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機密天使タリム 第六話「ヒロインは二人いらない」

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第一話はこちら。


1998年10月


 茨先生は僕の耳元でそっと囁いた。
「女の子はすぐ成長していくものなの、目を離しちゃダメよ」

 夢か……うーん、なんであのときの夢を見たんだ?

 だいたいあいつ、普段はマイペースというか、変わらないっていうか。
 朝はTシャツ一枚に下パンツで寝ぼけてて、口にパンくわえさせなきゃいけないからな。いつまでも大きな小学生みたいな……。 

先週の朝タリム

 トントントントン……。
 包丁の音……まさか母親が帰ってきた?!タリムと鉢合わせたらきっと大惨事だ!!!
 あわてて台所に向かうと、そこにエプロン姿のタリムがいた。

今日の朝タリム

『あ、おはよー。もうすぐご飯出来るよー』
「お、おはよー……って急激に変わりすぎだ?!」

 あ、これって夢か。
 それにしても男の夢だよなあ。朝から女の子が朝食作ってくれるとか。
 ああ、遅刻してもいいからもうちょっとこの夢を見ていくか。
 
『ん?なにをブツブツ言ってんの?変なのー。
お皿並べるの手伝ってください』
「あ、はいよー……ん?」

 夢にしてはおかしい。
 臭いがリアルすぎる……というか、あまりよろしい臭いではない。

『これでよし!卵焼き完成!』
 皿に盛られた卵焼きは、半分がスクランブルエッグ、残り半分は黒い。

「あ、食べる前に制服に着替えてくる」

 その上……
 戻ってきたタリムの制服の背中……大きいアイロンの焦げた跡があるんだが。

「あぁ、これ夢じゃなかった……」
 僕はガクリと肩を落とした。

 いやいや、待て待て。冷静に考えよう。
 たしかに理想とは程遠いが、先週の朝タリムを思い出せ。
 アイロン焦げがなんだ!半壊の卵焼きがなんだ!!

『どうぞ……召し上がれ♪』
「いただきます……べふぅ?!」

 苦くてやたら甘すぎてしょっぱい……あとジャリジャリするのは卵の殻か?

『お、おいしい……?』 
「う、うん」

 他に言うべき言葉が見つからない。

『よかったー。
私もいただきまーす。……べふぅ?!』

 タリムはじろーりと僕を睨んだ。

『嘘つき……』
「ううううう嘘なもんか!ちょっと味濃いくらいがご飯が進むのが日本食のスタンダードなんだよ?!
ちょっとくらいジャリジャリしててもカルシウム取れるし!
焦げてても食べられる部分がありゃいいんだ!!
タリム食べないならもらうぞ?!」
『無理しなくても』
「無理じゃねー!全然無理じゃねー!
平和な食卓で誰かにご飯作ってもらうなんて久しぶりだからな!
美味くないはずねーだろ!!」

 それだけは、僕の本心だ。

『そっか……』

 タリムはにっこり笑った。

『次からはもっと味を濃くするね!!!』
「次からは味見しろよ!失敗から学べ!!」
『うわああああーーーーん、失敗って言った!やっぱりマズかったんだーーーー!!!』
「いやいやいや今日の味付けベストだから!最高だから!タリム料理の才能あるようん!!!」

 ……明日は僕が用意しよう。

「ところでさ、なんで急に朝飯なんか作ろうとしたんだ?
今まで食べるばっかだったのに」
『え?だって二人で決めたじゃん』
「え?何を?」
『二人で家族になる、って。
それでさ、今までみたく一方的に家事してもらったりとか。
インスタント食品ばっかなのは違うんじゃないかなー、って』
「お、おう……」

 二人で家族に……改めて聴くとすげーこっぱずかしいな。
 まあ、タリムは深い意味はなく言ってるんだろうが。
 ……今まで成り行きでタリムを泊めていたのが。
 僕たちは互いの同意によって家族になった……
 いや、ちょっと違うな。
 なんて言うのかな?
 単に、僕もタリムと一緒にいたくなった……なんてこと言えやしないな。

『うん?
なにぼーっとしてんの?』
「なんでもねえよ……。
あ、それよりテレビ」

 ふとテレビのニュースを見ると、赤黒くなった海が映っていた。

”海洋汚染により、大規模場な赤潮が発生……。
それによって多くの海中の生物たちが死に……。
このまま汚染が拡大すれば、深刻な生態系の破壊が……”

『たくさん生き物が死んじゃうのは嫌だね……』
「そうだな……」

 そうだな。
 僕は元々人間が好きじゃない。
 ……ハッキリ言えば嫌いだ。
 親も学校も社会もなにもかも。
 それでも、出会ったばかりのタリムとは不思議と上手くやれている……気がする。
 なんでだろうな?

教室

 それから登校して、二人で教室へ入っていく。
 クラスメイトたちが挨拶してくれた。
「おっす」
「おはよー」
「おはよう」
『おはようございます』
「……ん?」
「……んんん?」

 タリムが挨拶をしながら教室の席に移動すると、周りの生徒たちが注目していた。

「えっと、タリムちゃん?」
 近くの女子が話しかけてきた。

『どうしたの?』
「えっと、なんか変わった……?」
『別に?普通ですよ』
「んーーーー、なんかどことなく女の子っぽくなった!!」
『嫌だなあ、元から女の子ですよー』
「そうじゃなくて!先週まで髪の毛ボサボサ、スカートバサバサして歩いてた野生の小学生みたいだったのが。
なんかこー……お嬢様までいかないけど、お年頃の女の子ー、みたいな雰囲気になったような?」

 野生の小学生ってなんだよ。

『うん???あー!今日は自分で制服のアイロンかけてみたからかなあ』
「そうなのー、偉い……ね……?」

 女子がタリムの背中のアイロン跡に気づいてフリーズした。
 その視線が下に下がると、今度はスカートの折り目が大きく曲がっていることにも気づいたようだ。

 周りの女子たちがゴチャゴチャ言い始めた。
「う、うん……その、えっと、誰か、代わりに」
「あなたが言いなさいよ!」
「いや言えないわよそんな」

 わかる。その気持ちすげーわかる。
 せっかくルンルン気分で生まれて初めて自分で制服にアイロンかけておしゃれになった気分のタリムを、
「それ、酷い状態だからどうにかしたほうがいい」と言える人間がいるだろうか?
 おい、お前らこっち見るんじゃねえ。
 言えるわけないだろ。

「おっす!おはよーー!!どーん」
 背中から誰かが勢いよくぶつかってきて、思わずよろけてしまった。
 この肉厚な弾力は!!!

「寅子!!もう風邪はいいのか」
 ポニーテールとグラマラスな体型がトレードマークのクラスメイト、草戸寅子だ。

「うん。誰この子?ってか背中のアイロン焦げとスカートの折り目酷いの、なんで誰も言ってあげないの?」

 教室の空気が凍り付いた。

『え……誰……背中の焦げ目……?スカートの折り目……?』

 タリムは絶望と狼狽の表情を浮かべ、背中の焦げ目に手を当て、スカートの折り目に目をやった。

「あちゃー、もしかして初めて自分でやって失敗ししちゃった?」
『……』

 うるうる目になるタリム。
 だから言わんこっちゃない、んだが……
 まあ、ここは寅子に任せておくか。

「ちょっとー、この子家庭科室に連れて行くから、先生に言っておいてー。
少ししたら戻るー」
「ああ、わかった」
『え、あ、あ……?』

 寅子は強引にタリムを連れて行ってしまった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

家庭科室

 タリムと寅子の二人だけがいる。

『あの……いったい何ですか?』
「んーと、まずスカート脱いで」
『はいいいっ?!』
「ほらほら、女同士なんだから恥ずかしがることないでしょ」
『いやあああ?!無理矢理脱がしちゃいヤダーーー!!お許しくださいーーー?!』

 寅子はタリムのスカートを脱がした。


「よいではないか~、よいではないか~。お~う、可愛い尻してるねえ!」
『な、何をする気なの?!』

 寅子はタリムの腰に毛布をかけて、脱がしたスカートを奇麗にアイロンがけし直した。

「こっちはこれでよーし!次は上脱いで!」
『は、はあ』

 今度はタリムの制服の焦げ目を、何かの薬品でぬらした布で軽く叩き始めた。

『な、なにをしてるんですか……?』
「これくらいの焦げ目なら、オキシドールでぬらした布で誤魔化せるかな、と思ってさ。
こうすると、焦げ目の色が薄くなってわかんなくなるでしょ?
あとは水で濡らした布で軽く叩きながらふいて、と!
……あー、ちょっとは残るけど、だいたい大丈夫っしょ!
はい!スカートもそろそろ熱が冷めたかな。
はいどーぞ」
『あ、ありがとう……』
「へへっ、いいってことよ!」

 タリムは直してもらった制服を着た。

『えっと、どうして助けてくれたの……?
見ず知らずの私を』
「ん?んんーー?
大したことじゃない。
私が出来ることをしただけ。
まあ、あたしも失敗したとき、お姉ちゃんによくこうしてもらって嬉しかったからかな~」
『私はあなたの妹じゃないよ!』
「あはは、ごめん。そんなつもりじゃ。
あ、ところで。あんた誰?」
『今更?!あなたこそ誰?!』
「私は草戸寅子、クラス委員やってるよ。
弟が風邪ひいて看病してたら私にもうつっちゃって。
これがも~酷い風邪で……私が治ったら今度は親が風邪になってさー。
そんでうちパン屋やってるからそっちもどうにかしなきゃいけなくて。
しばらく学校休んでたんだ」
『それは大変だったね。
私はタリム……わけあって南の島から来ました』
「へー。よろしくね!!」

 寅子の差し出した手を、タリムは戸惑って眺めた。
 寅子は強引にタリムの片手を握ってぶんぶんと縦に振って、笑った。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

教室

 一時間目の休み時間に二人が帰ってきた。

「オイー!いつの間にかこんなカワイ子ちゃんと仲良くなってんだって~~?」

 寅子が強引に僕の腕に抱き着きながら言った。
 タリムがそれを見て、くわっと目を見開いた。
 そして、視線が寅子の胸元に行った。

『なななななな、なんなんですか、なんなんですか?!』
「あれ?言わなかったっけ?私こいつの幼馴染」
『えっと、なんで腕……抱き着いて……』
「ん?ああ、こんなん抱き着いてるうちに入んないってー!いつものコミュニケーションってやつ?あはは!」
『いつも……こんなことを……?急に現れて……幼馴染……?』
「んん?いやあ、こっちこそビックリだよ。こんな南国美少女が急にクラスにいるんだもん」
『なんで、胸を押し当てて……』
「あ、これ?子どもの頃とおんなじノリでやってたら、最近なんか当たるようになっちゃってさー。
色々邪魔なんだけどもう、しょーがないよねー」
『邪魔になるほど……ある……?』

 ワナワナと身を震わせるタリム。 

「あ、それでさ。今日お弁当のおかず作りすぎちゃったんだけど、あんたいる?
どうせいつもロクなもん食べてないんでしょ」

 幼馴染だからか、たまに寅子はこうやって世話を焼いてくれる。
 まあ、幼馴染と言っても、僕は小五から中一まで別の町に行っていてその間は離れていたんだが。

「ああ、ありが……」
『ちょっとそれ見せて!!!』
「え?いいけど。そんなお腹空いてるの?」

 卵焼き、野菜の煮物、豚の生姜焼き。どれもシンプルながら上手に出来ている。

『味見させて頂きます!!』
「ん?いいけど」

 タリムは卵焼きをひとつまみ食べて、崩れ落ちた。

「えっと。口に合わなかったかな……?」
『凄く……おいひいです……』

 次の数学の時間、タリムは死んだように机に頭を伏せていた。

保健室

「……と、いうことがありまして」
 僕はタリムを保健室に連れて、茨先生に話をした。

「ぶっ。うわははははははははははは!!!」
 先生は豪快に吹き出して爆笑した。

『わ、笑った……私の悩み……笑った?!』
「いやいやいや……あたしゃー嬉しいよ。……ブフォ!!」
『ち、乳のデカいヤツはみんな敵だーーーーーっ!!!
だいたいなんなんですかその肉は?!
何にそんな肉量の必要があるんですかーーー?!』

 茨先生はタリムを抱きしめて、頭を胸で包み込んだ。

『なにするんですか苦し……
……
……
ああ、温かくて柔らか……
これが……
天国……
魂が、天に還っていく……
これは、私には出来ない……』

 タリムは全身の力が抜けたようになって、目は白目をむいていた。

「タリムしっかりしろぉおおおお、死ぬんじゃねぇーーーーー!!!」
 僕はぐったりとしたタリムを慌てて天国の谷間から引き離した。

 茨先生はタリムをベッドに寝かせて、僕を屋上に連れて行った。

「あいつ、大丈夫なんですかね?
今日の様子、色々とおかしい」
「こないだ言ったこと覚えてる?」
「ああ、はい……”女の子は成長が早いから目を離すな”でしたっけ」
「そ。あの子は七年間、時間が止まったようなもんだった。
だけど今、色んな経験をして、今までなかった刺激を受けて、
大きく変わりつつあるの。
ただ大人の言いなりのままだった子どもから、
自分の意志を持った思春期の女の子へと」
「はあ」

 よくわからないが。

「だからみっともないくらいはしゃいだり、無謀な馬鹿をやったり、
なんでも持ってるように見える他の子に嫉妬や劣等感を覚えたり、ね」
「はあ……」

 何が言いたいんだかまるでわからん。

「ま、大事なことは、あの子が自分を見失わないように支えてあげてね、ってことよ。
そんだけ」
 茨先生は僕の背をバシンと叩いた。

「あ、はい!」

 それならわかる。なんとなく。

 保健室に戻ると、タリムは豆乳を飲みながらガッチャンガッチャン馬鹿でかいバーベル上げをしていた。

「タリムウウウウウウウウ?!」
「そんなことをしても胸が大きくなったりしないわよ」
『えっ……』

 おそらく体育倉庫にあったであろうバーベルは、ゴトンと音を立てて床に転がった。

ホームルーム

 二人で教室に戻ると、ホームルームをしていた。
 寅子が黒板の前でみんなに話している。

「なんか今年から連日練習尽くしの運動会やめてもっと気楽な体育祭することになったらしいんだけどさ。
そんで、出る種目を立候補してほしいんだけどー。
お、帰って来たー!!
今、体育祭の話してたとこ。
ひとり最低ふたつは出てね!多い人は最大で五つまで!
人数あふれたらじゃんけん、足りないとこもじゃんけんでテキトーに決めよ」

『……体育祭??』
「あー、みんなでスポーツして競って遊ぼう、的なイベントだよ」
『スポーツ……競う……はっ!!』

 タリムはじっと寅子を見つめて、指をさして言った。

『寅子さん、私と体育祭で決闘です!!!』
「ん?」
「た、タリムウウウウウっ?!」

 だからなんなんだコイツの今日の唐突さはっ?!

「ほほう、私とタリムちゃんが。なにを懸けて闘うのかな?」
『それは当然……ヒロインの座です!!!
ヒロインは……二人いらない』
「ほほう!
いいねえ、勝ったほうがこのクラスの、いや学校のヒロインってことで!!!
第一次ヒロイン決定戦の開幕だーーーー!!!」
「わあーーーーーーーーっ!!!」

 クラスは一気に盛り上がった。

「お、おい、お前ら落ち着け……
同じクラス同士で同じ白組なんだから仲良く……
そうですよね先生?」

 自分の席で黙っていた黒鵜先生が立ちあがった。

「いいだろう、二人が正々堂々と闘えるように便宜を図ってくる」
 そう言って先生は教室を出て行った。

「黒鵜先生ーーーーーーー?!」

 今までで一番ワケわからんなあの先生?!
 止めろよ?!立場的に!!!

 けどよく考えたら。
 寅子はスポーツ万能だが、それは普通の女の子のレベルでだ。
 対して、タリムはオリンピック選手より遥かに優れた身体能力。
 絶対負けない勝負で公然と相手を叩きのめすつもりか?

「おい、いくらなんでも大人気ないんじゃ……」

 タリムは真剣な眼差しで寅子を見つめていた。
 何考えてるんだこいつは?

『ちょっと電話かけてくる』
「お、おう。通信機は先生とかに見つからない場所で使えよ」
『わかってるー』

 

放課後


 僕とタリムが廊下を歩いていると、「おい」と後ろから誰かに呼び止められた。
 振り向くと、そこにやつれた顔の体育教師、馬輪原がいた。
 例の女子生徒への暴力や痴漢事件は刑事事件にはならなかったものの、短期間とはいえ停職処分となり、学校や地域での評判は地に落ちていた。
 それからすっかり怒鳴ることも殴ることも止め、別人……というか、ゾンビのように青い顔でフラフラするようになっていた。

「お前たちのせいで……我が校の伝統ある運動会が潰れて……。
練習もないただの体育祭にするだと……?
そんなこと許されると思ってるのか?
そんな甘ったれたことで……。
社会が……俺が……許すわけ……
俺が若い頃はもっと厳しく……
それも愛ゆえの……」

 途中から、ただの独り言になりながら、体育教師はブツブツ呟きながらフラフラどこかへ行ってしまった。

『えっと、先生大丈夫かなあ……』
「ほっとけ。自業自得じゃないか」
『運動会だっけ?
そんなに大事なものだったの?』
「あーー……。
一か月以上毎日四時間くらいかけてクソ暑い中、行進やダンスや組体操や応援を練習し続けるとこから始まるんだけど」
『自由参加?』
「んなわけあるかい。
強制だよ、どんなに暑かろうが水すら自由に飲めねえ。
まあ、嫌いじゃないヤツもいるみたいだが、僕にとっては最悪のイベントだったな。
先生たちはみんな殺気立って生徒が思い通りに動くかを気にしているし。
ダンスとか苦手な奴、物覚えが悪い奴は取り残されながら悪目立ちする形で練習させられるし。
人間を三段、四段、五段とか縦に積み上げる組体操は危険だし。
……たまーにニュースで腰や背中の骨を折って重症になるケースがあってもやめねえし。
たまに熱中症や日射病や脱水症状で倒れるヤツいるし。
本番だって運動出来るヤツは活躍の場だが、苦手な奴は足を引っ張らない、悪目立ちしないために必死なだけだし。
最悪な上にクソ長いし人権もない」
『うわ……。
なんか凄いね』
「マジで今年から無くなってよかったよ……」
『うん?なんで?』
「いや、きっかけはタリムだろ」
『???』

 タリムはきょとんとした顔をした。

「教師が生徒に理不尽なのが当たり前って校風にヒビを入れただろ。
あんだけ騒ぎになって忘れたのか?」
『あー……。
いや、私にとっては当たり前のことをしただけのはずが、なんか気が付いたら大事になっちゃったっていうか。
そもそも私、当たり前の学校とか、去年までどうだったとか、全然わかんないし。
正直、未だにこの学校がなんで暴力や痴漢を野放しにしてたのか理解できないよ』
「あー……。
まあ、そうか」
『私、悪いことしちゃったのかなあ……。
学校ってなにが良いのか悪いのか、たまにわかんなくなるね』
「いや、僕からすれば万々歳だ。
ほとんどの生徒にとっても気楽な体育祭になったのはすげー嬉しいはずだ」
『そっか。
けど、体育の先生みたいに変わるのが嫌な人もいるのかなあ』
「まあ、いるかもな。
あんま深く考えるな、世の中色んな考えや事情の奴がいるのは仕方ないさ」
『……うん』
「それより、今日は何が食べたい?
なんでもいいぞ」

 まあ、一応運動会の練習がなくなったお礼したいしな。
 ステーキくらいなら喜んで食べさせたい……スーパーのお徳用のヤツなら。

『え?なんでもいいの?やったー!!
じゃあ、この間漫画で読んだ満漢全席っていうのがいいな!!』
「出来るかそんなもん?!
……スーパーで調達出来る範囲で」
『えー、お惣菜じゃなくって、たまには作ってよー。
満漢全席じゃなくていいからさー』
「は、めんどくさっ?!」
『いいじゃんいいじゃん、二人でやればきっと楽しいって!!』
「二人とも料理出来ないんだからきっと大変だぞ……」
『それが面白いんじゃんかよー。
あ、買い物の前に博士のとこ行かなきゃ』

機関

 その後、二人で機関のアズニャル博士の元へ行った。

「はい、頼まれていたもの出来てるニャ~~ン。
私にかかればこんなの朝飯前だニャン」

 相変わらずだなこの人。

「リストバンド……?」
「当然ただのリストバンドじゃあないですよ。
タリムさんの身体能力を『年相応の運動神経のいい女の子』くらいに制限するリミッターです」
「タリム……?」

 タリムはさっそくリストバンドを着けて、周りを軽く走ったり跳んだりしてみせた。

『うわあ、身体が重いなあ。
あの子って、あんな重そうなのに走るの早いんだって?
嫌になっちゃうなあ、もう』
「ふふー、成功のようですね!
彼女と身体能力はほぼ互角にしてありますが、
タリムさんにとってはいつもと違う身体に変わったようなもの。
相手より歩幅も小さい。
通常のスポーツ経験もない。
はっきり言って、かなり不利な条件です。
もうちょっとリミッターを緩和しますか?」
『冗談でしょ。
やりますよ私は!!
正々堂々と負かしてやるんだから!!!』

 こんなに燃えているタリムは初めてだ。

『じゃ、ちょっと外で走り込みしてきます!
あ、運動靴買わなきゃ!!』
「お、おい……」

 タリムは風のようにいなくなった。

「フフフ、これはこれでいいデータが取れそうだ……ウフフフフ。
そう言えば、どういう勝負にするんでしたっけ?」
「ええっと、たしか。
黒鵜先生の計らいで、出席番号の奇数を紅組、偶数を白組にすることで同じクラスでも競えるようにして。
学校公認で二人が出場する競技は直接対決することになって。
で、二人は50m走、玉入れ、ドッヂボール、パン食い競争、十人リレーのアンカーの五つをやることになって。
3つ以上勝ったら、学校認定ヒロインってことで表彰されるんだそうで……
……
……
なにやってんだこいつら。
この学校とか黒鵜先生もなにやってんだ?」
「フハハハハァ!!当日はワタクシも是非観戦したいですねえ!!」
「不審者として捕まらないように気を付けてくださいよ」

 ……。
 いつになく状況に取り残されてるな、僕だけ。

「博士にひとつ訊きたいことが。
今まで僕は”人を食べる変異体”、”コウモリの変異体”、”不良の変異体”、”石男の変異体”を見て来ました。
不良と石男だけ途中まで瘤のようなものがあって、途中から消えたんですが……あれはなんですか?」

 博士は以前見せたテンタクルズの標本を取り出した。

「簡単に言うと、あの瘤はコレです。
コレがウネウネしながら宿主の表皮を食い破って融合する過程で瘤状になるんですよ。
融合しきってしまえば瘤が無くなるわけです」
「じゃあ、瘤があるうちなら、瘤を切除してしまえば……」
「その状態でも身体はある程度変異してしまっているので、再生されるだけですね。
あー……癌の病巣を切除しても、癌細胞が広範囲に転移した後なら癌は治らない、みたいな感じですかね。
タリム砲のエネルギーで瘤を消滅させつつ全体にエネルギーを浴びせれば変異を止められる可能性はありますが……高密度のエネルギーの嵐をぶちかませば当然、瘤も本体も消し飛びます」
「……そうですか、ありがとうございました」

 いい案だと思ったんだけどな。

家の前

 僕は一人で家の前に帰ってきた。
 そう言えば、一人で家に帰るのってちょっと久しぶりだな。
 タリムが来てから、いつも一緒だったからなー。
 ……あ、買い物してないな。まあいいか、タリムがしてきたかもしれないし、してなければ後から一緒に行けば……。

 近所に住んでいる寅子がこちらに歩いてきた。

「おーっす!ママがさあ、残り物のパン持ってけって。
あ、ついでにおかずも少し。
あんた私のいない間ちゃんとしたもん食べてた?
部屋片づけてる?」
「まあ、そこそこちゃんとやってる」
「あんたのそこそこは信用出来ないからなー」

 僕と一緒に家に自然と入っていく寅子。
 
”ドサっ”
 
 後ろを振り向くと、買い物を袋を落としたタリムがいた。

『なんで、当たり前のように家に入っていくの……?』
「そりゃあ、なんでって、いつもそうしてるから。
ん?タリムちゃんこそなんでここに?」
『……なんでって』

 タリムがじとーっとこちらを見てくる。
 寅子もじとーっとこちらを見てくる。


 ……なんなんだ、お前らは?

「ああ、その、黒鵜先生に頼まれてさ。
そのー、泊まるはずだった場所が急に工事になって、ロクに寝られる状態じゃないみたいでさ。
仕方なくここに泊めてるんだ」
『し、仕方なく……?
だって私たちはこの前からかぞ……』

 僕はタリムの抗議を小声で遮った。
「……おい、話し合わせろよ面倒になるから!!」
『むぅ』

「へー。私が知らないうちにそんなことに。
おじさんとおばさんまだ帰ってないよね。
中学生の男女が、二人っきりで?」
「いや、黒鵜先生も様子見に来てるから実質三人!!
だけど、ほら先生の家に泊めるのはもっとマズいだろ?!」
「へー、ほー、ふーん」
『……』

 微妙な沈黙のまま、三人で家に入り、とりあえず僕はお湯を沸かし始めた。

『……二人って、どんな関係なんですか?』
 先に口を開いたのはタリム。

「そりゃあ、小さい頃からの幼馴染だよ。
あ、私の家はあそこ!窓から見えるでしょ。
コイツは訳あって小五のときに都会に引っ越しちゃったけど。
今年の春にまた戻ってきてくれてさ!
そっちは?」
『なんていうか、私は命の恩人?
危ないところを助けてあげて、私も色々助けてもらった、そういう関係?』
「へー、そりゃ私の幼馴染を助けてくれてありがとう!
でも、はっきりした関係じゃないんだね!!」
『そっちも、幼馴染と言っても途中は空白なんですね!!
それじゃあ幼馴染じゃなくただのお友達なんじゃないですか?』

『……』
「……」

 やめろ、やめるんだ、二人とも……。
 そう、一言すらいえない雰囲気のなか、俺は二人に背を向けたまま、お茶とお菓子を用意することしか出来なかった。

「……よくわかったよ。
最初、タリムちゃんが決闘って言い出したときなんでかな、と思ったけど。
あんたとは白黒はっきりつけなきゃいけないみたいだね!!!ガリリっ!!!」
 せんべーを勢いよくかじる寅子。

『……あなたには助けて頂いた恩があります。
けれど、それとは別に決着をつけなければなりません!!ガリリっ!!!』

 二人はガリガリしながら、睨み合い……熱い握手を交わした。

「ふう、これでなんとか落ち着いた……な……?」

 二人ともギリギリと握手をした手を放そうとしない。

「二人とも、もうやめてくれっ?!
この争いに何の意味があるんだっ?!」

 二人は声を揃えて怒鳴った。
「『うっさい!!!男は黙ってろ!!!』」
「……はい」
 
 ……本当は仲良しかこいつら。


翌日、体育の授業


 今日の体育は体育祭のフォークダンス練習だ。
 去年までなら先生たちの怒鳴り声が響く中延々と細かい振りつけ通りにやらされていたのだが。
 今年からは「音楽にあわせてだいたいの流れで自由に楽しく動けばいいよ」という方針になった。

「それはありがたいんだけどなー」
『うん?』

 僕はタリムの手を取りながら呟いた。

「女子と手をつないで人前でクルクル回るとか……それだけで僕にとっては大変な苦痛なんだが」
『相変わらずひねくれてるなー。私こういうのやったことないから凄く楽しいよっ?!
ほっ、はたぁっ、うぉあああありゃっ?!!』
「お、おいやめ、やめ、ぐぁあああああ~~~っ?!」

 気が付くと僕はタリムに勢いよくグルグル回されて地面に転がっていた。

「あんたたちねえ……」

 寅子が僕たちを見てため息をついた。

「あんたは動きが固い!!あと顔!!!」
「顔は関係ないだろっ?!生まれたときからこんなツラだっ」
「そうじゃなくってぇ、”いかにも嫌々やってます”って感じで相手は上手く踊れるかっつーの!!何より相手に失礼だコノヤロー」
『そうだそうだー』
「……すんません……」
「あとタリムちゃんは相手を考えず出たらめに動きすぎ!!!
アクション映画の投げ技かっ」
『あうっ』
「いい、タリムちゃん。私がコイツと踊ってみせるから」
『えっ』

 寅子は僕の手を取って器用に踊り始めた。
 僕は上手に動けないのだが、それを見越して僕が動きやすいよう、先回りして動きを掴んでくれる。
 次第に僕も気分よく動き回れるようになった。

 周囲の生徒から歓声が上がった。
「おおーーーっ」
「息ピッタリ!!!」
「あの二人幼馴染なんだっけ……付き合い長いだけあるなぁ」

「わかった?タリムちゃん。
ダンスは相手のこと考えて、相手の動きをよく見て、お互いにあわせ合うの」
『……むぅ』
 タリムはぷくーっと頬を膨らませた。

「あははは、そんな膨れないでよ。
教えてあげるから。私が男役で……それでいい?」
『……お願いします』

 タリムと寅子が踊り始めた。
 最初ぎこちなかったタリムが、徐々に生来の柔軟さや運動神経を活かしつつ、相手との息も合っていった。

「なかなかやるじゃない!」
『そっちもね!!』

 寅子も負けじとばかり動きが激しくなっていき……。

”ぐるんぐるんぐるんぐるん”

 いつしかグラウンドの真ん中で二人は大道芸のような大回転で競い合っていた。
 そして、唐突に二人は止まり……。

『おぅええええぇ……』
「き、気持ち悪いぃ……」

 僕は思わず二人に駆け寄って言った。
「吐くな、今ここだけは我慢しろっ?!ヒロインの座を懸ける前に二人仲良くゲロインになるからな?!」
『わかっ……う……』
「ま、まってまってまって僕に口を向けるなもう少し我慢しろおわーーーっ」

体育祭

 それから数日後の運動会。
 二人の勝負の火ぶたが切って落とされた。

『五種目のうち、三勝取ったほうが勝ち!!』
「勝ったほうが学校認定のヒロインってことね」
『私は全力で勝つ!!』
「私だって負ける気はない!!」

 そして、競技が始まった。

 50m走ではタリムの勝利。
「うわー、ちっこいのにあんな早いなんて!!」
『ちっこい言うな!!』

 玉入れではタリムの僅差で勝利。
『ふふん、射撃スキルで私に勝てるわけがないですよ!!』
「くそう、胸が邪魔で投げづらいから負けた!!」
『?!』

 ふと、違和感のある視線に気づいて校庭の端に目を向けると。
 デカいカメラを構えた体育教師がいる。
 視線の先は……タリムと寅子。
 その様子はどこか……尋常でない執着がある。
 僕が近づこうとしたそのとき、体育教師の背後にスッと人影が。
 彼は尋常でない殺気に気づいて凍り付いた。
 僕は思わず呟いた。

「さすがストーカー先生……」

 黒鵜先生はこちらをキッと睨みつけた。
 この距離からの小声も聞こえるんかい……怖っ。
 まあ、先生に任せておけば一安心だ。あいつはどうなるか知らんが。

 ……そういえば、アズニャル博士も来ているんだろうか?
 ……あ、保護者席にやたら長い髪にサングラス、アロハシャツ、頭に猫耳の怪しいオッサンいたわ。元の風体が怪しんだから、もうちょっと目立たない恰好で来れないのかね。
 博士はしばらくして、席を立ってどこかへ行った。

 次の競技、ドッジボールでは。
「ふふ、おあつらえ向きに一対一の状況ね。
ドッジボールクイーンと言われたこの私に勝てると思ったかーー!!」
『そんな鈍間な球が当たるかーー!!!』

 寅子が投げたボールを正面からがっしりと捕らえて、即座に投げ返すタリム。

「そんなフォームでまともにボールが飛ぶものか!!
……?!」

 たしかにタリムは見てわかるほど妙な投げ方だったが、そのせいでボールは変化球のようなカーブを描いて、上空から寅子の胸の上に当たった。

『勝った……!!!』
 ボールがぼいんと弾力で上に跳ね上がる。


「空中でキャッチすればセーフ!!」

 寅子はジャンプしてボールをキャッチ、空中からボールを投げる。



 タリムは……
 ショックでその場から動けず、胸にボールが当たった。

 ボールはストンと地面に落ちた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 体育教師の馬輪原は校舎裏をフラフラと歩いていた。

「あの新任まで俺を虚仮(こけ)にしやがって!!
あいつら……なにが決闘だ、伝統ある運動会をなんだと思ってやがる……。
だいたい、最近の中学生は体つきばっかり発達しやがって……実にけしからん!!
あのタリムとかいう外人の小娘、いつか、いつかわからせてやる……。
……ん?なんだ貴様……。
何?欲望を叶えたいか、だと?
フン、貴様のような怪しいヤツに話すことなど……。
は?面倒だ、だと?
おい貴様……なんだその注射器は?!
中にミミズのような……?!
おい、やめ……うぐぁああああああああああ~~~~っ?!」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 四つ目の種目、パン食い競争。

『ふふふ、私から一本取るとはやるじゃないですか……。
その分厚い脂肪に救われただけですけどねー』
「そうね、タリムちゃんじゃ到底出来ない芸当だったでしょ?
……パン屋の看板娘にパン食い競争で勝てるとでも?
あれはうちが作ったパンだーーーー!!!」
『それがどうした!!!
私はこの世の全てのあんぱんを征服してやる!!!』
「ならば私は最強のあんぱんを作り続けてやる!!!」

 いや、意味わかんねえよ。

 二人がスタート。
 最初は寅子がリード、しかし鬼気迫る勢いでそれを追い抜き、
レース場の全てのあんぱんを迅速に確保し、一位でゴールするタリム。

『これで三勝!!!
勝ったーーーーーーーーーーー!!!』

 審判の黒鵜先生がタリムの頭をポコっと叩いた。

「反則負けで最下位」
『……なんでですかっ?!』
「あんぱんを取っていいのは自分の分だけだ!!!
ちゃんとルール聞いてなかっただろ!!!」
『ご、ごめんなさいいいいいいいーーー!!!
だって、だってこのあんぱん美味しいんだもんーーーー!!!』
「おーっほっほっほ!
どうやら勝因はうちのパンの美味しさだったようね!!!」
『うぐうううううっ!!!!』

 タリムは悔しそうにあんぱんを食いちぎった。

「『勝負はこれからだッ!!!』」

 そして、運動会と二人の勝負最後の競技、十人リレー。

「タリムちゃん、靴ひもの結び方ちょっと変よ、直しなさい!」
『だーれが言う事ききますかってーの!』
「『フン!!』」

 アンカーの二人の出番。
 タリムのほうが少し先にバトンを受け取った。

『悪く思わないでね!これが勝負の厳しさだから!』
「もう勝ったつもり?!すぐに追い抜く!」

 遅れて寅子もスタート。
 鬼気迫る勢いで追いつきそうになる寅子。
 必死で離すタリム。

『あっ』

 タリムが自分の靴ひもを踏んで転んだ。
 その瞬間寅子がタリムを追い抜くが……。

「大丈夫?!」

 寅子が振り返ってタリムのもとへ駆け寄って手を差し伸べた。
 タリムはそれを振り払った。

『まだ勝負はついてない!!!』
「……そうだね。悪かった!!」

 寅子は前だけを向いて走った。
 タリムは靴を放りだして裸足で走り出した。
 タリムがぐんぐんと追いついていく……
 だが寅子はゴール直前……

"ウウウウウウウウウーーーーーン!!!"
 突然非常警報が鳴った。

襲撃

「これは……」
 タリムはリストバンドを外して、風のように校舎へ走り出した。
 おそらく、武装を取りに行ったんだ。

 黒鵜先生はポケットからPHSを取り出し、誰かと話しながら校舎へ走り出しながら叫んだ。
「校長、避難誘導を!緊急事態だ!!」
 
 僕は……どうすべきか?
 常識的には先生たちの避難誘導に従って大人しくするべきだ。
 ……馬鹿か。
 僕はなんのためにここにいる。
 警報が鳴って、タリムと黒鵜先生が動き出したということは……間違いなく変異体が現われたんだ。
 ならば、変異体はどこにいる?
 奴らは人間の頃の執着を最優先にして動く。
 そもそも、この状況で、この場所で執着するものって……?
 
 寅子が呆然とタリムの背中を見送っている。
 そして、寅子が急に宙吊りにされた。
 
「い、いやあああああああっ?!」

≪捕まえたぁああああ~~~≫

 いつの間にか変異体の男が現われて、触手で寅子を吊るしている。
 身体からいくつかの触手のようなものが生えていて、胸元に瘤がある。
 それ以外は、どう見ても体育教師の馬輪原そのもの……。 
 周囲の生徒や教師たちがざわつきはじめた。

≪ああああ~~~ん≫
 体育教師の触手が伸びて、寅子の胸元へ向かった。

「な、な、なにをしているんですかあなたは?!」
 校長が急いで二人の元へ向かって怒鳴った。

≪邪魔をするな!!!≫
 体育教師が校長の片手を掴んで捻り、校長の手首と肘があり得ない方向に曲がった。

「うぎゃーーーーーーーーーっ!!!」

 校長が叫ぶと、生徒たちはパニックになって校庭の外へ向かって走り出した。
 僕は人の流れに逆らって移動しつつ、人の少ない物陰に移動して隠れた。
 校長は、素早く近づいてきた茨先生に付き添われて一緒に逃げて行った。

 どうする。寅子を放ってはおけない。
 だが、僕には戦闘力がない……いや、仮に剣や銃の達人でも、あいつにはかすり傷もつけられない。
 やるべきことは、寅子からこちらへ注意を向けて時間を稼ぐことだ。
 石でも投げるか?
 いや、武装したタリムに匹敵する身体能力だとしたら、最悪一秒で僕は殺される。

 震える寅子に、体育教師は再び触手を伸ばし始めた。

「やめろ!!!」

 黒い覆面をかぶった男が校舎から現われて、銃で変異体を撃った。
 ……あれはどう見ても黒鵜先生。
 人前で銃を使うから後で誤魔化せるように顔を隠しているんだろう。

≪なんだテメェ、変な恰好しやがって。銃なんか俺様に効くわけねーんだよ≫

 変異体がそばにあった机を掴むと、片手で軽々と放り投げ、黒鵜先生にぶつけた。

「ぐあっ!!」
 先生は大きく吹っ飛んで倒れた。

≪さあ、今度こそ頂こうかな~≫
「待った!!!」
 反射的に、僕は無策で飛び出してしまった……。

≪あああ~~ん?お前死にてええのか?今の俺様はつええんだぞお≫
「……もっとボインの……」
≪……は?≫
「もっとボインの保健室の女王のほうがエッチだと思いませんか?!」

 我ながらすげー馬鹿!!!!
 他になかったのかよーーーーー?!

 数秒、静寂が続いた。

≪それもそうだ!!!
俺様はあいつも気になっていたんだ!!!≫

 こいつのほうが馬鹿だ!!!
 茨先生すみません!!
 でも、素人を危険に晒すよりは……先生も納得してくれるはず。

「……」
 寅子は逆さに吊るされたまま、青い顔で無言のまま大人しくしている。

≪で、そいつぁ、今どこにいる?!嘘ついたらお前殺すぞ!!≫
「えー、と。さっき向こうの方に走っていったかな……?」
≪そいつを連れてこい!今すぐだ!!!≫
「はい。じゃあ、そっちの子はもう放しちゃっていいですよね?」
≪……んー……こっちはこっちでいいに決まってるだろうが!!!≫
「……そっすよねー」

 状況を整理。
 第一目標・寅子を守ること。
 第二目標・自分が死なないこと。
 第三目標・可能な限りタリム到着まで時間を稼ぐこと。

 これら三つをクリアするには、どう行動するのが最善だ?
 どんなにみっともなくても、一番可能性が高いことをすべきだ。

「先生は、どういった女の子がお好みで?」
≪は?聞いてどうする?≫
「いやあ、先生みたいな強い人って、男の憧れなんですよねえ!!」
≪ふふん、おだてやがって。だが悪い気はしねえな。
お前、なんだかんだ言って俺様のおこぼれを頂戴しようってか?!≫
「ははは~、いやいや、滅相もない」

 我ながら最悪に情けない。

≪んん~どうしよっかな~。働き次第では子分にしてやらなくもないぞ~≫
「はは~ありがたき幸せ!!雑用でもなんでもしますよ!ジュース買ってきましょうか?」

 まだか!タリムはまだか!!!

≪気に入ったぞ、近こう寄れ≫

 殿様気分かコイツ。

≪そんなに子分になりたければしてやってもいいぞ~≫
「ありがとうございます!!」

 ヤツの右腕の触手から、小さい触手がうねうねと出て来た。

≪そいつを呑め、それが子分の証だ≫
「えっと……」

 これは、テンタクルズの分身……?
 これを呑むということは……人間として終わることを意味する。

≪やはりな……お前、最初から時間稼ぎのつもりだったろ?≫

 冷たい汗が背中を伝う。

≪わかるんだよ、この体になってから。相手の心音や汗の臭い……
そこから大体の相手の心理状態がな。
いい能力だぜ?
お前の必死さと絶望感、こっちの女の恐怖と怒りがよくわかる……。
思えば、俺様はお前たちのせいで立場がなくなってから……
いや、それよりずっと前から、他人からどう見えるか、
周りから何を求められているかをずっと気にして生きてきた。
けど、よく考えたら簡単なことだった。
全て、力ずくで手に入れてしまえばいい!!
欲しいものはこうやって……お?≫
「調子に乗んな化け物!!!」

 寅子が片足を吊るされたまま、残りの足をくるりと回して体育教師の顔面に蹴りを入れた。

「やめろ寅子!!!」
≪勇ましくて可愛いねえ。
でも全然効かねえわ……
まあ、ムカつきはしたがな≫
 
 馬輪原は寅子を地面に放り投げ、体操服を引きちぎった。

「うわぁーーーっ!!やめて!!」
≪女だから一回は生かしておいてやるが、男は殺す≫

 馬輪原が僕に向かって、先端に鋭い爪のある触手を振り上げた。
「!!!」
 僕は咄嗟に逃げようとしたが……この動きの速さ……間に合いそうにない。

 そのとき、寅子は素早く立ち上がり、変異体の股間に向けて蹴りを入れた。
「私は……っ!!
三年前あんたが私を守ったせいでこの町を去った日からずっと……あんたを守れるようになりたかったんだ!!」
「寅子……っ?!」

 お前……そんなことを思っていて……こんな無茶を……。
 もう、ずっと前に終わったことなのに。

≪効かねえって言ってんだろが!!!今度は殺す!!!≫

 触手の向かう先が寅子に変わった。

「ごめん、私……あんたが」
「馬鹿っ!!!」

 鮮血が飛び散った。

『敵を殲滅します。大事なものを守るために』
 タリムのビームブレードトンファーが触手を斬り落としたのだ。

≪なんだお前ぇええええええ!!!!≫

 タリムはタリム砲の構えをとった。
『適合率89%……エネルギーチャージ完了、ロックオン』

 タリムはじっと狙いを定めたまま、撃たない。

≪なんだ、ビビってんのか?!≫

 違う。嫌な奴とはいえ、関わりがあった人間を殺したくないんだ。
 それでも……タリムは殺すしかないことをわかっている。
 だから、あのヘルメットの下で必死に覚悟を決めているはずだ。

 馬輪原が別の触手を振り回した。
 それをタリムは回避……したはずが、足を取られた。
 斬り落とした触手がいつの間にか足に絡みついていたのだ。

 そして、足だけでなく両腕も絡めとられてしまった。


 僕は、馬輪原の全身を見た。
 瘤と触手が生えてはいるものの、それ以外は生身とあまり変わっていないように見える。
 おそらく、完全に融合する前だ。
 もし、瘤を精密なタリム砲で撃ち抜いて、全体を微弱なエネルギーで包めれば……。 
  
 僕は叫んだ。
「なんとか抜け出して胸元の瘤を狙え!その後弱めのエネルギーで全身を攻撃すれば元に戻せるかも!!」

 倒れている黒鵜先生が言った。
「馬鹿な……タリム砲は全身のエネルギーを放つ技……精密射撃は出来ん……。
瘤を潰せば融合は止まるが、微弱なエネルギーで攻撃する技など持っていない。
余計なことは考えず思考制御システムを使ってトドメを刺せ!!!」
『私は、もう思考制御システムは使わない。
自分の意志で戦って……倒す!!!』

 タリムは冷静さを失っていないようだ。
 一方で、馬輪原は嗜虐の笑みを浮かべていた。

≪スベスベだねえ……必死に嫌悪と羞恥に耐える姿……気に入った!前菜として食べてやる!!≫
『心を読めても相手のことを一切考えないヤツ!!!
……そうか。
相手のことを考えて……動きをよく見て……ダンスのように……』

 触手の表面から粘液が出て、煙を出していく……装甲やスーツを溶かしているようだ。
 さらに触手が伸びて、タリムの胴体に巻き付いていく。
 肌が露出した部分に火傷が。

≪わかってるぞぉ……貴様、必殺の一撃を狙っているな!!!
今の俺様は周囲の人間の微細な身体の変化から心を読み取れるからな!!
その技は高い集中力が必要!
こうして心を乱してやれば……くくくっ≫

 タリムにまとわりついた触手がうねうねと動いた。
 それでもタリムは微動だにしない。

≪ふぁあはははははあははっ!!!
最高だ!!!ぎゅげははははあっ!!≫

 あの野郎……っ!!!

 そのとき、風がふわりと舞った。
 そして気が付くとタリムの周りに風が集まってつむじ風のようになった。
 タリムの左手がタリム砲を撃つときのように光輝いている。
 
『天翔ける息吹よ』

 風と輝くエネルギーが入り混じり、タリムの全身を包むエネルギーの嵐になった。
 その嵐はタリムを拘束する触手を切り払った。

 黒鵜先生は驚いた。
「タリム砲のエネルギーを……風のような形状にして操った……?!
土壇場で新しい技を編み出したのか!!!」

≪おのれ、女体に気を取られた隙に攻撃とは卑劣なっ?!≫
『我が舞いに寄り添い』

 馬輪原の残り全ての触手がタリムに一斉に襲い掛かったが……
 タリムが空を舞うようにくるりと回ってそれを避けながら、触手を全て切り落とした。

『穢れを吹き払って!!!』

 ひらりと宙を舞ったタリムが、空中でタリム砲を構えた。


 まるでさっきの寅子のドッジボールのように空中で狙いを定め、放つ。
 それはいつものような圧倒的なエネルギーの嵐でなく、瘤の一点を狙った小規模な竜巻のドリル。

≪あばぁあああああああああああ~~~?!
馬鹿な馬鹿な馬鹿な……俺様は無敵の……っ?!≫

 竜巻は的確に瘤だけを抉り、竜巻の余波が馬輪原の全身を包み込んだ。
 馬輪原の切り落とされた触手と、バラバラになった瘤が灰になって消えた。

≪身体が……力が……消えていく?!嫌だああああーーーーーー!!!≫
 馬輪原はしぼんでガリガリに痩せた体になったが、生きている。

「やった!!これで変異体を殺さなくてもよくなったじゃないか!!!」
 黒鵜先生は首を横に振った。

「今回は完全に融合される前だっただけだ。
テンタクルズは宿主に”寄生”というより、”融合”して、身体の組成を変える。
完全にそうなってしまっては殺す以外道はない」
「……ん?その男は黒鵜先生がつまみ出した後にテンタクルズに取り付かれたってことですよね?」
「そうだな」
「それって……せいぜい二時間くらいの間にテンタクルズと遭遇して……?この辺に当たり前にいるもんなんですか?」
「テンタクルズの少数は融合する人間を探して街に潜伏していると判明しているが……短時間に遭遇する確率は低い。
でなければ、今頃街は変異体だらけだ」

 なにか、不自然だ。

「この男の治療は私にお任せください!!!」
 アズニャル博士が歩いてきた。

「アズニャル……」
 黒鵜先生が苦い顔をして言った。

「おや、なにか文句が?
私以外に誰に任せられると?
茨先生は通常の治療ならまだしも、変異体の構造については専門外……」
「わかっている」

 僕が疑問に思っていたことを言った。
「ところで。タリムは人前で戦って大丈夫なんですか?あのヘルメットがあるからって、体格や肌の色で正体がバレないとは……」

 博士は活き活きと説明し出した。

「んん~~!それなら心配には及びません!!
あのヘルメットは思考制御だけでなく、微量の電磁波を発して周囲の認識も歪める、認識阻害システムがあるのです!!」
「……と言うと?」
「あの子があの恰好で戦っていても、まるで当たり前の風景のように目立たず認識されづらくなります。
透明人間とまではいきませんが、極端に影が薄くて気づかれにくい人、みたいな感じです。
外見的特徴も後から思い出せないです。
まあ、物凄く意図的に特徴を覚えておこうとした場合はともかく。
私たちのように元から正体を知っていたり、最初のときの君のようにヘルメットを外した姿を見ている場合は例外ですけどね」

 なるほど。なら、正体についてはひとまず安心か。

「体育教師の馬輪原については大騒ぎになりそうなんですが……。
いきなり教師が触手の化け物になって暴れたんですから」
「それについては安心してください。
タリムさんの認知阻害システムと同じ技術を使った装置で、学校全体の認識を少しだけ変えます。
今日暴れたのは触手の化け物でも体育教師でもない、ただの見知らぬ不審者だとね」
「なるほど……。便利を通り越して恐ろしいですね」
「ははは、一つの認識をあまり不自然でない形ですり替えるくらいしか出来ませんよ。
集団洗脳みたいなことには使えません」

 ふと寅子のほうを見ると、タリムは黒鵜先生が持ってきた上着を寅子にかけてあげた。

「あなたは誰……
そんなになってまで。
どうして助けてくれたの?」

 タリムのスーツはボロボロで、あちこち火傷を負っていた。

『大したことじゃない。
私が出来ることをしただけ。
それじゃ』

 タリムは背を向けて去っていった。

「あれ、どこかで聞いたような……。
それに……どこか見覚えがあるような……
……尻……」

その後

 しばらくして。
 バラバラに逃げて行った生徒たちが、先生たちの誘導で体育館に集合した。
 点呼をして全員の無事を確認。
 教頭先生が長話を始めた。
 大事なところだけ要点をまとめると。
 急に学校に不審者が現われ、生徒たちを避難誘導したが、警察関係者が取り押さえてくれた。
 不審者は学校とは一切関係のない人物であり、校長先生はそれを止めるために名誉の負傷をされたが、幸い後遺症が残るほどでもない。
 ……みたいな話しだった。
 なお、馬輪原については何も言わなかったし、生徒たちも気にしていなかった。

「いやー、ちょっと色々覚悟したけど大丈夫だったわー。
タリムちゃんは平気だった?」
『うん、寅子ちゃんは……』
「私はかすり傷!ちょっと怖かったけど平気平気!」
『よかった!』

 タリムと寅子が話し始めた。
 君はあまり大丈夫じゃないだろ……今ジャージで隠してはいるが、あちこち火傷しているはずだ。

「勝負どころじゃなくなったね」
『あれは……あなたの勝ちです。どう見てもあなたが先にゴールするはずだった』
「いや、結局してない」
『でも……』
「それに、ヒロインの座に相応しいのは私じゃなくて、あの子でしょ!!
変な兜被った正義のヒロイン!!」
『……!!!
うん、そうだね!!』

 どうやら、直接助けられた寅子には機密天使の姿は記憶に残ったらしい。

「今度さ、よかったら二人でまたスポーツしようよ。
勝負とかじゃなくってさ」
『……!!!
も、もちろん!!
あ、あと、私……料理とか……教えて欲しい、な……』
「いいよー!」
『えへへ、なんか嬉しい……。
なんか、初めてお友達が出来そう』
「あん?何言ってんの。
もう私たち友達でしょ?」
『……』

 タリムは顔を拭った。

「え?え?泣いて……?!
ど、どうしちゃったの……」
『大丈夫。ただの嬉し泣き……』

 タリムにとっては七歳から今日までの間、友達は想像や漫画の存在でしかなかったんだろうな……。
 良かったな。
 ……あれ、初めてって、じゃあ僕は……?
 
「ええーーーっ?!
大袈裟すぎない?!」
『だって、凄く嬉しいんだもん』
「私も、嬉しい」

 タリムと寅子が笑った。
 二人はいい友達になれそうだ。

エピローグ

 全校集会が終わって教室に戻るとき、ふと気になったことをタリムに訊いてみた。
「あのさ、さっき初めての友達って」
『うん、夢だったんだ……七年間ずっと』
「あれ……僕は友達じゃないの?」

 タリムはキョトンとした顔をしてから言った。

『なんで私が君と友達なの?』
「おいっ?!」

 今更ショックなこと言うなよ……。

「じゃあ、今まで僕をなんだと思って……」
『馬鹿だなあ、友達と家族は違うでしょ。
それとも何?寅子ちゃんに私が取られるのが嫌なのかな〜?
だいたい君は他に友達いるのかな~?』

 コイツ……急に調子に乗りやがって。

「そんなんじゃねえよ、馬鹿」
『あ、今馬鹿って言った!馬鹿って言う方が……』
「先に言ったのはタリムだろ」
『そうだっけ?』
「あんたたち、何じゃれてんのよ~。私も混ぜなさいよー」

 寅子が後ろから僕とタリムに抱きついてきた。
 そして、タリムがぼそっと呟いた。

『乳圧』

 どこでそんな単語覚えて来たんだ……。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

その頃、機関

 黒鵜とアズニャルが話していた。

「最近、隕石落下地点から動きがなかったカーティス君が活動を再開した形跡がありますねぇ。
あなたの親友、元気そうですよ」

カーティスの映像


「余計なことは言うな。
シミュレートでは、今のタリムに勝ち目は……」
「勝率0.1%未満……現実的な勝ち目はないです。
このままだとタリムさんは殺され、終焉の王を止める手立ては消えます。
世界、滅びちゃいますねぇ。
どうします、黒鵜君」

 黒鵜は目を瞑り、無言で何かを考え込んだ。

「黒鵜君?なにかとっておきの策でもあるのですか?」

 黒鵜はしばらくして、答えた。
「守る」

 重い決意の表情で、前を見据えた。

第6.5話へ続く


あとがき

一話からだとかなりの量になりますが、ここまで読んで下さりありがとうございました。
全十三話予定なので次で丁度真ん中ですね。
次回以降、一気に運命が大きくドドドドっと動き出します。
乞うご期待!!
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