人生の物心がつくのが遅すぎた
20代後半の時、もういい年だな、と思うと同時に「まだ若者」の意識があった。20代の最後がコロナの時期で、それと同時に転職して、同年代の全くいない小さな会社で働いて2年、気づけば「もう別に若くない」33になろうとしている。
31の頃、婚活をして相手を見つけた。「結婚しない人生だとなんとなく思っていたけれど、何もしないまま結婚できない状態になったとき、きっと後悔する」と思ったからだ。多分それは正解で、今は他人の結婚のはなしを聞いても心が揺れなくなった。
今の会社は福利厚生が限りなく無いに等しく、あと1~2年で定年なら我慢できるが、10年後に働いていたいかといえば、NOだ。だから、転職を考えている。
大学までは順調な人生だったが、新卒一社目の選択を誤り、いわゆるジョブホッパー状態だ。次に転職するとしたら、ある意味「生き方を決める」転職になってしまうと思う。未経験転職も最後のチャンスだろう。
方や、パートナーは新卒で入った会社で10年働き、役職もついていて、将来のビジョンも見えている。人生順調に生きてきたパートナーを見ていると、自分が人生について考え始めるのがあまりにも遅かったと感じるようになった。
30になるまで、結婚も子どもも、他人事だった。
したくないと思っていた、というよりも、「いつかするかもしれないけど、今ではない遠いいつか」だと思っていた。
31で腰を上げたはいいものの、転職を考えると、「もしこのまま転職して、子供を望んだ場合、絶対に高齢出産になる」と気が付いた。
あまりにも気づくのが遅すぎて、自分でも今まで何を考えて生きてきたか不思議になる。
とは言え何も考えず生きてきたわけではなく、その時その時で真剣に考えて行動し、割と空振りして生きてきたのだと思う。
この年になって、どうしてもっと早く物心がつかなかったのだろう、と後悔する。あと5年早かったら、何もかもうまくいく気がする。
でもきっと、5年早かったら、今のパートナーと出会っていないし、今の生活もない。
でももしかしたら、それはそれで幸せに暮らしているのかもしれない。
今までの人生を後悔することは、その時その時で頑張っていた自分を否定することになる。
でも、あともう少し早ければと、どうしてもいろいろなことに対して思ってしまう。
5年前の自分にもしメッセージを送れたとしても、過去の自分が行動するかには自信がない。
結局、自分の人生にはこれだけ遠回りが必要だったのだと思う。
わかっているのに、納得できない。
それは結局、頭でわかったつもりになっているだけなのかもしれない。