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「線路に降りる人が現れない社会」に対する反論

最強寒波が襲来した今月24日、JR西日本ではポイント故障の影響により列車が最長で10時間立ち往生し大混乱となったようだ。

 24日夜からJR京都線などで、雪によるポイントの故障が発生、列車が線路上で動けなくなって、乗客が最大10時間近く車内に閉じ込められていました。  JR西日本は、会見の冒頭で、「長時間にわたり車内でお待ちいただいたことをお詫び申し上げます」と謝罪しました。JR京都線などで、合わせて18本の列車が線路上で動けなくなり、乗客が長時間にわたって車内に閉じ込められたことについては、「夜間に雪が降る中で、乗客に列車から降りてもらうことに躊躇し、判断に時間がかかった」と話しました。

「ただいま降りていただく際には、恐れ入りますが自己責任でのご案内となります。JRによるホテルの案内はございません。お客様ご自身でこの後の行動をされる場合は降車のご案内があります」

この件に対し島本氏と白饅頭氏が意見を述べたのだが、これがちょっとした騒動になった。

以下は主なツイートの内容。


要するに、

・列車が長時間立往生したのに誰も線路に降りようとしない、皆あまりにも言う通りにし過ぎで、そんな社会で大丈夫か?

と島本氏と白饅頭氏が日本社会の問題という観点で発言したのに対し、

・下手に線路に降りて事故に遭遇したらどうするんだ、被害が拡大したらどうするんだ、過去にはそれで大惨事になった事例もある!

と批判者側が線路を降りた際のリスクという観点で反論したた為、個人的な両氏の意見に過ぎないものが拗れてしまったのである。

・それは違うぞ


で、筆者がどう思ったかなのだが、正直に言うと自分も両氏の意見に対しては否定的である。

なぜなら、両氏の言う通り線路を降りて歩く人が現れる社会になったとしても、碌な社会にはならないと考えるからである。

鉄道会社、旅客の双方からその点について解説していく。


・鉄道会社


筆者は鉄道ファンの一人でありつつ、実際に鉄道の現業で働いている立場でもある。

鉄道会社に入社して最も重視すべきと教わる事柄が何かと言えば、「安全」だ。とにかく一に安全、二に安全、安全を損なうような事柄だけは絶対にするなと教わる。

理由は言うまでもなく、安全が損なわれて事故が起きればとてつもない被害が及ぶからである。旅客はもちろんの事、職員にとっても死、もしくは職務に付けないほどの障害を負うリスクが鉄道に関する事故では多い。

今回のように旅客が勝手に線路を降りて歩き始めるとなると、対向列車に轢かれたり、架線に触れて感電する、側溝などに転落して怪我をするといったリスクが存在する。実際過去にはそれで大事故が起きた。


24日当時は大雪とそれによる運行ダイヤの乱れでJR西日本の指令や現場は大混乱であったことは想像に難くない。そういった状況で下手に乗客に線路を歩かせて、万が一にも犠牲者や負傷者が出れば問答無用でJRの責任になる。「自己判断で線路を歩いた」という言い訳は通用しない。

鉄道に対する信用は損なわれるし、それで旅客離れが起きれば当然それは従業員たちの待遇や雇用という形で跳ね返ってくるだろう。「線路を自分の意思で歩く人が現れる社会」は最終的にそのツケが運行する鉄道会社に押し付けられる。

・旅客


旅客にとっても線路を降りて歩く人が現れる社会はいい面ばかりとは言い難い。

「みんな会社側の言う事を聞いて大人しくし過ぎである」というくらい日本が同調圧力に弱い社会であるというならば、当然その逆、「ひとりが線路に降り始めたらつられて他の人も同じように降り始める」事も起きうる。

「他の人がやっているから」という理由が行動の大きい理由になるのが日本社会である。線路を歩いて降りるという行動に対しても、誰か一人がやればそれが起きる可能性は十分に高い。

そして万が一自分が負傷したとしても、その責任は誰も取ってくれない。最初に誰が降り始めたかを特定するのは極めて困難であろうし、「なんで止めてくれなかったんだ!」と鉄道会社のせいにするのも的外れだからである。同調圧力という空気によって起こした行動の結果を自分一人で背負うしかなくなる。

勿論、10時間も車内に閉じ込められるというのはとんでもなく苦痛である。自分でもうんざりする。しかし、それは鉄道会社が安全に細心の注意を払い、その責任を背負っている時間でもある。もしそれで体調が悪くなればそれは会社を責めればいい。しかし、自己判断で降りて負傷すればそんな筋は通らない。周りにそれを訴えても「勝手に降りたあなたにも非がある」で終わる。それで本当に真っ当な社会になるかと言えば、鉄道をよく利用する身からすれば疑問符が付く。

・どうすれば良かったのか、どうするべきなのか


勿論、両氏の言い分も分からんでもない。同調圧力に弱い社会というのは状況に応じて機敏に行動することを難しくさせるし、コロナ禍ではそれが過剰な自粛政策やマスク着用、黙食の継続となって現れた。誰かが異を唱えられるような環境を用意しておかなければいけないというのはその通りであろう。

しかし上記に示した通り、それは秩序の崩壊や新たな事故の発生を代償として伴うリスクが存在している。「誰も苦しまない社会」とはならないだろうし、悪い結果が出ればそれはそれで「こんな世の中おかしい」と嘆く人が続出するであろう。

故に両氏の意見に対しても「言いたいことは分かるがそれはちょっと違うぞ」という結論になる。

今回の一件は当然JR側にも問題がある。普段台風や大雨の時に実施していた計画運休をやらなかった上に列車の運行がストップした後の対応も良好とは言い難い。ポイントが雪に対応できなかったことへの問題もある。

想定外の状況が起きたことをJR側が反省して再発防止に取り組む、これ以上の対応策はないだろう。少なくとも「旅客が各自で判断して線路を降りられる社会にしよう!」と言うのは適切ではない。

それでも、どうしても線路に降りられる社会にしたいというなら、冒頭の引用記事で車掌が言ったように「すべて自己責任、何かあっても鉄道会社側を過失に問わない、会社としては責任を負いかねる」ということを公に明言する事だ。自分で結果まですべて責任を背負うという形にすることで、各自が判断して線路に降りられる社会は実現するだろう。

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