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徳川家康が詐称した家系図
征夷大将軍になるための裏工作
織田信長が基礎を築き、豊臣秀吉が完成させた天下統一。
その後、豊臣秀吉の死後に混乱を招き、1600年関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は江戸幕府を開きました。
しかし、征夷大将軍になるために、家康の裏工作があったのです。
今回は、
・征夷大将軍になるための条件
・家康の先祖
を取り上げていきます
将軍職と「河内源氏」の条件
征夷大将軍という官職には、「河内源氏」の血筋であることが必要という不文律が室町時代に定められていました。
河内源氏は第56代清和天皇に始まり、鎌倉幕府を開いた源頼朝や、室町幕府の足利氏、新田氏などがこれに属します。
戦国大名では武田信玄の家系がその例です。
将軍職を得るには、この血筋を証明することが必要でした。
家康の本来の血筋
家康の本来の姓は松平で、家系は8代前の松平親氏から始まります。
徳川家の公式記録では、親氏は群馬県太田市にある新田郡得川郷の出身で、新田氏の傍系とされています。親氏は足利氏の迫害を逃れて諸国を巡り、愛知県豊田市の長者である松平信重の婿養子となったと伝えられています。
後に家康が「徳川」と改めた姓は、親氏の出身地「得川郷」に由来するとされています。
血統の話が作られた背景
しかし、この「新田氏の傍系」という話が語られ始めたのは、関ヶ原の戦いに勝利した後の慶長7年(1602年)、家康が将軍職に就任する直前でした。それ以前、親氏の出身地や血筋については特に明確にされていません。
将軍職が現実のものとなった段階で、この話が整えられたと考えられます。当時の政治では、将軍にふさわしい血筋であることが絶対条件だったため、家康がこのような対策を取ったのは、正当性を得るための合理的な判断だったと言えます。
あとがき
徳川家康は戦場だけでなく政治の面でも抜群の戦略家でした。
血統の物語を整えることで正当な将軍としての地位を確立し、約260年続く江戸時代の平和を築いたのです。