一度に複数の推しを作れない
推しがいると人生が輝く。
推しがいないとつまらない。
自分でもどうかと思うが、そういう性質がある。
だったら推しを複数持てばいいのに、なぜかそれが出来ないと最近気が付いた。
少し前にはまっているアイドルがいた。同性だったけど、恋愛に近い気持ちだったような気がする。
そのアイドルの番組が終わって、好きだったアイドルを定期的に見ることが出来なくなった。
ネットでは追っていたけど、なんとなく少しずつ、義務のようになってきたことに気付いた。
本当に大好きだったのに、追い続けられないかもしれないことが悲しかった。
生活や仕事が忙しくて、少しの間ネットで追うことが出来なかった。
そうしたら、あんなに好きだった気持ちが少し遠のいていた。
付き合っていた人と別れて二か月くらいとかの、知っている相手が遠くなっている感覚だった。
なんだか色々つまらなくなって、自分の中に推しがいなくなったことを悟った。でも好きだから、ネットでは活動を追い続けようと思った。
少しして、新しいジャンルに足を踏み入れた。新しい推しといえる存在が出来そうな予感がしている。
そうしたら、前の推しを見ても特に何も思わなくなってしまった。
好きな人 じゃなくて 好きだった人 になっていることに気が付いた。
彼女に対しての気持ちは、そんなに簡単なものじゃなかったはずなのに。
Twitterでよく目にする話がある。
すごく騒いでいたのに、その話題についてはなさなくなったのは、飽きたからじゃない。
気持ちは変わらないけれど、騒ぐ時期は終わったというだけ、みたいな話。
私はさわがなくなったら多分、気持ちが割となくなっている。
嫌いになったとか飽きたとかではなく、ただなんとなく、遠い存在になっていることが多い気がする。
色褪せたというよりは、色が消えたという感じだ。
好きのエネルギーに限界があるのかもしれない。
推しが一人でも100だし、二人でも100。だから何かに猛烈にはまったら、他の推しへの気持ちも吸い取られてしまうのかもしれない。
昔からそうだっただろうか。
それとも、推しへ使えるエネルギーが減ってしまったのだろうか。
もしかしたら色々なことに追われて、推しへの使えるエネルギーも時間も限りあるものになってしまったのかも。
推しへの気持ちだけじゃなく、その時はまっているものとか興味があるものもそういう風だ。
筋トレにはまってる時は筋トレのことばかり考えているのに、いつの間にか全くしなくなっている。
何かに全てを注ぎ込んで、終わるとそれから離れてしまう。
そういうサイクルから抜け出したいけれど、これは性質なのかもしれない。
なんだか残念だけど、仕方ないのかな。