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変異したコロナウイルスは抗体と結婚し、リンパ球に侵入可能となる

mRNAワクチンを接種すると、ウイルス側は「変異」してワクチンの餌食にならぬよう進化します(当たり前ですよね)。mRNAワクチンは「武漢株」に対応したワクチン。でも、ウイルスは変異しますから、mRNAワクチン接種しても変異したウイルスには効果ありません。抗原原罪より、新しい変異株に対応したmRNAワクチン接種したとしても、誘導される中和抗体は「武漢株を中和する」抗体が誘導されるだけ。結果として、変異株のコロナウイルスに感染すると、変異したコロナウイルスが身体に侵入してきます。でもそれを中和する抗体は誘導されません。役に立たない抗体が体内に存在するため、変異したコロナウイルスは役たたず抗体と結合してしまい、その状態でリンパ球に感染するようになるわけです。こうしてリンパ球は数を減らし(破壊されてしまい)、免疫機能は弱くなってゆきます。HIVに感染して免疫低下し合併症を発症した後天性免疫不全症候群に似たような状態になってしまうという意味ですね。


タレントの梅宮アンナが1週間以上、謎の体調不良に襲われていることを報告した。  20日にSNSで「身体の異変は先週日曜日から始まって、、喉からでした。。最初は、風邪だなーって。そんな感じだったので特に気にしないでいました。イチニチ、二日が過ぎてジワジワと痛みは進行して、火曜日には頭や、身体中の節々が痛くなっていました」と書き出した。 【写真】しんどそう 布団にくるまる梅宮アンナ  「コレって一体なんだ?って 既に熱は38.5でした。。コロナ?いや、、インフルエンザ?何と言うか、、ミックスした感じ‍まさにホラーですよ」。以前、新型コロナウイルスに感染した際に診てもらった医師に連絡したという。  「ヘロヘロでしたが、クリニックへ向かい、コロナ検査、インフルエンザ検査をしましたが、両方とも陰性 えっ、、そんな事あるんだなーと。先生の判断は、無駄がなく、処置が速いのです。抗生物質、ビタミン、消炎剤を点滴をしてもらいました」と処置を丁寧に説明した。  梅宮は「咳、鼻水、頭痛、喉が燃える様に痛く、関節痛も酷かったので、、簡単に言うなら風邪なんですが、風邪にも種類がありますからね。今回の、私は喉、気管支を中心とした感染症と言っていた。咳が止まらないのです。喉も酷くて、息を吸うのも辛くて」と 「#喉が焼ける様に痛かった#身体中が痛くて#シャワー入るのが大変だった」  この日になって「中々体調が良くならずにいます」と改善していないことを報告。「今回の体調不良ですが、今まで経験した事がないモノです」「どう考えても、今回の体調異変は、いつもと違うからさ。。普通の風邪が長引いた話ではないのだから、、」「夜中になると、咳が止まらなくなって、、」と症状を訴えた。  続けて「今日、気管を広げる薬をやる事に。。新しい薬も出てウィルスとか、菌とかの話をもっとメディアがいち早く取り上げてくれたらなーと。切に想います。。。」と記し、「#謎のウィルス#謎の菌#久々にマスク生活#咳がとまらない#いつもと違う#気管がやられた」とも。  ベッドでつらそうにする自身や、点滴を打たれる腕の写真などの写真も公開。ネットに寄せられた中傷に怒りもあらわにした。

タレントの梅宮アンナ(51)が20日、自身のインスタグラムを更新。「免疫低下による感染症」で「ホラー」な体調不良だったことを明かした。

 梅宮は「皆様だいぶ回復致しました」と書き出し患者衣姿で点滴を受ける写真などを添え長文を投稿。「心配して頂きありがとうございました 免疫低下による感染症を起こしてしまいました」と近況をつづった。

 「まず、身体の異変は先週日曜日から始まって、、喉からでした。。」という梅宮は、「最初は、風邪だなーって。そんな感じだったので特に気にしないでいました。イチニチ、二日が過ぎてジワジワと痛みは進行して、火曜日には頭や、身体中の節々が痛くなっていました。コレって一体なんだ?って 既に熱は38.5でした。。コロナ?いや、、インフルエンザ?何と言うか、、ミックスした感じ まさにホラーですよ」と最悪だった体調を独特な表現で報告。コロナに感染した際に、母と自分を救ってくれたという信頼する医者に相談し「今回の、私は喉、気管支を中心とした感染症と言っていた」と病気の原因を突き止めたという。

 「咳が止まらないのです。喉も酷くて、息を吸うのも辛くて。コロナの時もそうでしたが、私の様に、じっとしていない人は、感染ルートなんてわからないですね 飛行機かなー、やはり、、疲れた身体の隙間に入り込んだウィルス。。うがいや、手洗い、消毒 今、あまりやっていなかったなーと反省」とコロナ禍以降の自身の行いを反省。先生のアドバイスで快方に向かい「点滴が本当にいいとつくづく思いました」と今回の感染症による体調不良を詳細に記した。

 約1週間ぶりとなる投稿に、フォロワーから「やはり大流行なんですね」「わたしも同じ症状でした、自然と治るのに2週間かかりました」「頼れる主治医が居るって本当に大切ですよね」「回復して良かった」などのコメントが寄せられた。

タレントの梅宮アンナ(50)が20日、自身のインスタグラムを更新。長女・百々果さんの留学先である米国から帰国の際、空港で必要書類でトラブルがあり、マイナンバーカードを所持していたことで助かったと報告した。

 現在、米国から日本に帰国する際には「有効なワクチン接種証明(3回以上の接種)を保持している場合は、出国前72時間以内の検査証明の提出が不要」とされている。梅宮が8月に米国に行った時には、出国前72時間以内のPCR検査の証明が必要だったが、今回は必要なくなったため「帰るの簡単簡単って喜んでいて、何にも考えずにカウンターに行ってチェックインへパスポートを出して ワクチン接種証明書を一緒に出したところまでは、よかった」という。

 梅宮は日本で3回ワクチンを接種していることから問題なしと思われたが、なぜか接種したのが2回になっており、「最悪は、空港の近くにある、pcr検査のスピード検査場があるのでそちらにと。。」という事態に「脇汗をかいて焦ってしまった 私、もしや帰れない?と。。」と焦った様子。

 だが、隣のカウンターにいた日本人から、マイナンバーカードを使用しての「接種証明書アプリ」を開き、設定を変えたところ3回目の証明書が出てきたという。梅宮は「嬉しかった!!本当によかった!!マイナンバーカードをキチンと作っていた事、それをアメリカにも持って行った事に、助けられてマイナンバーカードは大事ですね!!」とつづり、助けてくれた日本人に感謝した。

 だが、前回と今回で必要な証明書が違っていたことや、今回は入国の際アプリのダウンロードも必要なったりしたこともあり「高齢者には、まず難しい世界だなーと うちのクラウディアさん、まず無理ですね」と母親の名前を出し「私でさえ頭がくるくるだった」「アメリカに入る時なんて何にもないから本当に楽でした」とした。


コロナウイルス感染症とは直接的には関係ない、HIVの説明ですが、まあ読んでみましょう。

CD4ヘルパーT細胞は免疫の司令官とも言われ、様々な免疫細胞に、がん細胞やウイルス感染細胞に対する「攻撃始め」の指示を出します。CD4ヘルパーT細胞は主に2つの系統の戦い方を指示します。CD8キラーT細胞を始めナチュラルキラー(NK)細胞やマクロファージと呼ばれる異常細胞の直接攻撃を得意とする細胞を活性化し、細胞性免疫という戦い方を指揮するのが1型CD4ヘルパーT細胞であり、B細胞を刺激して抗体を産生させる液性免疫という戦い方を指揮するのが2型CD4ヘルパーT細胞です。主にこの2つの戦法を上手く組み合わせて効率よく異常細胞を排除することで、私達のからだは病原体の侵入やがんの発生から守られているのです。この免疫の司令官がいかに重要かということは、CD4ヘルパーT細胞が失われる病態で顕著に示されます。例えばHIV(エイズウイルス)はCD4ヘルパーT細胞に感染し、破壊することで全身の免疫不全を引き起こします。その結果、通常は致死的にならないような弱毒微生物のまん延を許し、患者を死に至らしめます。


HIVがCD4ヘルパーT細胞に感染してしまうと、ヘルパーT細胞が破壊されてしまいます。結果、免疫不全の状態に転落するので、細菌、ウイルスに感染すると致命傷となるわけですよね。

梅宮アンナさんの場合を考えてみましょう。彼女はmRNAワクチン3回接種歴あり。抗原原罪より彼女は、変異したコロナウイルスのスパイク蛋白を中和する中和抗体の誘導は、できません。変異株に感染し、体内にて役たたずの抗体と変異コロナウイルスが結合してしまい、ヘルパーT細胞を破壊する。結果として、免疫不全症候群の状態となり、目立つような細菌やウイルスに感染しているわけでもないのに、感染症状を呈するようになる。

今、国内には、この梅宮アンナさんのような「ワクチンを起因とする後天性の免疫不全症候群」のような状態になっている接種組が、とても多いような気がしますよ。


画像拝借


続報です 梅宮アンナ

【独占告白】梅宮アンナからメッセージ「私、7月31日に乳がん治療を始めました」


こんにちは、梅宮アンナです。
突然のご報告ですが、私は乳がんにり患しました。

「浸潤性小葉がん」という希少な組織型のがんで、部位は右乳房。ステージⅢA、右腋窩(えきか・わきの下)リンパ節転移があります。ホルモン受容体陽性、HER2陰性でした。

5月下旬に異変に気付き、6月中旬に検査、7月上旬にがんと診断され、詳しい病状が判明しました。そしていよいよ7月31日から、手術前に抗がん剤治療を行う「術前化学療法」をスタートしています。

まずは術前化学療法として「AC療法」、その後「パクリタキセル」を行っていきます。そして、手術を行うという予定です。すべて信頼できる医師たちとの二人三脚で、「標準治療」をメインに、いろいろな角度から病気と対峙していこうと考えています。

がんを宣告された瞬間、「やっと私の番がきたな」と感じている自分がいました

「アンちゃん、大丈夫?」とたくさんの声、本当にありがとう。でも、私は、これは自分に必要なことだと受け止めています。きっと、この病気にかかったことには意味がある。神様が、アンナ、おまえにはまだやることがあるんだよって言ってるんだろうって。だって、告知を受けて以来、いろいろなことの意味が、違った視点から理解できるようになったから。

「あなたはがんです」と言われた瞬間、いちばん最初に思ったのは、正直に言うと「やっと私の番がきたな」でした。

私は小さいときから梅宮家のみんなががんにかかるのを見て育ち、いつか遺伝で自分もがんになると思っていました。父、梅宮辰夫は36歳で肺がんになり、4年前に81歳で逝去するまでがんと一緒に生きました。父の2人の妹もそれぞれ大腸がん、乳がんにり患しました。

だから、がんを告知されたときもあまり驚きませんでした。

お医者様が何の前置きもなくさらりと「がんです」とおっしゃったので驚くタイミングを逃したのもあります。それよりも、その場に母も同席していたので、「母に直接聞かせたくなかった!」と感じました。怖くて右に座る彼女を見られず、「かわいそうなところに母、クラウディアさんを連れてきちゃったな、一人で来るべきだったな」と後悔していました。あとからクラウディアさんに「アンナがそういう感じでからっとしているから助かった。私だったら耐えられなかった」と言われて、少し心が軽くなりました。

とはいえ、すぐにがんを受け入れたわけではなくて。ずっとずっと泣いていました

そんな私も、告知を受けてから今日までの約1か月、ずっと元気だったわけではありません。やはり、がんという重い事実を受容するには段階がありました。

まず、告知から10日くらいはぼーっとしていました。そして、10日目くらいからでしょうか、突如として泣き始めたんです。

私、死んじゃうのかな。がんだって。死ぬよね。どうしよう。……抗がん剤? 髪の毛なくなっちゃうの? どうしよう。

ここで猛然とネットで検索を始めました。そして、「え、こんなふうに髪の毛がなくなるんだ」と強烈なショックを受けて。やっぱり治療やめようかな、このまま運命を受け止めようかなと思いました。毎日毎日泣いて、もうスーパーで玉ねぎを見ていてもスーっと涙が流れちゃうんです。起きて泣いて、寝て泣いて。

このころ、アメリカに住む友人に「私、がんなんだけど、もうこのまま治療もしなくていいかもって思ってて」と打ち明けたんです。そうしたら、その友人が猛然と怒り始めました。「ねえ、わかってる? あなた、百々果(ももか)ちゃんのお母さんだよね? 21歳で愛する母親が治療をあきらめて死んでいくのに直面する気持ちって考えたことある?」って。

いま60代の彼女は、長きにわたるがん闘病者です。彼女の言葉は誰よりも重い。このひとことでがらりと私の脳が切り変わったんです。

いえ、もしまだ百々果が小さければ、いっしょに暮らしていれば、こんなことを言われるまでもなく、私はまっすぐに彼女のために生きようとしたでしょう。でも、いま百々果はアメリカにいて、距離ができています。彼女が家を離れたことがあまりに悲しくて、私はなるべく彼女のことを忘れようと努力を続けて、やっと彼女の不在に慣れたところでした。そのせいで忘れていた大切なことを、パッと思い出せたのです。だめだ、私死んでいられない、がんばらなきゃ。

そこからすべてが動きだしました。誰に電話しよう、誰に伝えよう。自分の身の回りの大事だと思う人みんなに言わなきゃ、私はいまこうなっていますと教えなきゃ。同情してほしい、救ってほしいのではなくて、「私の未来がどうなるかわからない状況なのです、力を貸してください」って、急いでお伝えしなきゃって。

激動でした。いろいろな人に来る日も来る日もメールを送って、治療のための生活の準備をてきぱき整えて、隙間の時間で乳がんの書籍を何冊も読んでひたすら勉強して。自分が抗がん剤治療を始めたら必要になるものも調べて、手配しました。ウィッグ、まつげケア、眉毛のアート……何があるんだろう、どこに行けばいいんだろうって、調べながらすぐ動きました。ちなみに、ウィッグはさっそくお気に入りを手に入れています。私、JJの頃からこういうアイテムを探し出すのが大好きで、大得意でした。みなさんにもお店やアイテムを紹介していきたいなと思っています。

こうして病を得たことで、私はいちど立ち止まった。そして気づいた私の「本当の心」

思えば、宣告を受けた日の夜は、何年かぶりにぐっすり寝ました。不思議ですね、私、「これで休める」って思ったの。きっと内心、長年の芸能生活にいったんお休みをいただいて、私が新しく自分の道を進み始めるミッションの始まりなのだと気づいていたのだと思います。


父、梅宮辰夫が亡くなって約4年たちました。当初は相続に忙殺され、その後はお仕事として相続に関する発信を続けてきました。そんな中、やっぱり芸能界って私の身の丈に合っていないんじゃないかと改めて思っていて。人がやっていないこと、自分にしか体験できないことは何なのか、それを見出そうと必死で、正直言って毎日が楽しくなかった。もうこれで人生終わっちゃうのかな、インスタこそ楽しく配信しているけれど、そのほかは毎日がとっても空虚でした。長生きもしたくないな、母なんて自分でタクシーも呼べないけれど、きっと私も80歳になったらその時代のスマートデバイスなんて使えなくて、後れを取ってお荷物になって生きていくんだな。「長生きなんてしたくない」、普段からそう友人にも言っているくらいでした。


振り返ると、私は自分を芸能人だと思ったことがありませんでした。芸能人のみなさんってとんでもない才能を持つ人たちで、そんな中で私だけ分不相応にこの場にいる、私にはこの世界は向いていないといつも思っていましたし、それがいつでも自分に対する大きなプレッシャーでした。


いま毎日ぼーっとテレビを眺め、登場しているみなさんを尊敬の念をもって見つめています。ずっとずっと、背伸びをして、なんでもできるふりをしてニコニコしていました。「アンナちゃん、疲れてない?」って聞かれたら、どんなときでも「疲れてません!」とニコニコ答えます。芸能界ではどんなときでも疲れていないと言いなさいと教わったからです。そんな自分はもう、体力的にも演じ続けられない。


いま、私ははじめて立ち止まることができたように思います。これまでとにかく何もかもが忙しすぎました。ディナーのテーブルに最後までついていられることはまれで、次の予定ですと言われて席を立たなければなりませんでした。でも、病気がわかって、お仕事をいったんお休みさせていただいてからは、ひとつひとつのできごとを味わうようになりました。最後のコーヒーまでじっくり堪能してから席を立つようになると、景色ががらりと変わり、人生が楽しくなりました。いろいろなことのありがたみもわかるようになりました。嗅覚も味覚もこれまでとは違うんです、何を食べても最高においしい。誤解を恐れずに言うと、毎日が楽しいんです。


今日も母とマンゴーを食べて、こんなにおいしいの!って驚きました。恥ずかしながら、マンゴーに種があることを知りませんでした。フルーツも野菜も嫌いで食べてこなかったから。でも不思議と体が「いま食べるべきもの」を欲するようになり、生まれてはじめてこんなにたくさん食べています。キウイなんて食べたこともなかったけれど、健康にいいよと言われて食べてみたら、こんなにおいしいんだって感動して。大げさに思うかもしれませんが、泣いてしまいました。


クラウディアさんと「お昼はマックにしようか!」「いいね!」なんて笑っていると、こんなに時間がいっぱいあることに嬉しくなってしまいます。私は小学校、中学校のころからいつでも居場所がなかったけれど、いまひとつひとつそれを見つけ出している気持ちです。今回のできごとはこんな具合に、突然降ってきた「身の丈に合った自分の生き方を見つめ直す機会」なのだと捉えています。

私には「だいじょうぶだよ!」よりも、ちょっとだけ遠い未来の約束をしてほしいです

私がこれからどういう経過をたどるかを正直にお伝えしていくことで、結果的に同じようにがんにり患している誰かが救われたらいいなと思っています。私はもともと何かをするときの基準が「誰かの役に立てるか」でした。これはブレていません。どう心が動くのか、どういう現象が起きるのか、それにどう向き合っていくか、そういう姿をお伝えしていきたいと考えています。

そんな私が、いまひとつだけ思うこと。

がんは人の数だけ違う表情を持っています。ステージいくつだから大丈夫、私の友人は大丈夫だったから大丈夫ということは、やっぱり、ないんだよね。人それぞれなんです。

がんって、肉体的にも精神的にもすごくキツいのですが、とにかく闘病が長いんですね。この治療をしたらハイ消えますよという病気ではなく、次の日がどうなるかが誰にも見えないんです。ひとりずつ細胞も血液も違うので、同じ治療をしても先がどうなるのか、誰も答えを知らない。

勇気を出して告白します。がんですと伝えるとみんな「がんばって!」「だいじょうぶだよ!」って言ってくれます。その気持ちは本当にうれしい、感謝しています。なのですが、ごめんなさい、こんな気持ちになったのははじめてなのですが、実は受け取る私の側はだいじょうぶではなかった。

もしかしたら私もこれまで同じ思いを誰かにさせてきたのかもしれませんが、「だいじょうぶだよ!」という言葉からもとんでもないプレッシャーを受け取ってしまいました。笑顔でありがとうと返事はするけれど、じつは毎回毎回つらかった。毎日こんなに考えて、こんなに動いて、だいじょうぶかどうかを調べれば調べるほど「だいじょうぶ」なんてことは絶対ないという事実がどんどんわかっていくのに、これ以上その事実を直視しながらがんばれないのです。がんと診断されてはじめてわかった心の動きです。

だから、「がんばって!」「だいじょうぶだよ!」と言われるよりも、これからは「じゃあアンナちゃん、元気になって快気祝いにハワイでゴルフしよう」なんて、「ちょっとだけ遠い未来の約束」をしてもらえるのが、今の私にとってはちょうどいいです。ありがとう、聞いてくれて。

ここからお付き合いが深まるお友達と、疎遠になっていくお友達がいると思います。疎遠になるお友達はきっと「アンナちゃんをそっとしておいてあげよう」って思いやってくれているのだと思いますが、私はむしろ「アンちゃん元気~?」と連絡してきてほしいです。「アンちゃん、今日の体温は~? 微熱おさまった?」なんて。

同じように闘病するみなさん、支えているみなさんと、ゆるやかにつながっていきたいです!

インスタに掲載されているメールアドレスで連絡が取れます。メディアの皆さま、前向きに闘病をエンパワメントできる取材ならば、ぜひお声がけください。また、がん患者をエンパワメントする活動をなさっている皆さまともつながりたいです。

ここからは体調を見ながら、インスタの更新のほか、コメントをまとめて連載も続けていきたいと思っています。私、がんになったことで、幸せを見出す気、かましてます(笑)。ひとつの大きな病があることで、人生の本質に迫れる気がしていて。

がん1年生の梅宮アンナをどうぞよろしくお願いいたします。

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