みどりのみずうみ
▼お題:「櫛」「約束」「クリームソーダ」
私は、とある町の夫婦のもとに生まれた。父は頑固者で、本の虫。母は優しくて、料理が世界一上手な人。慎ましやかな三人家族。よくある家庭の形に、よくある一人っ子の娘。両親の愛情を独り占めして大切に育てられた私は、反抗期になればそれこそ反抗期らしく、授業の一つもサボタージュしてみたものだけれど、思春期も終えてモラトリアム期に移行した今は、特筆して生活に不満があるわけでもなく、至って平々凡々な毎日を過ごしている。
ただ、ひとつだけ。ひとつだけ疎んじることがあるならば、私は自分の髪が好きじゃなかった。
「ねえ、あれが噂の……」
「同じ人間とは思えない」
「気味が悪い」
町を歩き、誰かとすれ違うたびに、潜めきられていない声が耳に届く。明らかな蔑みを含んだ視線の先は、私の頭部。腰まで伸びた、緑色。
私の髪の毛は、いかにも人工的な、悪目立ちする緑色をしていた。
この髪の色は、決して、親族からの遺伝によるものではない。まず、父の髪は、うんと苦いブラックコーヒーより深い黒色をしている。今は年のせいもあって白髪交じりとは言えども、それは硬質な輝きを含んだ黒である。母の髪は、上品な栗色。まるで甘いキャラメルみたいな。そんな、黒と栗色の組み合わせから、私のような緑髪の子どもなんてそうそう生まれるものではないし、そもそもこれは、世界単位で見ても稀な色をしている。
自分の髪が気になるようになったのは、家族以外の人間と関わるようになってからだった。幼稚園、小学校、中学校、高校。どのステージにおいても、入学式では会う人会う人にギョッとされ、教室に入れば小さな悲鳴、授業参観では父兄が遠慮なしに私を凝視し、周囲の生徒がようやく慣れて来たであろう卒業式では、証書を持った校長先生にやはり目を丸くされた。
今でこそ、他人の反応には慣れてしまったものの、やはりつらい時期もあった。あれはまだ髪も短い、小学校六年生の頃のこと。自分も周りも、心と体がひどく不安定だった頃。クラスメイトのストレスや暇つぶしのはけ口は何とも分かりやすく、私に向いたものだった。毎日のように続く侮蔑や嘲笑の表情、揶揄に耐えかね、ある時ついに母に泣きついたことがあった。理由も言わずただわんわん泣きじゃくる私に、初め母は驚きこそしたけれど、優しい彼女は温かな両の腕で私を包み込み、頭を撫でてくれたものだ。抱き寄せられた母の胸から響く心臓の音はやわらかくて、とても心地がよくて、私の涙はほどなく引いていった。
「だいじょうぶ?」
「うん」
「どうしたの、学校で何かあった?」
「……うん」
小さな私の消え入りそうな返事を聞いて、母はどこか、学校でのことを察したようだったけれど、ただ私の髪を指で梳きながら我が子の二の句を待った。
「あの、ね」
「うん?」
「私の髪のことね」
「うん」
「みんながばかにするの」
「……うん」
「今日なんかね、私はお父さんとお母さんの子じゃないって、クラスの子が言うんだよ」
母が息を飲む音がして、私は、なんだか怖かった。口に出した途端、一度引いた潮がまた押し寄せてきた。大好きなお父さんとお母さんと過ごした十数年を否定する残酷なクラスメイトの言葉は、疲弊していたところに深く突き刺さって、もう、心はずたずただった。言葉をまっすぐ受け取らず、歯牙にもかけないなんて選択肢は、あの時の私にはなかったのだ。両親を信じたい気持ちと、でももしかしたらという気持ちと、相反するそれらにぐらぐらとめまいがして、悲しくて、寂しくて、とにかく、不安だった。信じたい母の次の言葉さえ、聞くことを恐れた。
けれど母は、震える私を抱く腕の力をきゅっと強め、
「……そんなわけ、ないわ。あなたはお父さんとお母さんの間に生まれた、世界一可愛い、大事な大事な子よ」
優しい声で、そう言うのだった。先ほどと同じ拍子で私の耳を撫ぜる、母の胸の柔らかな鼓動が、その言葉のまことを物語っていた。心がすうっと、軽くなった。
そして、母は愛娘の頬を指でくすぐりながら、私の物心つく前のことを語った。
驚くべきことに、当時の私の髪は、父と母の髪色を足して二で割ったような、ココアに似た焦げ茶色だったという。それはそれはとても、綺麗な色で、たくさんの人から愛されていたと。
「町の外れの、ほら、森があるでしょう? あなたがまだこんな小さい頃にね、あの森に迷い込んでしまったことがあるの」
私の体躯を大げさに、小さく右手で表現した母によれば、私はある日、母の目を盗んで家を抜け出し、町の外れにある森へ一人で探検に訪れた。その森には町の人々もめったに近づくことは無くて、父も毎日のように「森は危ないから、大きくなるまで行っちゃあいけない」「絶対に一人で行っちゃだめだよ」と私を諭した。時には「指切りげんまん」と小指を絡めた約束までして、私を森から遠ざけた。しかし、天の邪鬼もいいところというか、それらの要因も相まって、幼子の森への興味はまるで竹のようにすくすくと育っていってしまい、結果的には大脱走劇を繰り広げることになった。そうして小さな勇者が果敢に進んだ深い深い森の奥、注意散漫な子どもは小さな湖に落ちてしまった。幸い湖は水深も浅く、季節は厳しい冬でもなかった。母の知らせを受けて飛んできた父の手によって、そう間もなく私は助けられたけれども、そのときには既に、私の髪はまるで湖の水のように、緑に染まっていたらしかった。
「お母さんがちゃんとあなたのことを見てあげられなかったから、ごめんね」
昔話を終え、母が少しだけ震えた声で、そう結んだ。見上げると、少し睫毛が濡れている。私は喉が詰まるような心地がした。ずっと己を責めていた、優しい、大好きな母をこれ以上傷付けたくなくて、私は、嘘をついた。
「お母さん! 私、私ね、このみどりが好き」
本当はちっとも好きじゃない。
「だって、綺麗な色だもの!」
<気味の悪い>緑色。
「私が悲しかったのは、お父さんとお母さんの子じゃないってクラスの子に言われたからなの。だからべつに、自分の髪の毛が嫌いなわけじゃないの」
これからも攻撃を受け続ける、大嫌いな髪の色だ。
「私、焦げ茶の髪だったって聞いて、うれしかった。だってお父さんとお母さんからもらった髪だってこと、わかったから……とにかく、お母さんのせいじゃない。泣かないで」
矢継ぎ早にそう告げると、母は涙を拭って、私の額にキスをした。
「そうね、ありがとう。ありがとうね」
「元気、でた?」
「ええ! お母さん、あなたみたいな娘を持って、幸せよ」
「私も、お母さんがお母さんで良かった!」
「ありがとう。……でもね、お母さんはあなたのその髪色、世界で一番、素敵だと思うのよ」
思えば、この時母は私の嘘に気付いていたのかもしれない。けれどやはり彼女は優しくて、それを今の今までずっと指摘しないのであった。私は、それ以降、両親の前で自分の髪色を嘆くことも他人の侮辱に打ちひしがれることもなくなって、私は髪を、伸ばし始めた。
***
時は流れ、私は大学生になった。今は故郷の町を離れて、一人暮らしをしている。他人がどう思おうが気にしないと決めてからは不思議なもので、それこそ初対面では驚かれるもののむしろそれがきっかけで仲良くなるなど、年を経るにつれ、そつなく人間関係を構築できるようになっていた。
こんな髪色をしているというのもあって、人一倍、髪の手入れには気を遣った。毎晩使っているシャンプーやコンディショナーも精査したものだし、お風呂上りも髪にスチームを当てた。日中は暇さえあれば、象牙の櫛で髪を梳かしたし、髪を縛るときもなるべくクセがつかないようにした。そんな努力の甲斐あって、私の髪は、友達の多くが悩むような静電気も枝毛も痛みも知らなかった。
ある日、大学の化粧室にて、髪を梳かそうとポーチを開けたところ、なんと、いつも愛用している櫛が見つからない。
「どうしたの?」
「ごめん、さっきの授業で櫛、置いてきちゃったみたい。先行っててくれる?」
「はあい、席、とっておくね」
隣でぽんぽんとパフをたたき、化粧を直している友達に断りを入れ、私は先ほど講義を受けていた教室へと向かった。
***
教室のドアを開ける。誰いないも部屋はしんと静まり返って、まるで冬の朝みたいだと思った。少し前まで座っていた窓際の席まで行くと、悲しきかな、象牙の櫛が無い。
「どうしよう……」
十五の誕生日に、父から贈られた立派な象牙の櫛。この六年間、まるでお守りみたいに持ち歩いていたし、無くすなんて考えてみたこともなかった。自分の半身を失った心地と言えば大げさだけれど、それにしてもかなり、ダメージが大きい。
ガックシと肩を落としていたそんな時、「あの……」と、後ろから声をかけられた。
「これ、あなたのでしょう?」
振り返ると、そこにはホットチョコみたいな、焦げ茶色の髪をした青年が立っていた。差し出された青年の手には、驚くことなかれ、私の象牙の櫛があった。青年は私の反応を見て、にっこり笑い、私の手をとって櫛をそこに置いた。
「そこに落ちていたから、拾っておいたんだ」
「ありがとう! これ、大事なもので」
「そうなんだ、綺麗な櫛だね」
「ええ、お気に入りなの」
不思議と、初めて会った気がしないような、ずっと近くに居たような、話していて懐かしい心地を感じた。そしてそれとは相反する形で、どこか違和感も覚えた。長年の生活の中で相次いで経験しいつしか慣れてしまった、諦めてしまった、お決まりのあの反応がこの青年には見られなかったのである。
「ねえ」
「え?」
「私の髪を見て、その」
「うん?」
「変だなあとか、思わないの?」
目をぱちくりさせ、青年は「別に変だとは、これっぽっちも思わないけれど」と、私が両親以外からもらったこともないような言葉を平気で紡ぐ。少しだけ、心臓が跳ねた。
「そうだね、あえて君の言葉を借りるなら」
「私の言葉?」
「そう、これはあの時君が僕にくれた言葉だけれどね」
「あの時って、いつ?」
「え! まさか、覚えていないの?」
「覚えていないって? というか、あなたそもそも誰なの?」
まるで話が見えなくて、私は子どもみたいに、質問ばかりを繰り返す。
「驚かないで聞いてほしいんだけど、僕が君に会うのは、これが初めてじゃないんだ」
「ちょっと、怖いわ。どういうことなの?」
「怖がらないで、思い出して。僕らは、そう、君がまだこんな小さい頃に、あの森の中で」
そう言うと、青年は私の体躯を大げさに、小さく右手で表現した。それはかつての、私が泣きついた時の母の姿と重なる。それと共に、ふとすればぱちんと、しゅわっと弾けてしまいそうな、一抹の淡い記憶が脳裏をかすめる。
森の奥、枯れかけの湖、視界いっぱいの緑色。
決して深くない水かさの中で見た、苦しそうな、悲しそうな、緑髪の男の人の姿。
思えば目の前の青年は、髪色こそ違えど、あの時見た男の人に、そっくりだった。
「『クリームソーダみたい!』」
「え?」
「君はあの時僕のことを見て、目をきらきらさせて、そう言っていた」
「そ、そうだっけ……?」
「僕は君に、幸せにしてもらったんだ」
***
今はもうとっくの昔、時効の話。この町は不幸が相次ぐ場所だった。誰も幸せになることができないところだった。ある時、町を治める偉い人たちの議会の場で、誰か一人の人間に不幸を被せれば、町は幸せになるのではないかという解釈が生まれた。議会ではもちろん、「非人道的だ」「倫理に反する」などと、まっとうな反対意見が根強かったらしいけれど、その機密解釈はどこから漏れたのか町の人々にも広がって、議会は民意を無視できる状況ではなくなっていた。不幸だった町はどんどん優しさを失って、より不幸になっていった。その負の流転を食い止めるため、とある青年に白羽の矢が立ったのだ。
その青年が、僕だった。その理由は簡単で、僕の髪が先天的に色素がこわれ、緑色をしていて、生まれてからずっと、町の人々から忌み嫌われていたからだった。僕は、嫌われても気味悪がられても、決して屈せず小さな幸せを探して生きようとしていたけれど、やはりあの町に生きていたからには絶対的に不幸で、運も何も持ち合わせていなかったのだった。今はもう失われた町の不幸を閉じ込めて、僕は生贄として森の奥の湖に祀られ、あの場所を司る所謂精霊だか神様のような存在になった。
僕にはそれから、かつて閉じ込められた町の不幸を少しずつ浄化する力が与えられ、そしてそれの行使によって湖の近くの樹木や動物たちを守る役目を担っていた。俗世間から離れて毎日綺麗なものに触れることは、僕には過ぎる幸せだった。
けれど長い長い歳月が流れ、僕を祀った人々は幸せの中でとうに命を終えて、僕のことを覚えているのは僕ただ一人になってしまった。森は育ちいっそう深く暗く茂っていき、町で幸せに生きる人々の足と気持ちはよりいっそう湖から遠のいた。一種の信仰を失った僕は力が弱まって、自分の中の不幸を幸せへとろ過することが叶わなくなっていた。僕の力が弱まるとともに、湖も次第に水嵩を失っていった。動植物の固体数も、かつてよりずっと減っていた。
ああ、僕は僕の中の不幸をなくせないまま、幸せになりきれないまま、ひとりぼっちのまま、死ぬのだ。そう思った。不幸を背負った僕はそれこそ人間としては一度死んでいたけれど、今一度、湖と共に死の淵に立っていた。
目を閉じて、湖の中、じっとその時を待っていると、小さな女の子の声が聞こえた。
「わあ、わあ~~~っ! きれいなみずうみ! まるでクリームソーダみたい!」
湖の淵で、少ない水を覗き込んでは大はしゃぎしていたその子は、はらはらした僕が「危ないよ」と声をかけるその前に、足を滑らせて湖に落下した。僕は慌てて、湖の緑色の水の中、ゆっくりと沈む、焦げ茶色の頭をした少女の身体を引き寄せた。少女は僕を見て不思議そうに首を傾げたかと思うと、にっこり笑って「味は、クリームソーダじゃないの」と、唇で舌をなめてそう言った。つられて僕も少し笑った。
僕は少女を湖から引き揚げて、湖の淵へと座らせた。それから話をした。誰かと話をするのは久しぶりで、うまく言葉が出なかったりした。けれど少女はとにもかくにも「うん、うん」と頷いて、僕の目をまっすぐ見て、ちゃんと話を聞いてくれた。聞き上手な優しい少女に、死の間際を感じていた僕は、僕が今こうして湖にいるわけを「今はもう、お笑い草なんだけれど」と、あまり深刻ではない風に話した。少女はやっぱり、僕の話にうんうん頷いてくれた。けれど、昔話を終えて彼女の顔を見ると、驚くべきことに、少女はその両目いっぱいから大粒の涙を流していた。
「おにいさん、ごめんね、ごめんなさい」
「君が謝る必要なんて、どこにもないんだ。僕は不幸だっただけなのだから」
「でも、」
「ありがとう、僕のために泣いてくれるなんて、君は優しい子だね」
「優しくなんかない! だって、私、ずっとおにいさんのこと、知らなかった。私はおにいさんをいっぱいいっぱい不幸にして、それでしあわせになってた」
「でもそれは、君のせいじゃない。仕方のないことなんだよ」
だからどうか、泣かないで。僕がそう言うと、少女は意を決したように、僕の両手を小さな手のひらで包みこんだ。
「私があなたをしあわせにする。約束する」
「え?」
「そのために、私があなたからもらったしあわせを、あなたに、あげるね」
そうして僕の手の甲にかわいらしいキスをして、「わたしが、あなたの不幸のもとをもらうね」と言って少女はとん、と軽くその手で僕を押し、僕は再び湖へと沈んだ。僕は何が何だかわからなくて、少女ともう一度会話がしたくて上から下へ水をかいたけれど、「いました! 私の娘です」と慌てた男性の声が聞こえて、僕はその手を止めた。
いつのまにか湖の水嵩は、再び昔の深さを取り戻していて。
いつのまにか僕の髪色は、少女とよく似た焦げ茶に染まっていた。
少女のキスをもらってから、僕はかつて弱っていた力を徐々に取り戻し、そして再び立ち直りを見せた湖近くの環境を、自分の内に眠る不幸を浄化することで守り、育てていた。俗世間から離れて毎日綺麗なものを慈しむことは、やはり、特別に幸せなことだった。
***
「君は、ずっと記憶を失って、何が何だかわからないまま、僕の不幸を肩代わりしてくれた」
「そう、だったんだ……」
「君が僕の不幸のもと……その髪をもらってくれて、僕に君の髪をくれたから、僕は生きながらえて、幸せになることが出来たんだよ」
あの時からだいぶ大人びた少女は、「そんな、でも」「こんなことって本当に」と言いながら、されどあの時と同じく「うん、うん」と頷いて、僕の目をまっすぐ見て。彼女は相も変わらず聞き上手な、ずっとずっと優しい女の子だった。
「僕はあれから長いことかけて、僕の中の不幸を森の恵みに代えてきた。もう湖も、僕がいなくても大丈夫だし、森がある限り、もうあの町も不幸にはならない」
そうして僕は彼女の手を取り、その悲願を告げる。
「僕は君に、幸せを返しに来ました」
「え……?」
「今までつらかったろうに。ごめんね。そしてありがとう。僕は、君から愛をもらって、幸せだった」
「……待って。まさか、ちょっと、待って!」
「ありがとう、愛してる」
そうして彼女のかわいらしい手の甲にキスをして、僕はとん、と軽くその手で少女を押した。
***
「だいじょうぶ? ねえ、しっかりして」
「うぅん……」
ずきずきと頭を襲う痛みに目を開けると、化粧を直したての友達が涙目で私の顔を覗き込んでいた。
「全然教室に来ないから、心配して見に来たの。そうしたらあんた、倒れてて。ねえ、だいじょうぶ?」
「……あの、男の人は……?」
「男の人? 私が来たときには誰もいなかったけど、それがどうかしたの?」
「そう、なんだ」
「髪もぐちゃぐちゃだし……まさか、その男の人と何かあった?」
「や、それはちがうけど! ……って、髪?」
はっとして自分の肩口のあたりを見てみると、私の髪は、焦げ茶色に染まっていた。かつての緑色なんて存在しなかったかのような、まるで自然な焦げ茶色。
「なんで、髪」
「髪がどうかしたの?」
「緑色だったはずなのに」
「? ずっとその色だったじゃない。何言ってるのよ、もう」
象牙の櫛で私の髪を整えながら、「ほんと、綺麗な髪なんだから」と、友達が羨ましげな調子で言う。途端、私は、「ああ、そういうことなんだ」と、事情を悟った。私の世界の成り立ちは彼に書き換えられ、私の髪がずっと焦げ茶色で、周囲の人間からずっと、愛されたものになったのだった。私は、幸せな気持ちと共に、なんだかとても悲しくて、苦しくて、やるせない思いがした。
「うーん、このままカフェでも行っちゃおうか」
「まだ授業中だよー?」
「だって、あんたがそんな顔、してるから! なんか奢ってあげるわよ」
友達の優しさに、嬉しくなる。けれど彼を思って、泣きたくなって、季節は寒い冬だったけれど、しゅわしゅわと爽やかに喉を焼いて、この悲しさを少しでも軽くしたくて、私は友達に甘えようと思った。
「私、クリームソーダがいちばんすきなんだ」
「あれ? そうだったっけ?」
「今日からそうなの」
「なあにそれ、変なの! じゃあ、行こっか」
からからと笑う友達の後をついて、私は頭の中で長期休みの予定を立てていた。故郷の町に帰って、お父さんの本を借りて、お母さんの料理を食べて、そして彼の作った森に行こう。
彼を幸せにするために、彼に会いに行こう。
そうして、伝えよう。「ありがとう、愛してる」と。