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日本のボーナスの始まりは?

冬のボーナスは?

2024年12月10日に国家公務員の賞与が支給されました。
今年は、増額傾向にあります。
ボーナスが支給されて嬉しい一方で・・・社会保険料を引かれるのが高すぎるとSNSで不満爆発させる人々も
嬉しい&悲しいボーナスでありますが!

今回は、
ボーナスの起源は?
ボーナスがどのように生まれ、変化してきたの?
に迫ります。



賞与のルーツ:江戸時代の「餅代」

 ボーナスの起源は、江戸時代の商家や職人の風習にさかのぼります。
当時、年末になると主人が番頭や手代に「餅代」という名目でお金を渡していました。
また、住み込みの若い働き手には、お正月やお盆に帰省のための衣服やお小遣いが支給されていました。
この「餅代」や小遣いが、今のボーナスの始まりとされています。

さらに、奈良県で発掘された7世紀後半の木簡には、役人が仕事の評価によって「季禄(きろく)」と呼ばれる物資を支給されていた記録が残っています。これは“現物支給の賞与”ともいえるものです。


明治時代の近代的なボーナス

 明治時代になると、産業が発展し、賞与が現在の形に近づいていきます。明治9年(1876年)、郵便汽船三菱会社が功績を労うため、働く全員にボーナスを支給したのが日本初の賞与とされています。その後、明治21年(1888年)には、毎年支給される制度として定着しました。

 建設業界でも同様に賞与が始まりました。
たとえば、鹿島組では明治21年に初めて記録に残る賞与が支給されました。当時は「功労金」として過去の成果を評価し、金額が決まっていました。
その後、翌年の成果を労う形式に変わり、現在の賞与制度に近い形が作られていきます。


昭和時代の制度化と変化

 昭和時代には賞与がさらに進化します。昭和15年(1940年)からは、年に2回(夏と冬)支給されるようになり、今の「夏のボーナス」と「年末のボーナス」に近い形が整いました。このような変化を経て、昭和32年(1957年)には現在の名称が定着します。


まとめ

 ボーナスは、長い年月をかけて「餅代」から進化を遂げ、現在では企業文化や働く人々のモチベーションに欠かせないものとなりました。
そのルーツをたどると、古くから日本人が働く人を労い、感謝を表す文化を大切にしてきたことがわかります。


参考文献
鹿島の奇跡「第6回 賞与の始まり


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