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人から好かれる写真について

”「上手い写真」と「人から好かれる写真」の数値は別になっていて、「写真が上手くなった!」と油断していると、一方で「人から好かれる写真」の数値が劇的に下がっていることが往々にしてある。”

以前そんなツイートを見かけてなるほどなぁと思ったことがあります。「昔の方が(技術的には劣っているはずなのに)良い写真を撮ってた気がする」的な現象もこれで説明がつきそう。

でもこれ考えてみると、人から好かれるというのは「どの人に」好かれるかで前提が変わってきますよね。以下、3パターンあるのかなと思うんですがどうでしょうか。

① 一般層に好かれる
② 同業者に好かれる
③ 自分に好かれる

冒頭のツイートの内容では ① のことを念頭に置いて発言しているように受け取れます。要するに専門性を突き詰めていくと、一般受けからは遠のいていくという現象をいっているのかなと。

これはじぶんも体験的に、例えばミュージシャンの初期の荒削りだった曲がよく思えて、後年の熟れてきた楽曲に魅力を感じなくなったとか、そう感じるケースは往々にしてあります。

② 同業者に好かれる、についてですが、以前仕事でご一緒した建築家の方が「建築家は他の建築家を意識して仕事する」なんてことを冗談でおっしゃっていたことがありました。いま思えば、それは本音だったんじゃないかな。建築家に限らず、写真家でも他のいろんな職種でも、密かにそう思ってる人は少なくないのではなかろうか。

冒頭のツイートにある「上手い写真」というのは技術的に優れているとか、目的に沿っている、整っている、などなど要するに上手い写真のことですが、この「上手い写真」の数値を上げると、② 同業者に好かれるという面はあると思うんですよね。

商業的にいえば、② はかなり重要で、というのも主に広告で仕事を進行する方、アートディレクターの方などの目線は同業者(写真家)に近いように感じます。ですので、業種によっては極端な話、 ① 一般層に好かれていなくても、② 同業者に好かれていれば写真家として問題はないという例もあるのかもしれません。

この流れでいうと、① 一般層に好かれるの先には、写真家でいえば例えば写真集やグッズを販売したり、ワークショップを開催したり、そういった展開ができるという一面はありますね。

①に振り切る人、②に振り切る人、① ②とバランスをとる人、いろんな人がいてグラデーションになっているんだと思います。

問題があるとすれば、① ②、もしくはその両方の数値を上げようとするばかりに、③ 自分に好かれる写真が撮れなくなった時かな。いつも思うんですけど、自分の写真の一番最初の鑑賞者は常に自分なわけで。

とはいえ現実として、クライアントにいわれて仕方なくとか、SNSで反応が良くないとかで、③ の数値を削らざるを得ないことはあるかもしれません。でも、この ③ は絶対にゼロにしてはいけない数値なんだと思います。

自分の写真への主観的評価を、技術的に優れているかどうか、一般受けするかどうか、ではなく「自分で好きかどうか」で判断する。何を今さらというか、当たり前のことかもしれませんけど、めっちゃ大事ですね。

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