執着せずに生きていきたい
執着という言葉がぴんとこないくらい、無自覚な執着癖があった。
何かを好きになる。
好きな気持ちは時間とともにじんわりと消えていくけれど、自分はまだ好きだと思っている。
気付くと、もう好きでもないのに、そこに留まろうとする。
なぜならそれが、自分のアイデンティティになっているからだ。
好きではないから、なんとなく苦しいけれど、そこを離れることが出来ない。
そんなことを、何度も何度も繰り返してきたと気付いたのは、つい最近だった。
しがみついてしまう。
そして、しがみついていることに気が付かない。
しがみついているから、他のものが目に入らない。
結果、ますますしがみつく。
これは多分、「長く続けた方がいい」という価値観と
「つまらない私の世界」を好きなものが楽しくしてくれる、という思い込みからきている。
長く続けると、それだけで自分の肩書のようになる。
〇〇が好きな私、としてまわりに知られて、それが放し難くなる。
せっかく〇〇が好きな人と思われているのに、〇〇が好きじゃなくなったら期待に応えられないような気がする。
〇〇が好きなままでいたら、私にとって都合がいい。築いたものを手放さなくて済むから。
そんな思いで、出来るだけ一貫した何かを持っていたいと思う。
そして、退屈な私の世界を埋めてくれるために、私の好きなものは絶対に存在してくれていないといけない。
なくなったら、私の世界はまたつまらなくなってしまうから。
依存だ。
そんなこんなで色々なことに執着してきたが、そろそろやめたいと思う。
今興味があるものに触れて、退屈になったら手放して、また空いた隙間に別のものを入れていきたい。
それがいつの間にか、一つになっていって、つまらない私の世界が色づいていったらいい。
感じるままに生きて、楽しいことでたくさんにしたい。
そう思って、あるものを捨てようとした。
もう私のアイデンティティになっていたけれど、興味が無くなっていたもの。使い道もなく、ただ意識上で執着していただけのもの。
もういいや、いつか必要になるときがきたらまた、と
気持ちの上で手放した。
そうしたら、別の方向からそれが役に立つことがやってきて、今またそれは、私の新しいアイデンティティになってくれている。
不思議。
だけどそんなものなのかもしれない。
そこに留まることをやめたら、他の物に目を向けたら、きっと新しいものに出会うことが出来る。
そしてそれはもしかしたら、前好きだったものと繋がっているかもしれない。
だって私が好きなものだから。
そうして世界が大きくなっていったら、楽しいと思う。