「私」を磨き、世界で戦う経理のプロに。未来を大きく広げた「個」を伸ばす環境


2002年、高崎商科短期大学(現・高崎商科大学短期大学部)から、1期生として高崎商科大学へ編入。2004年、大学卒業後に渡米し、アメリカの大学院で会計学の修士号を取得。その後、現地で就職しておよそ15年、ニューヨークで暮らしている浜名由起子さん。築き上げたキャリアの裏には、大学時代の学びと恩師との出会い、そして抱えていたコンプレックスに向き合った過去がありました。

プロフィール

浜名 由起子(はまな・ゆきこ)さん

高崎商科大学短期大学から高崎商科大学・旧流通情報学科へ編入し、2004年3月卒業。その後、アメリカの大学院にて会計学の修士号を取得。監査法人勤務を経て、現職の丸紅米国会社へ転職。金属資源部の営業経理課長として活躍中。



短大から4年制の大学へ編入。専門性を深め、憧れだった「経理」の道へ


取材はオンラインで行いました

現在、私は総合商社である丸紅米国会社のニューヨーク本店に勤務しています。アルミニウムや銅、鉄鋼原料などの資源、電子工業製品を扱う金属資源部に所属し、営業経理課長として、営業取引にかかわる経理業務や、管理業務を担当。日系企業なのですが、現地採用者も多く、さまざまな国籍や人種の同僚に囲まれて、英語と日本語を半々ぐらいの割合で使いながら仕事をしています。

私が入学した当時、高崎商科大学は短期大学だったのですが、新たに4年制の大学が設置されることを知り、その1期生として大学に編入しました。もともと、高校時代に簿記や情報処理を学んだ経験から、漠然と「将来は会計や経理の仕事をしたい」と思っていたため、大学で経営論や金融論などを学び、専門性を深められたことが強みとなって、現在のキャリアにつながる会計や経理の道がはっきりと自分の目標になりました。

数字は世界の共通語。経理なしでは、世界中どの会社も成り立ちません。「経理」というと、数字だけを追っているように思われがちですが、たくさんの人とかかわって、一つの目的に向かって力を合わせる場面が多い仕事です。プロジェクトを成功させて会社の成長に貢献できたり、上司や同僚、指導に当たっているスタッフから感謝されたりと、日々やりがいを感じています。責任者として私が堂々と立っていられるのは周りの人の支えのおかげだと、感謝しながら働くことができていることは、とても幸せですね。


日本人の母、アメリカ人の父を持つ宿命。英語への大きなコンプレックス


今でこそ英語を使ってアメリカで働いていますが、実は大学卒業後にアメリカに来るまで、全く英語が話せなかったんです。私は、母が日本人で、父がアメリカ人。でも、日本で生まれ育ったので、英語ができませんでした。外国人のような見た目でありながら日本語しか話せない。そのことで傷つくようなことを言われた経験もあります。小さいころからずっと、英語に大きなコンプレックスを抱えていたんです。

だから、私にとって、外国語を習得するための語学留学は、ライフプランの必須事項でした。本当は、短大を卒業してすぐ留学へと思っていたのですが、大学で専門的な学びを深めることも、きっと将来にとって良い選択になるはずだと考えて、高崎商科大学への編入を決意しました。そのときにとてもお世話になったのが、中村雅典先生(現・短期大学部 現代ビジネス学科長)です。中村先生には、二つの国籍を持っていることへの葛藤、英語に対するコンプレックスなど、悩みをたくさん聞いていただきました。そして、編入を後押ししてもらい、さらにその先の語学留学、留学後の進路についても相談に乗っていただきました。

中村先生は、「学校の先生になって、自分と同じようなコンプレックスや悩みを抱えた学生を支えてみては?」という将来像も提示してくれました。最終的には、会計や経理の道に進みたいという気持ちが強いことを自覚したのですが、中村先生からのアドバイスをはじめ、いろいろな選択肢があるのだとわかったからこそ、目標がはっきりと見えました。そして、単なる語学留学ではなく、会計・経理の道をより極めるため、アメリカで会計大学院へ入り、修士号を取ることが目標達成のためにすべきアクションだということもわかりました。

アメリカへ渡ってからは、1年ほどコミュニティカレッジに通い、英語を習得。その後、TOEFLを受けて、インターナショナル・スチューデント枠で大学院に入りました。短期間で英語を習得するのは大変でしたが、私には座学よりも現場で学ぶやり方が合っていたようです。同じ映画を字幕付きで何度も見たり、自分で単語帳をつくって持ち歩いたり、学校へ通う以外にも、いろんな努力をしました。英語はまだまだ完璧ではありません。しかし、アメリカの大学院で修士号を取れたことは、長年抱えていたコンプレックスの区切りになったと感じています。

みんなと同じレールに乗らなくていい。自分の個性を伸ばせた大学時代


アメリカに来るまで、私はとてもシャイで、引っ込み思案でした。一方で、興味のあることに対しては貪欲で、これと決めたら意志を持って突き進む一面がありました。そんな私にとって、「自主・自立」を掲げる高崎商科大学の雰囲気はとても合っていたように思います。今でこそ日本でも少しずつ、他人と同じでなくてもよいという文化が広がりつつありますが、それでもまだまだ、「これをするならこのレールに乗って」「横並びが安心」という考え方があるような気がしています。しかし、高崎商科大学には、当時から多様性を認めて伸ばそうとする風土が築かれていました。
良い意味で大学っぽくなくて、アットホームなのも良いところ。シャイな私が中村先生に悩みや進路を相談できたのも、大学として学生と教授の垣根を低くし、常に話しやすい関係性を保ってくれていたからこそ。また、当時は、渕上勇次郎先生(現 高崎商科大学・高崎商科大学短期大学部学長)のゼミに所属していたのですが、「自分のビジョンを大切に」という渕上先生の方針もあって、とても自由に学ばせていただきました。当時から社会でプロフェッショナルとして活躍したいという想いがあったので、自分がおもしろいと思ったことを深めて、専門性を高めていく、そんな大学生活を送れたことは今でも財産になっています。
将来を考えるときには、誰かと比較せず、「私」を大切にできる。そんな大学の雰囲気があったからこそ、私自身「出る杭は打たれてしまうけれど、いっそ出過ぎて打つことができないくらいになろう」と、個性を生かしてのびのびと楽しく学べた4年間でした。今でも、「仕事は与えられるものではなく、自ら取りにいくもの」という意識で働いているのですが、大学時代に触れた「自主・自立」の精神が、自然と根付いているのかもしれませんね。


無限の可能性を秘めている学生の皆さんへ。「個を生かし、大きな志で未来を築け」


私は決して優等生ではなく、人より努力しないとトップクラスの人とは肩を並べられない人間だと、自分でずっと思っています。それでも、きちんと将来を見据え、成長のために今何をすればいいかを考えながら、「ウサギとカメ」の"カメ"のように、コツコツと努力し続けました。好きなことや、達成したい目標に対してなら、意志を貫ける。それが私の個性。その個性を大学時代に伸ばせたからこそ、今があります。

在学中の学生さんや、高校生の皆さんのなかには、将来に不安を抱えている人もいるでしょう。でも、皆さんは無限の可能性のあるステージに立っています。小さな枠に収まらず、限られた価値観にとらわれず、自分自身が納得のいく目標を掲げてください。そして、目標達成に向かって、常に挑戦し続けること。幸いにも高崎商科大学には、個性を伸ばせる環境がありますから、「自分が正解だと思うことが正解だ」というくらいの強い気持ちで、今ある可能性を存分に発揮してほしいと思います。

現在は混沌とした状況下で、なかなか学校にも行けず、友達や先生にも会えない日が続いていると思います。しかし、マイナス面だけを見るのはやめましょう。社会に出たら、変化への対応力や柔軟性が求められる場面はたくさんあります。少し見方を変えてみて、ピンチをチャンスととらえ、今だからできること、この状況でもできることをしっかりと積み重ねていってください。ニューヨークから応援しています。



今回インタビューした教授


商学部 経営学科
浜名 由起子

浜名 由起子(はまな・ゆきこ):
高崎商科大学短期大学から高崎商科大学・旧流通情報学科へ編入し、2004年3月卒業。その後、アメリカの大学院にて会計学の修士号を取得。監査法人勤務を経て、現職の丸紅米国会社へ転職。金属資源部の営業経理課長として活躍中。


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