長はもちろん、マイクでカラオケボックスの扉の窓を叩き割った「元4番」も年を取った風貌で座っているにも関わらず「酒アレルギー」の男だけがいません。2000年から同じくヤクザをしていた「元4番」らしき男がスナックカツ子では組長の隣に座っているので、もし「酒アレルギー」の男がいれば似た席次にいるでしょう。「元4番」らしき男の隣に鼻筋の似たスキンヘッドの男がいますが、この男は「酒アレルギー」と比べると輪郭が丸みを帯びていますし、集団指導の際に聡実に「カスです」と言われてキレたスキンヘッドと服装もそっくりで同一人物に見えますが、歌唱シーンでの顔アップは「酒アレルギー」とは似ていません。

 考えられるのは、2000年から2019年に至るまでの間に「酒アレルギー」の男は祭林組を去ったのではないか、ということです。原因までは分かりませんが「欠席が許されるんは死んだ奴だけ」のカラオケ大会に姿がないということは、祭林組に在籍していないということでしょう。ここで一つの推察が生まれます。神の酒を飲めない者は、神々の一員となれなかったのではないか。もちろんここでの神とは、ヤクザのことです。ギリシア神話と結びつけずとも、ヤクザの世界でも酒は重要なアイテムです。マサノリ=ヘルメス説で触れましたが、節目ごとに盃事という儀式が執り行われます。そこでは神道式に御神酒徳利も並べて盃に注がれた酒を飲み干します。

 一方の狂児は組長にバイト終わりにスカウトされ、そのまま祭林組の構成員となります。2019年時点、39歳で若頭補佐という貫目(役職)を拝命しているのは相当な出世スピードだと思われます。若頭補佐という役職自体、組織の高年齢化に悩んだ暴力団が若手の出世欲を刺激するために最近作り出した役職のようで、一般には複数名が若頭補佐を名乗るようですが、それにしても異例の出世でしょう。

 酒を飲めない・飲まないという、『カラオケ行こ!』世界でのヤクザの掟を破った2人ですが、その現在は鮮やかなほどに対照的に見えます。神の酒を飲めない者は神々の一員になれないのだとしたら、狂児もいつか祭林組を去る日が来るのかもしれません。あるいは下戸を克服し、神の酒を口にして晴れて神々の一員になるのかもしれません。『ハデスによるペルセポネ略奪』についての章でも述べましたが、狂児が生きて祭林組を去るのは非常に困難な道です。狂児が聡実との関係にどう答えを出すかと同じく、狂児が神々の一員となるかどうかも今後の重要な展開でしょう。

▽その他、細々とした考察群

オレンジジュースについて

 『カラオケ行こ!』はもちろん『ファミレス行こ。』でも聡実は一切、酒を口にしません。森田のバンドライブの打ち上げの席、同級生の丸山は未成年飲酒をしていましたが、聡実はオレンジジュースを飲んでいました。オレンジジュースと言えば『カラオケ行こ!』の祭林組集団指導時に「キティちゃん恐怖症の人」が渡してくれたのもオレンジジュースです。ギリシア神話ではたびたび「黄金の林檎」も重要な果実として登場しますが、ギリシア語・ラテン語それぞれで「金色の林檎」を意味する言葉は、オレンジのことも指していました(めちゃくちゃややこしいのでは!?)。
 聡実とオレンジの関係については、もう少し考えたら何か閃きそうな気もするので引き続き頭を捻っていこうと思います。ただ一点今の段階で分かることは、聡実が絶対に酒を飲まないのは、聡実が神ではない=地上の人間だからだと思います。

森田=狂児の実の甥説

 森田は狂児の実の甥なのではないかと考えています。よく喋るところ(『ファミレス行こ。』の狂児は年相応に落ち着きましたが…)や、太い眉、落ち窪んだまぶたや目のクマが似ているなと思っています。狂児の母の面影もあるように思います。朝からカレーを食べる狂児と、サッポロ一番 塩ラーメンがカレーの味がするという森田も何だかシンクロして感じられます(これはさすがにオタク特有のとんでもこじつけ)。森田のバンドのライブにはマサノリの周りを嗅ぎ回るライターの岡田もいて、スマホを掲げる聡実とぶつかっていました。あの段階では岡田は聡実目当てでライブに行ったわけではなく、バンド=森田目当てだと思われます。岡田が純粋にバンドのファンという線もあるにはありますが、マサノリと一緒に写真に写っていた狂児の身辺も調査していて、そこで甥っ子の森田に目をつけたと考えるのが自然だと思います。

編集者・鈴木がタイに行った理由

 これに関してはこじつけが思いつきませんでした。タイが仏教国であり、聡実が通っている大学が仏教系であることくらいしか…。タイにも仏教にも詳しくないので…(別にギリシア神話も詳しくない)。本当に鈴木さんはタイに行ったのだろうか? そして鈴木さんとは何者なのか? 何か考察を閃いた方、ぜひお話しを聞かせてください。

マサノリのアシスタント・マコトくんについて

 彼も何かしらのモチーフがあるかもしれません。苦し紛れですが、ヘルメスの息子で盗みの名人であるアウトリュコスとかどうでしょうか。岡田が持ってきた写真を盗み撮りしていたので…。でもマサノリに断酒を勧めるあたり、地上の人物なのかもしれません。でもアウトリュコスはヘルメスの息子なだけで、どうも神性はなかったようなので…。ただ息子ってほど歳離れてるわけではないし…。


▽参考文献、参考サイト

  • 吉田敦彦(2013).『一冊でまるごとわかるギリシア神話』.大和書房

  • 吉田敦彦(2013).『名画で読み解く「ギリシア神話」』.世界文化社

  • オード・ゴエミンヌ著、松村一男監修、ダコスタ吉村花子訳(2020).『世界一よくわかる!ギリシャ神話キャラクター事典』.グラフィック社

 他にも考察をされている皆様のXへのポストやスペースのログなども参考にさせていただきました(参考にさせていただいたものはリポストしましたが、ここにURLを貼るのは控えます)。先人の皆さまが考察してくださっていたおかげです。ありがとうございました。


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