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社会との接点であり壁でもある

先日、東京都写真美術館で開催中のアレック・ソス「部屋についての部屋」に行ってきました。

展覧会は撮影可能で歓喜。あまり大きな声で言えないけど Xiaomi のスマホはシャッター音が消せるので、周りに迷惑かけなくてすむのがありがたい。それでいうとコンデジでも良いのだけど。

写真熱が静かに燃焼する、すごく良い展覧会でした。来年1月19日までという、期間長めの展覧会なので、また足を運んでみようと思ってます。

今回、なぜこんなに響いたのか、ここ数日考えていました。自分が初めてアレック・ソスを知ったのは最近のことで2020年頃、Instagramで流れてきたこのガソリンスタンドの写真に惹かれたのがきっかけでした。

すぐに写真集「Sleeping by the Mississippi」を購入して、コロナ禍のロックダウンがそれなりに厳格だった時期によく眺めていました。

実はそのときはピンときてなくて、というのも入りがこの写真だっただけに、アメリカのロードトリップ感、要するに外に向かっていくようなエネルギーを感じられるのかなと勝手に想像していたのです。

「Sleeping by the Mississippi」を読んだ方はわかると思うのですが、外に向かっていくどころか、むしろ内に内にという感じで、その内向性が折り悪く時勢(コロナ禍)とリンクしてしまった。頻繁に出てくるベッドのメタファーも、さらに気持ちが沈んでしまう感じがしました。いやほんと、タイミングですね。

そんなこともあって、2022年にやってた神奈川県立近代美術館での展覧会もスルーしていたのでした。ああ、今になって激しく後悔。とはいえ、2022年頃はちょっとしたバーンアウト状態で、写真にまつわることから距離を置き気味だったので、まぁこれもタイミングなんでしょう。


そんなバーンアウト状態を経て、2023年には「自分の初めての写真集を作る」と決心して、ガチャガチャと動き始めました。

この写真集を作る過程で、印刷会社や製本会社、倉庫や配送、梱包などたくさんの会社とやりとりして、自分でコンテンツを企画してチームで一緒に作っていくという経験をして、メタ的に「ああ、やっぱり写真とは自分と社会との唯一の接点なんだ」と実感しました。唯一というのは、じぶんは学歴も社会人経験もないので、写真だけが頼みの綱というわけです。

たまに「今の仕事をしてなかったら何をやっていますか」なんて質問されますが、けっこうリアルに社会から脱落している姿しか想像できないです。YouTubeで「子供部屋おじさん」などの動画を見ると若干胸がざわつくし。


さて、そうそうアレック・ソスなんですけど、今回の展覧会で初めて大きなプリントに対峙していて、なんともいえない心地よさを感じました。

パークハイアット東京で撮られたセルフポートレート

写真を撮るという行為でフィジカルには外に向かっていきつつも、この内向的なアウトプットは「社会と自らを隔てる壁」のように機能していると感じられました。これはもう完全に勝手な解釈なんですが。

それは自分にとって、前述の写真集制作で「社会との接点」だと感じていた写真の、置き去りにしていた全く逆の側面に気づかされる体験だったのです。


東京都写真美術館では、アレック・ソスと同時に、「いわいとしお×東京都写真美術館光と動きの100かいだてのいえ」が催されていて、これが圧倒的なファミリー層人気で、自分が行った日が3連休だったこともあって、1階受付は子連れファミリーで大賑わいという光景が見られました。

アレック・ソスは2階展示室で催されているのですが、その2階にはミュージアムショップがあるため、地下1階展示室でいわいとしお氏の展覧会を見たファミリー層が2階に上がってくるのです。

アレック・ソスの写真をひとしきり見た後、展示室を出るとそこはロビーで子供が走り回る世界が広がっているというシュール体験。

ミュージアムショップ前にロビーがあり、フリーのテーブルが置かれて休憩できるようになっているのですが、そのテーブル上にはアレック・ソスの写真集が置いてありました。前述の「Sleeping by the Mississippi」や「A Pound of Pictures」「I Know How Furiously Your Heart is Beating」などなど。

さりげなく観察していると、ある子連れのご両親が、そのうち一冊を手に取りページをめくり始めました。「いや全くわからんわ」「なぜこれを撮ろうと思ったのか」「いや、でもこれは綺麗」と、困惑しながらの会話が聞こえてきました。この会話を聞くまでがセットなんじゃないかと勘ぐりたくなるくらい、印象に残った展覧会でした。


Instagramでパーッと拡散されてよく見られる写真というのは、だいたい形式が決まってきます。そうやって拡散されて写真を見てもらえることは嬉しいですし、なんとなく社会と繋がれた感覚をもてます。ただ、その一方で形式への抵抗というか、「そうじゃない写真」をアップして、壁を作ることも欲求としてあります。

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