見出し画像

失敗も成功も、経験した全てが大切な宝物となるように/フリーアナウンサー 香坂あかね

東北芸術工科大学校友会・リレーインタビュー「TUAD OB/G Baton」(ティーユーエーディー・オージー・オービー・バトン)では卒業生が日々歩まれてきた人生をインタビューと年表でご紹介します。

第5回目は、フリーアナウンサーとして活動されている香坂(こうさか)あかねさんです。芸術学部美術科日本画コースに1995年に入学しました。

きっかけはあの有名プロデューサーの歌、アナウンサーの道へ

香坂さんの芸工大当時の生活はどのようなものでしたか?

日中は授業と制作、夕方からはアルバイト、そして大学に戻って深夜までまた制作。日本画の画材は高額なので、その制作費を稼ぐためにアルバイトを幾つも掛け持ちしていました。とにかく「毎日が忙しかった!」という学生時代でした。

でもそうした物理的・時間的忙しさの中で、制作や将来のことを悩み、焦り、考え、自分と目いっぱい向き合った貴重な時間でもあります。

アトリエ脇で花火をしたり、日本画の画材の一つ「膠(にかわ)」を溶かす電熱機で、「おでん」を温めて食べたり(笑)。楽しかったことも、失敗も、悩みも、大学時代に経験したすべてが今は宝物です。

アナウンサーになったきっかけと現在の活動を教えてください。

学生時代に、新聞社の挿絵のアルバイトをしていたことと、NHKの番組※に出演したことがきっかけで、放送・マスコミ業界に入りました。12年間 株式会社山形テレビに勤務しましたが、退社してフリーランスでの活動を開始し、現在9年目です。アナウンサーになりたての頃は芸術とは全く違う世界に戸惑いもありましたが、今まで出会ったことのない人や物、事を知ることが喜び・原動力となり、今も、アナウンサーを続けています。

写真2-2

アナウンサー業で大切にしていることはありますか?

イベントの司会・CMのナレーション・リポーター・ラジオなど、「お声掛け頂いたお仕事は何でも!」という姿勢を大切にしています。そして自分の発する言葉に責任があるという自覚を、決して忘れてはいけないという意味でいつも心に留めているのは、「慣れすぎない」「公平に」「思いを大切にする」ということです。

―主観的な発言にならないように気をつけるためには、相当の配慮が必要そうですね。

まだ新人だった頃に、「きょうは晴れて良いお天気になりました」とコメントした際、先輩アナウンサーに「晴れると良い天気ですか?雨を喜ぶ人もいますよ」と諭されたことがあります。「きょうは爽やかな晴天となりました」と伝えるのがあなたの役目。「良いか・悪いか」ではなく「客観性」を持って、「何を伝えるべきかを考え抜くこと」が大切だと教えられました。

自分の発する何気ない言葉が、誰かを傷つけてはいないか。コロナ禍、今まで以上に温かみと思いやりのある言葉を忘れないようにしたいと思っています。

写真3-2

両親を巻き込んで、店主お任せスタイルの百酒庵「くじまで」を開店。

アナウンサー業と並行して、飲食店も経営されていたのですね。どんなきっかけで始めることに?

テレビ局を退社した時は、やや燃え尽き症候群のような感じで、少しずつアナウンサーのお仕事をしながら自分を見つめる時間を作ろうと考えていました。ところが、そうとはいかず・・(笑)山形市内で飲食店を営む、芸工大卒業の先輩から「自分が始める予定だったお店をやってみないか」とお声掛け頂き・・今まで経験したことのない事に挑戦してみるのも良いかもしれないと一念発起。

料理上手だった父と、さらにそれを手伝うかたちで母をも巻き込み、60歳過ぎの両親と共に始めたのが百酒庵「くじまで」です。メニューは一切なく、お酒もお料理もその日のお任せのみ。お客様のお腹の空き具合に合わせて食事とお酒を楽しんでいただくスタイルです。山形は米処であり酒処。そこで、日本酒に特化しようと思いました。

お酒は、私が美味しいと感じた銘柄を気まぐれで入れ替え。たくさんの銘柄を味わえるという意味を込め百の酒を味わえる庵で「百酒庵」、「くじまで」はアナウンサー業もあるので深夜に及ぶ営業が難しい、午後9時で閉店したいという、私の何とも身勝手な思いを店名にしました(笑)

写真6-2

写真7-2

―運営されていたときは、どんな苦労や喜びがありましたか?

対面のカウンター席がメインで、お客様にお酒の説明が必須なので、日本酒を製造工程から学びました。同じ銘柄でも1本ずつ必ず味わいを確認。日本酒は風味が変わりやすいので、お客様にお出しするお酒は毎日必ずテイスティングを行っていました。また、人気の銘柄は入手が難しく、県外の酒屋さんを幾つも回りルートを確保したりもしました。

情報の精度を上げて、分かりやすく、正しく伝えたいという一種のアナウンサー魂を感じます!

満足いく銘柄を揃えるのにも苦労しました。手数がかかり非効率ではありますが、他人任せではなく酒蔵・酒屋さんの思いを、直接足を運んで伺うことで、酔うためではなく、味わうための美味しいお酒を届けたいという思いが強くなっていきました。

対面・お勧めのみのメニューにしたことで、お客様との会話が生まれ楽しいひと時に・・。くじまでの「空間・時間」を楽しんで頂いているのを見るのが何よりの喜びとやりがいでした。

自分クロニクル_香坂あかねさん2

時を経て、”友達になれない(なってはいけない)存在”が”人生のパートナー”に!

芸工大時代の同級生だった黒木さんとご結婚されていますが、どのような出会いをしたのですか?

学生の頃、共通の授業を通じて友人になりました。学生当時の黒木さんは、革のパンツに金髪。耳に幾つものピアス・・という何ともいかつい風貌で「この人とは友達になれない」、むしろ学科の友人からは「友達になってはいけない」と言われていました(笑)

でも、何だか気が合って一緒に居ると心地良く、楽しいという感じで・・。学生時代から社会人まで数年間お付き合いし、その後10年ほど再び友人に戻った期間もありましたが、離れていた時も、不思議と音信不通になることはなく、良き理解者であり親友でした。アナウンサーに挑戦する時も、飲食店にチャレンジする時もいつも変わらず傍らで応援してくれたのが彼でした。そして「くじまで」休業をきっかけに結婚することになり、人生のパートナーとなりました。

写真5-2

現在はどんな日々をすごされていますか?

黒木さんというパートナーを得て仕事や生活に安定感が生まれ、以前は忙し過ぎて気がつかなかった小さな楽しみをたくさん感じられるようになりました。お気に入りの器を探すとか、美味しいコーヒーを買いにいくとか。テレビ局に勤務していた頃は毎日が忙しく、日常を楽しむ余裕も時間もなかったのですが、今ようやく学生時代に感じていた物づくりへの興味や関心が蘇ってきた気がします。

―少し余裕のある日々の中で戻りつつある感覚で、今、気になっていることはありますか

ステイホーム中の新たな楽しみとして、最近、「クラウドファンディング」が気になっています。デザイン性豊かなTシャツ、お菓子のおまけなど、アイディアが一杯の場所です。イベントの開催が軒並み中止、規模縮小を余儀なくされる中で、アナウンス業もキャンセルが相次いで厳しい状況ですが、コロナ禍でもたくましく踏ん張っているそうした人たちに励まされています。

あとは、体力が気になる歳になりました(笑)。いざという時に、バテない体づくり、体力強化のために、さしあたってウォーキングを始めました。

現在コロナ禍の影響もありお仕事は様子をみながらやっている状況ですが、また何かに挑戦したいと思っています。しっかり体調と気力を整え、再び訪れるであろう怒涛の日々へ向けて準備中です。

今、挑戦したいと思っていることはありますか?

多くの人とつながって世界観を広げていきたいという思いがあり、言葉の表現力をもっと身につけたいと思っています。「山形国際ドキュメンタリー映画祭」で司会を務めさせて頂く度に、海外から訪れる方々と会話する貴重な機会を逃しているので、会社員時代に断念した英語にもう一度挑戦してみたいです。

写真4-2

最後に、東北芸術工科大学で学ぶ在学生のみなさんへ、メッセージをお願いします。

何でもいいから、「好き」という気持ちだけは大切にして下さい。今は自覚がなくても、大学で過ごす時間や学び、くだらないと思うような小さな経験も、人生においてはかけがえのない肥しです。たくさん泣いて笑って、そして、何より臆せず失敗して下さい。失敗は何より、成功の基です。

■お仕事のご依頼・お問い合わせ先:mame_k1108@ybb.ne.jp

編集後記

「フラットな目で、言葉に優しさを添えられる人」
香坂さんは校友会理事のお1人でもあります。
理事会の話し合いがどんなに混線しようとも全体を見回し、出た意見にきちんと耳を傾けた上で、自身の考えや思いを、丁寧に言葉を選び、わかりやすく表現することに気を配る香坂さんに、私はいつも救われています。

”香坂さん=芸工大卒≠アナウンサー”だった私は、このインタビューで香坂さんがアナウンサーとなった経緯を知り、「芸工大卒業生のフリーアナウンサー・香坂あかね」の謎が一つ解けたようなスッキリ感があります。

自分の先輩にあたる方が、これからまだまだ挑戦したい!という気持ちをもって社会で活躍されていることは、とてつもない励みです。年齢を重ねるごとに自分自身で制限をかける癖のついてしまった私にも「まだ挑戦したい!」、という気持ちがあることに改めて気づくことができました。

理事会での姿、黒木あるじさんとのご関係もそうですが、物事に対しても、人に対しても、内側(本質)を知るために真っ直ぐに向き合っている香坂さんは本当に素敵な方です。

校友会事務局 カンノ(デザイン工学部生産デザイン学科 卒業)
取材・編集協力:東北芸術工科大学企画広報課 樋口雅子

フリーアナウンサー・香坂あかねさんからのバトンを怪談作家・黒木あるじ(くろき・あるじ)さんにつなぎます。

『金髪の文学青年』
見事な金髪。ぴちぴちの革パンに厚底靴、おまけに耳と唇には複数のピアスとイヤーカフ。「俺にかまうな、痛い目をみるぜ!!」と強烈なオーラで周囲を威嚇する「尖った青年」。それが、彼の学生時代の第一印象です。

演習が一緒だったこともあり、時折言葉を交わすようになったころ、彼が1冊の本を貸してくれました。やや色褪せた古い単行本。ページをめくると所々に赤線が引いてあって、それはもう熱心に読み込んだ跡が残されていました。こんな風に本を読む人もいるのかと大そう驚き、また彼の以外な一面に密かに感心しました。いつか物書きの道に進む人にかもしれないと予感させる「何か」を、当時から持っていた気がします。とにかく「本が好き」、「本をたくさんの人に届けたい」という思いを長年大切にしてきた結果、彼は本当に小説家になりました。

多感な学生時代と多くの社会経験を経て、今は母校の教壇にも立っています。これから彼がどんな言葉を紡ぎ、どんな作品を生み出していくのか、今度は私が赤線を引きながら読んでいきたいと思います。[フリーアナウンサー・香坂あかね]

いいなと思ったら応援しよう!