新しい靴
頭の中のモヤが晴れない
思っていることがある
それを書き出そうと思う
言葉
店長に昇格した。
けどわたしは「店長」という新しく渡された“靴”を履けないでいる。そもそも、履こうともしていなくて、ただ目の前に渡されたそれを、呆然と眺めている。眺めて、無視して、また眺める。そんな感じ。
でも現実世界では、わたしは「てんちょう」
「てんちょう!」
「テンチョウ!」
「テンチヨウ」
言葉を「音」として捉えることができる私は、これらの言葉を自分ごととして受け止めきれなくて。他人事みたく聞こえる。
それが発せられるたびに、
そうか、店長はわたしか。
わたしは店長か。
店長か。
そうやって毎回、自分に言い聞かせる。
みんなには店長という靴を履いたわたしが見えている。けど、実のところわたしは、それを履いておらず、目を背けている。
自分で選択したことなのに、
その選択を引き受けれないのは、
なぜ?
まわりの店長をみると、わたしが見える範囲での店長の暮らしは以下の通りだ。
・休日の中に「仕事」が侵入
・残業が当たり前
・クレーム対応を任せられる
下の2つは、経験済み。
でも1番上は未経験。
この未経験の「仕事」をわたしはきっと恐れている。職場から離れたら、もう仕事はおわり。そんなスタイルで生きてきたからか、私生活に仕事が食い込んでくることが「異物」のように思えてしまう。
LINEワークスという仕事用の連絡網をいただいたけど、それを自分のスマホにインストールすることを躊躇している。それはすなわち責任放棄。まぁ電話番号は店舗に置いてるし、何かあればかかってくるのだろうけど…
でも、わたしは先に私生活の中に「仕事」が侵入してくることを「異物」と比喩したが、別の言葉でも言い換えられる。
それは「イベント」だ。
わたしは私生活に仕事が舞い込んでくることを経験したことがない。だから極端に怖がってる。なので、それをポジティブに考えて、「イベント」「行事」のような楽しくワクワクすることに置き換えたらどうか?
そう思うポジティブシンキングなもう1人の自分がいる。はぁ、こういう時、ネガティブなままだったら即やめることができるだろうに。それを許してくれない、やけに明るい自分がいる。それが私か。
どうしようか。
こんなことが頭でぐるぐる。
ぐるぐるぐるぐる。
自分の立場を受け入れて、新しい靴を履くことができずにいるわたしの備忘録。新しい靴。その横に体育座りをしている。
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