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Exifという「ちょうどいい」情報

数週間前から、突如SNSの写真界隈で流行った写真加工アプリ「Liit」をご存じでしょうか。

Liitのアプリ内にはいろんなフレームが入っていて、じぶんの見る限り一番人気だったのがこの白枠にExif情報が表示されるフレーム。
反転バージョンもあります。写真がちょっと広告っぽく見えるのもポイント。

写真加工アプリなのでフィルターや、エフェクトなどもインストールされていて(一部有料)、在りし日にVSCOやSnapseedに夢中になった身としては、こういったアプリが流行るのが懐かしく、嬉しい感じがしました。

興味深いのは、フィルターやエフェクトではなく、上に出したようなフレームを皆がこぞって使い出したことです。Exif情報は自動的に読み込まれてレイアウトされるのですが、フォントや文字の大きさのバランスも良く、見ようによってはカメラメーカーの広告イメージのようでもあり、そこもくすぐりポイントなのかもしれません。

じぶんはもう10年以上Instagramに写真を投稿していますが、「What camera ?」というコメントは永遠になくなりません。これ、わかる人にはわかるはず。一時は「写真だけを見てくれ!」なんて青くさい感情をいだいたものですが。

SNSでは美術館とは違って、例えば一枚の写真を見たときに、「ああ、良い写真だなぁ」と感情的、情緒的反応に終わる人だけではなくて、その後に「どの設定で撮ったのだろう?」といった、情報的な側面に目を向ける人が多いように思います。機材や設定や撮影地などの情報が持つ使用価値、つまりその情報を使用して特定の課題を解決しようというモチベーションが働きやすい。

となると、SNSに写真をアップするということは、いくら当人が独立した作品と考えていても、そういった情報の使用価値のもとにさらされると考えるべきなんですね。

このような前提があるなかで、Liitのようにセンス良く、情報があたかも情報でないようにデザインされたフォーマットは、発信側にも受け手にとっても、要するにSNSとの親和性が高かったのではないかと考えられます。

そもそも「写真」というのは情報を伝達するための効果的なツールです。一枚の写真には大量の情報が詰まっていて、その情報は視覚的なかたちで直感的に伝わります。鑑賞者は一枚の写真を見るだけで、その場面の物語、その場所の雰囲気、写っている人の感情など、テキスト情報を読む以上に多くの情報を瞬時に感じ取ることができます。

その中には撮影者の社会へのまなざしや向き合い方、問題意識とか、その写真の背景や文脈なども含まれているのですが、そこまでいくとSNSを利用している側の心の準備に対して、重すぎるような気がしていて、それでいうとカメラのExif情報というのは「ちょうどいい」落としどころのようにも思えます。

じぶんもLiitを使って、カメラの使用遍歴をツイートしてみましたが、けっきょくカメラが変わったところで、撮る写真はあまり変わっていないという事実を白日の下にさらしただけの結果となりました笑。

以下、日記です。

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