自己表現をする その1
ある時、友達が夜通し好きなジャンルについて熱心に考察しているのを聴いたときに思い浮かんだこと
自分の好きなことで様々な議論を繰り広げること
自分の考えたことをほぼ余すことなく、気心の知れた友達に伝えられること
は本当に素晴らしいことなのだと感じました。
また、加えて思ったことは
話をしている際の語彙が幅広く
今話題にしている事柄に関するあらゆる情報を集めてきており
かつそれをすぐに引き出せる状態にまで
昇華させていることにも驚きました。
それを踏まえて自分に
「全力で取り組んだり、これが好きである。
と呼べるものは1つでもあるだろうか?」
という疑問を投げかけることで
自分に置き換えを行ってみました。
そうするとよくよく考えてみたところ
一時的にやろうと決めて行ったことは幾つかあったが
途中で挫折してしまったか
熱意や興味が削がれたり、飽きたことで
取り組むことを辞めてしまったことがありました。
また、大好きなものは何かと問われると
正直答えに戸惑ってしまうのが現状です。
また何かのゲームのキャラクターや実際に存在するものなどで
自分の興味、関心を寄せるもの、いわゆる「推し」
というものが私には無いなと感じました。
色々情報を得ていく中で、興味を惹かれる部分があれば
他のものよりかは一時的に好きにはなりますが
大好きとまでは行かないことがほとんどです。
無理に推しを作る必要は無いと言われることもあるが
もしこれ関連の質問を聞かれた際に
その場ですぐ答えられないのも困りものだと感じました。
何故このような質問を自分に投げかけたかというと
自分でもはっきりとは分かっていませんが
自分の生きがいや
これについては自信があるといった
いわゆる「自分のアイデンティティ」
を見つけたいからだと思います。
今現在の私は以前よりかは周囲の事柄について許容できるようになってきてはいるのだが、いまいち自分がこれから向かう方向性を決めかねている
ように感じました。
これは前述した「推し」についてにも関わってきますが
「自分はこれから何をしたいか?」
を考えた際にパッと浮かばない
あっても少し得意な程度であり
自分でも中途半端であると感じています。
その道に進んでいいのかと不安を感じ
未だに決定的な一歩をしっかり踏み出していない状態
なのではないかと考えています。
ここで唐突ではありますが私の母から言われた言葉を
記憶を辿りながら、自分の中で咀嚼したものではありますが
紹介したいと思います。
「物事に全力で取り組んだことが無いということは
自分と向き合っていないということである。
そういう人は他の人に対しても同じように振舞っているし
自分の深い部分を知ってもらえることは無く
浅い部分でしか付き合えない。
結局は中途半端なものにしかならない。」
本来はもっと心に響く言葉なのですが
思い出しながら書いてしまったことで
所々、考え方を強制するかのような書き方となってしまいました。
すみません。
またこの続きとして
「何か1つでもいいからバカになって取り組んでみなさい」
と強く言われました。
この言葉を聴いたことで
今、目の前で行っていることに
全力で取り組もうと決心することが出来ました。
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