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忘れられない4人の恩師

干支も5巡目に入り、6月で40代最後の1年を迎える。
大好きな音楽も、気付けば30数年続けている。
いや、楽器を持つ前には和太鼓をやっていたので、実質音楽との関わりは40年になろうとしているか。

人生の大半を音楽と共に過ごしていると、この世界でもたくさんの人のお世話になってきた。
自分にとって良い影響をくれる人もいれば、悪い影響をくれる人もいた。
それでも、そんな人たちをひっくるめて、今の自分を作り上げてくれた人であることに変わりはない。

そんな中であるが、
「この人と出会ってなければ、今の自分の音楽感は全く違ったものになっているだろう」
と思う人がいる。それも4人。
この人たちに出会えたことが、僕の人生の中で最高の出来事だと思っている。

僕に音楽の、楽器を吹くことの楽しさを教えてくれた、中学時代の部活顧問のT先生。
T先生の合奏はいつも楽しく、時に厳しく、常に僕らを見ていてくれた。
放課後の校舎見回りがT先生の日は、いつもクラリネットの音が聞こえた。
T先生は見回りをしながら、ロングトーンやスケール練習をしていた。
T先生のクラリネットの音は、とても優しく温かかった。
楽器は違えど、あんな音が出したいと思った。
僕はT先生が大好きだった。

同じく中学の部活顧問のS先生。3年生になってから転勤で来られた先生はテューバ奏者だった。
新聞でS先生が転勤で自分の学校に来られると知ったすぐ後に、先生のソロリサイタルを聴きに行った。
たまたまこのタイミングになったようだが、自分の学校に来る先生はどんな人だろうと言う興味もあった。
S先生のテューバの音に衝撃を受けた。
その時の自分では表現できるほどの語彙力を持っていなかった。
艶やかで、響き豊かで、芳醇で、それでいて芯のある音。
この時に聴いた音は今でも忘れない。
この出会いがあったからこそ、今でもテューバを吹いている。

3人目は高校時代の部活顧問のO先生。
3年間、本当に自由にやらせてもらった。
やりたいことがあって相談すると、
「あんたやちの好きにしないや。」
と無責任とも受け取れる言葉を言って背中を押してくれる。
でも、問題が起きて僕らでは解決できない時は
「あとはわしがしとく」
と言って責任をとってくれた。
この3年間は本当に色々な経験をさせてもらった。

4人目は社会人になってからお世話になった打楽器のSさん。
高校時代に顧問の先生を通して知り合った。
SさんはO先生の前任校時代の教え子で、その高校のOBバンドの指揮者だった。
そのOBバンドはとても独特の演奏スタイルをしていて、僕はそのバンドにとても憧れを抱いていた。しかし、OBではないので入団はできない。
幸いSさんは掛け持ちで、コンクールに出ない一般バンドの指揮者もしており、僕は高校卒業と同時にそのバンドに入った。
Sさんにベッタリとくっつき、時には父親のように、時には兄貴のように、時には親友のように、音楽のこと、私生活のこと、たくさん話をした。
Sさんとは干支がちょうど一回り違ったが、中学が同じ中学で、高校時代の恩師も同じO先生と言うこともあり、とても可愛がってもらった。
この人との出会いがあったからこそ、今の自分の音楽に対する考え方が出来上がった。

今ではSさん、O先生のお二人は旅立たれてしまった。
でも、僕の心の中では教えがずっと生きている。

昨年の夏、S先生が久しぶりにリサイタルを開かれたので聴きに伺った。
なかなか練習ができないとおっしゃっておられたが、やはり圧巻の演奏だった。
コロナ禍ということでご挨拶を遠慮させていただき、SNSを通じて感想をお伝えした。
「お互い好きな道です、楽しみながら演奏しましょう」
とお返事いただき、S先生の音楽の根っこを感じた気がして嬉しかった。

T先生は今では違う道を歩まれ、その道のスペシャリストとして活躍されている。
6〜7年前に機会があり久しぶりにお会いした。
幸い色々なイベントに出展されているので、今年は機会を作って会いに行こうと思っている。

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