嫌なことを乗り切ったあとの解放感が不足している

仕事がつまらなくてつまらなくてつまらなくて一年と少しが過ぎた。

シンプルに退屈で、それは業務量の少なさだったり、やりがいのなさだったり、そもそも仕事内容に自分の性格が向いていなかったりすることが原因だと思っていた。(それも確実にそうだと思う)

じゃあ何がやりたいんですか?と聞かれると、うーん…なんだろう…?と考えてしまう。バリバリ働いて残業ばかりというのは嫌だけど、まったく残業もなく責任もない今の働き方で安月給、そんな働き方も嫌だと思う。

ぬるま湯で正社員をしていた時も、退屈だった。とにかく退屈だった。

退屈を楽しく工夫する努力が足りない、とか、自分で何かを作り出す意識が足りない、とかもまあ絶対的にその通りだと思うが、ふと過去を振り返って思った。

嫌な仕事をしていた時の、終わった後の達成感や解放感が私は好きだった。

学生時代は、そのころからやはりがっちり拘束とかもされたくなくて、時給が高くてしんどいバイトを選んでいた。

深夜まで働いて、その仕事が嫌で、でも終わったあとよろよろ家に帰ってシャワーを浴びる時とか、コンビニで買った甘いものを食べている時とか、ベッドに横たわった時、そういう時にすごく解放感があって、それがなんだかんだ続けていた理由の一つだった気がした。

立ちっぱなしが本当に嫌だったのに週末電気屋でバイトしていたのだって、多分夜帰ってメディキュットを履いている瞬間が好きだったり。

色々予定がつまっていて、はやく家に帰りたくて、ようやく帰れて翌日一日何も予定がない時のウキウキ感。

そういうのが最近絶対的に不足している。

だらっと働いて、だらっと余暇を過ごしても、私は幸せになれないということだろうか。

自らにストレスをかして、それを乗り切ってハッピーになる。それを繰り返すべきなのか?

でもそもそも嫌なことをしているので、ストレスはたまるし、やっている時は早く辞めたいと思っている。なんだそれ。

でも本当に、自分に負荷を与えないとしおれてしまうんだろうな。今、しおれているんだろうな。でも負荷のかかることしたくないな。

どうなるんだ人生。

いいなと思ったら応援しよう!